沈黙の格納庫
亀裂が入った翌日。
カイは格納庫に入り、ケストレルの前に立った。日常点検をしなければならない。戦闘がいつ始まるか分からない以上、機体を整えておくのは操手の務めだ。
格納庫の中に、ガルドがいた。
別の残殻を直している。リントの機体の左膝関節が不調で、ガルドが診ていた。作業台に分解した関節ユニットを広げ、精密工具を走らせている。背中が、カイのほうを向いていた。
二人は、目を合わせなかった。
カイはコックピットに上がり、計器を確認する。燃料残量。機関温度。装甲健全度。弾薬。一つずつ追っていく。操縦桿の応答が、前より詰めてある。カイの反応の速さに合わせた調整だ。昨晩のうちに、やったのだろう。
計器から目を離し、格納庫を見下ろした。
ガルドは、まだ関節を分解している。レンチが回る音。ボルトの外れる金属音。油を差す、微かな液の音。規則正しいリズムだ。ラストヘイムの作業場で、毎日、聴いていた音。
コックピットを降りて、脚部の外観検査に移る。装甲板に手を這わせ、亀裂や歪みを探していく。冬の金属は、指先が痺れるほど冷たい。
同じ格納庫に、二人がいる。
一言も、交わさない。
トワが入ってきた。
入り口で足を止め、空気を一瞬で読み取る。何も言わず、カイの隣に来て、残殻の関節部を調べ始めた。
「冬はグリスが固まる。関節の可動域が落ちるぞ。整備の頻度を上げないと、戦闘中に膝が止まる」
技術の話。それだけが、いま安全だった。
「お前のケストレルの左膝も診ておけ。ダリオ戦の着地で、負荷がかかってる」
「分かった」
「グリスは低温用に替えろ。在庫はあるか」
「ヒューゴの商隊が持ってきた分がある」
「それを使え」
トワが淡々と言い、カイが淡々と返す。それで、よかった。
その間も、ガルドの工具の音が響いていた。
組み直した関節を、ガルドがテスト動作にかける。ギアの噛み合う低い唸り。関節が、滑らかに動いた。腕は、確かだ。それは、認めるしかない。
カイはケストレルの左膝のカバーを外し、グリスを確かめた。確かに固まりかけている。低温用に替えなければならない。工具箱から、合うサイズのレンチを探す。
手が、止まった。
親指の腹が、ざらついた刻印に触れた。
GV。
ガルド・ヴェッセン。あいつが自分で削り出した工具だ。
お前が使え――12かそこらの頃に投げてよこした、ぶっきらぼうな声が、耳の奥にこびりついている。何度も力任せに握って、今ではすっかり、自分の掌の形に馴染んでいる。
奥歯を噛みしめているのに、掌の熱を吸った鉄の重みは、どうしようもなく、手にしっくり収まった。
カイはそのレンチで、関節のボルトを緩めにかかる。
トワが立ち上がった。
「俺は外周の見回りに行く。二人とも、終わったら休め」
トワが出て行く。格納庫に、二人だけが残った。
工具の音だけが続く。
カイが古いグリスを拭き取り、新しいのを充填する。ガルドがリントの関節を組み直し、増し締めをかける。別々の機体の上で、二人の作業が同時に進んでいた。
一度だけ、手が止まった。
ガルドが、ケストレルのほうへ歩いてきた。カイは体を固くする。だがガルドは声をかけず、操縦桿の基部パネルを開けて、応答回路の接点を確認し始めた。テスターを当て、電圧を測り、微細な調整を入れる。黙って、黙々と。
カイは、手元のボルトから目を上げていた。締めかけのレンチが、指に掛かったまま止まっている。
あいつの手元から、目が離せない。憎みきれない。怒りきれない。
カイは工具を握り直し、カバーを戻した。ボルトを締め、増し締めをかけ、膝を手で動かして可動を見る。グリスが行き渡って、関節が滑らかに動いた。この寒さでも、これなら戦闘にもつ。
格納庫を出るとき、一瞬だけ、足が止まった。
振り返ると、ガルドが操縦桿の応答を確かめていた。左手でわずかに桿を動かし、右手でテスターの数値を読む。眉間に皺。唇を引き結んで、一点だけを見ている。
ラストヘイムの作業場で、何百回も盗み見た角度だった。
カイは目を逸らして、外に出た。
冬の空は、灰色だった。




