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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Flint
鉄錆の邂逅

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リレー素子

回想は続いた。

 ガルドは仮宿のベッドの上で、天井を見つめたまま、あの日々に沈んでいった。


  * * *


 焦土紀(しょうどき)に入る少し前。

 グランヴェルトの神経工学部門。研究棟の設計室は、旧大学の講義室を改装した広い部屋だった。天井が高く、窓から差し込む光が設計用のドラフターを照らしている。壁にはリレー素子の設計図が何枚も貼られ、試作品のケースが棚に並んでいた。


 ガルドは設計用のドラフターに向かっていた。リレー素子の設計。後頭部から頸椎にかけて埋設する生体合成素子。神経の電気信号を読み取り、外部装置からのフィードバック信号を神経系に伝達する。


 当初は医療目的だった。


 義肢の感覚フィードバック。大崩落(ダウンフォール)で手を失った人間が、人工の手で「触れる」ことを取り戻す技術。ガルドはそこに希望を見ていた。失われたものを、取り戻す技術。壊れたものを、繋ぎ直す技術。


 設計室のドアが開き、ヘルガ・キルシュが入ってきた。

 当時のヘルガは30代前半。暗褐色の髪を一つに結び、白衣の袖を肘まで捲っている。右目にモノクル型端末を装着し、左手にはデータシートの束を持っていた。


「ガルド。第7試作の適合テスト結果が出た」

 ヘルガの声は落ち着いていた。あの頃のヘルガは、まだ「科学に善悪はない」とは言わなかった。


「どうだった」

「被験者の右手の触覚が82%回復した。痛覚フィードバックも正常範囲。圧覚の精度がまだ低いが、第6試作から14ポイント改善している」


 ガルドはデータを受け取った。数字を追う。適合率は上がっている。あと数回の改良で、実用化に届く。


「ヘルガ。これが完成すれば、どれだけの人が手の感触を取り戻せる」

大崩落(ダウンフォール)の負傷者で四肢を失った者は推定12万人。そのうち神経系が健全な者が約4割。理論上は5万人が対象になる」


 5万人。5万人の人間が、もう一度「触れる」ことを取り戻す。ガルドの設計した素子が、それを可能にする。


 あの頃は、そう信じていた。


 ヘルガが患者の前で微笑むのを、ガルドは何度か見た。義肢に接続されたリレー素子を通じて、初めて人工の指で物に触れた患者。その顔に浮かぶ驚きと喜び。ヘルガはその瞬間、唇の端を少しだけ持ち上げて微笑んだ。研究者の冷徹な顔が、一瞬だけ柔らかくなる。


 だが軍が目をつけた。


 鋳脈(ちゅうみゃく)の軍事転用が決定された日のことを、ガルドは鮮明に覚えている。研究棟の会議室。ヴィルヘルム・ブラントが、当時はまだ技術部門の中堅幹部だった彼が、リレー素子の設計資料を手に取った。


「この技術を鉄殻(てっかく)の操縦系統に応用する。機体のセンサー情報を操手(そうしゅ)の神経に直接フィードバックさせることで、反応速度を飛躍的に向上させる」


 ガルドは反対した。

「リレー素子は医療用に設計されている。戦闘時の過負荷に耐えられる保証はない。神経劣化のリスクが」


「リスクは管理する。お前の設計を軍事仕様に改修しろ」


 ヘルガは沈黙した。

 あの日、ヘルガは一言も発しなかった。賛成も反対もしなかった。ただ黙って、データシートを見つめていた。


 ガルドは改修に着手した。反対はしたが、命令には従った。軍事仕様のリレー素子。戦闘時のフィードバック負荷に耐えるための強化設計。神経系との接続を更に深くし、情報伝達の精度を上げる。


 設計は完璧だった。ガルドの自負ではなく、事実として。リレー素子の適合率は70%を超え、フィードバックの精度は医療用を上回った。


 テオが鋳脈(ちゅうみゃく)の最初の被験者候補に選ばれた時、ガルドの手は震えた。


 テオは格納庫で、いつもの煤けた笑顔を浮かべていた。

「やってくれ、ガルド。これで生き残れるなら」


 戦場で生き残るために。大崩落(ダウンフォール)末期、傭兵の生存率は年々下がっていた。テオは既に何度も死にかけていた。冴覚(さいかく)があるから生き延びてきたが、冴覚(さいかく)だけでは限界がある。鋳脈(ちゅうみゃく)があれば、機体のセンサーが自分の体になる。反応速度が上がる。生き残れる確率が上がる。


 テオは自分で望んだ。


 ガルドは手術を行った。

 手術室は研究棟の地下にあった。無影灯の白い光が、テオの後頭部を照らしている。頸椎に沿って切開し、神経組織の間にリレー素子を一つずつ埋設していく。ガルドが設計した素子。ガルドの手で削り出した生体合成の結晶。それを、親友の体に埋め込んでいく。


 手術は8時間かかった。


 テオが麻酔から覚めた時、最初に言った言葉。


「指先が、20本ある気がする」


 リレー素子が正常に機能している。テオの神経系が、自分の体だけでなく、接続された外部装置の情報まで「体」として感じ始めている。適合は成功だった。


 ガルドは笑おうとした。笑えなかった。


 テオの目は輝いていた。新しい感覚を手に入れた興奮。世界が広がった喜び。その輝きの裏で、ガルドの設計したリレー素子は、テオの神経組織に癒着を始めていた。一度埋め込まれたリレー素子は、もう取り出せない。


 不可逆。


 ガルドが設計した技術の、最も残酷な特性だった。


  * * *


 ガルドは仮宿のベッドから起き上がった。

 灯油ストーブの炎が小さくなっている。燃料が少ない。窓の外は、まだ暗い。


 工具箱を開いた。ケストレルの調整メモを確認する。操縦桿の応答を0.02秒短縮。カイの冴覚(さいかく)の反応速度に合わせた調整。


 テオに鋳脈(ちゅうみゃく)を施した手で、今はカイの機体を整備している。

 鋳脈(ちゅうみゃく)を作った手で、鋳脈(ちゅうみゃく)なしの機体を調律している。


 矛盾だろうか。

 いや。これが、ガルド・ヴェッセンの答えだった。

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