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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
折れた天秤

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122/150

沈黙の格納庫

亀裂が入った翌日。

 カイは格納庫に入り、ケストレルの前に立った。日常点検をしなければならない。戦闘がいつ始まるか分からない以上、機体の状態を維持することは義務だった。感情は関係ない。


 格納庫の中にガルドがいた。


 別の残殻(ざんかく)を修理していた。リントの機体の左膝関節が不調で、ガルドが診ている。作業台の上に分解された関節ユニットが広げられ、ガルドの手が精密工具を走らせている。背中がカイの方を向いていた。


 二人は目を合わせなかった。

 カイはケストレルのコックピットに上がり、計器の確認を始めた。燃料残量。機関温度。装甲健全度。弾薬残量。全てを一つずつ確認する。ガルドが前日に行った調整の結果が、計器に反映されていた。操縦桿の応答が0.02秒短縮されている。カイの冴覚(さいかく)の反応速度に合わせた調整。昨晩のうちにやったのだろう。


 カイは計器から目を離し、格納庫の中を見下ろした。

 ガルドは相変わらず残殻(ざんかく)の関節を分解していた。六角レンチが回る音。ボルトが外れる金属音。油を差す時の微かな液音。規則正しいリズム。10年間聴き続けた音だった。ラストヘイムの作業場で、毎日聴いていた音。


 コックピットを降り、カイはケストレルの脚部の外観検査を始めた。装甲板の表面に手を這わせ、亀裂や歪みがないか確認する。冬の金属は冷たい。指先が痺れるほどの冷たさだった。


 同じ格納庫の中に、二人がいる。

 一言も交わさない。


 トワが入ってきた。

 格納庫の入り口で足を止め、二人の空気を一瞬で読み取った。トワは何も言わず、カイの隣に来て残殻(ざんかく)の関節部を調べ始めた。

「冬はグリスが固まるから、関節の可動域が落ちる。整備の頻度を上げないと、戦闘中に膝が止まる」

 技術の話。それだけが、この空間で安全な話題だった。

「カイ、お前のケストレルの左膝も確認しておけ。ダリオ戦の時に着地で負荷がかかった関節だ」

「分かった」

「グリスは低温用に入れ替えた方がいい。在庫はあるか」

「ヒューゴの商隊が持ってきた分がある」

「それを使え」

 トワは淡々と話し、カイは淡々と答えた。技術者同士の会話。感情の入り込む余地がない、実務だけの言葉。


 その間も、ガルドの工具の音が格納庫に響いていた。

 リントの残殻(ざんかく)の関節が組み直され、ガルドがテスト動作を行う。ギアが噛み合う低い唸り。関節が滑らかに動く。ガルドの腕は確かだった。壊れた関節を修理する技術。壊れた人間は修理できないが、壊れた機械は直せる。ガルドの存在価値は、そこにある。


 カイはケストレルの左膝関節のカバーを外し、内部のグリスを確認した。確かに固まりかけている。低温用のグリスに入れ替える必要があった。工具箱から適切なサイズのレンチを探す。

 手が止まった。

 工具箱の中に、見覚えのある刻印が入った六角レンチがあった。「GV」の文字。ガルド・ヴェッセンのイニシャル。ガルドが自分用に作った工具だ。カイの工具箱に入っているのは、ガルドがラストヘイムで「お前が使え」と渡したものだった。何年前のことだったか。カイが12歳か13歳の頃。


 カイはそのレンチを手に取り、関節のボルトを緩め始めた。


 トワが立ち上がった。

「俺は外周の見回りに行く。二人とも、整備が終わったら休め」

 トワが出て行った。格納庫に二人だけが残った。


 工具の音だけが続く。

 カイがケストレルの膝関節のグリスを拭き取り、新しいグリスを充填する。ガルドがリントの残殻(ざんかく)の関節を組み直し、増し締めを行う。二人の作業が別々の機体の上で同時に進んでいる。

 一度だけ、カイの手が止まった。

 ガルドがケストレルの方に歩いてきた。カイは体を固くした。だがガルドはカイに声をかけず、ケストレルの操縦桿の基部パネルを開き、応答回路の接点を確認し始めた。テスターを当て、電圧を測り、微細な調整を行う。黙って、黙々と。


 カイに嫌われても、機体の整備に手を抜かない男だった。

 その事実が、怒りの中に小さな棘のように刺さる。憎みきれない。怒りきれない。ガルドの行動が、言葉の代わりに何かを語っている。語ろうとしている。


 カイは工具を握り直し、関節のカバーを戻した。ボルトを締め、増し締めを行い、可動テストのためにケストレルの膝を手動で動かした。グリスが行き渡り、関節が滑らかに動く。冬の寒さの中でも、これなら戦闘に耐える。


 格納庫を出る時、カイは一瞬だけ立ち止まった。

 振り返ると、ガルドの手がケストレルの操縦桿の応答を確認していた。左手で操縦桿を微かに動かし、右手でテスターの数値を読む。眉間に皺を寄せ、唇を引き結んで、一点に集中している。10年間見てきた、技匠(ぎしょう)の横顔だった。


 カイは目を逸らし、外に出た。

 冬の空は灰色だった。

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