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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
折れた天秤

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テオの夏

その夜、ガルドは眠れなかった。

 ストーンクロスの仮宿の、固い寝台に背を預けている。窓の外は、冬の夜だ。雲が低く垂れ込めて、星は一つも見えない。灯油ストーブの、小さな炎だけが、部屋の中で揺れている。その明かりが、壁に、ガルドの影を、大きく、頼りなく映していた。

 昼間、カイに、鋼城のことを、全部話した。

 いや、全部ではない。テオが、自分の設計した素子で、体を壊していったこと。その鋳脈を施したのが、ほかでもないこのガルドの手だったこと。それは、まだ、話していない。話さなければならない。だが、今日は、鋼城の話だけで、精一杯だった。

 俺がやる――カイは、そう言った。拳を握り、その目だけが、据わっていた。

 あの目を、ガルドは、知っている。


 寝返りを打つと、毛布の隙間から、油と、古い鉄の匂いが、立ち昇った。工具箱を、枕元に置いて寝る癖は、若い頃から、抜けない。

 その、鉄錆と油の匂いが、ふいに、別の季節を、連れてきた。

 うだるような、夏の匂いだ。

 ガルドは、目を閉じた。


  * * *


 大崩落の、末期。焦土紀に入る、少し前のことだ。

 グランヴェルトの、工業都市ヴェルクシュタット。

 設計室の窓から、工場の煙突が、何本も見えた。煤がいつも薄くガラスを曇らせて、ガルドはそれを、指で拭うのが癖だった。その向こうで、戦争は、まだ遠かった。

 ガルドは、二十五だった。神経工学部門の、若い技術者。旧い大学を転用した研究棟の、地下が手術室で、上の階が、設計室だ。リレー素子の設計に、明け暮れる日々。あの頃は、自分の手から生まれるものが、いつか人を救うと、本気で信じていた。


 テオが、格納庫に現れたのは、夏だった。

 十八の、傭兵。少年兵あがりだという。痩せて、骨ばった体に、煤の染みた作業着。短く刈った黒髪。その顔の中で、目だけが、生きていた。暗い灰色の、何かを値踏みするような目だ。

 その目を、ガルドは、長いこと、忘れていた。


 テオが、引きずり込んできた残殻を見て、ガルドは、つい、笑った。

 ひどい代物だった。右腕がグランヴェルトの汎殻用、左腕がセルヴィスの旧式、脚はクレスタの作業機の改修品。胴体に至っては、どこの出か、分からない。四つのメーカーの部品を、寄せ集めただけの、継ぎはぎの機体だ。関節の規格が、てんでばらばらで、操縦系統の応答曲線が、合うはずがない。

 こんなものは、動かない。技術者の常識だった。


「直してくれ。金は、ない」

 テオは、それだけ言った。


 ガルドは、コックピットを、覗き込んだ。

 覗き込んだ指先が、操縦桿に触れて、止まった。

 削られている。グリップが、不格好に、削り直されていた。誰かの手の形に、合わせて。ペダルの位置も、標準から、ずれている。標準が間違っているとでも言うように、機体のほうが、乗り手に、合わせてあった。

「これは、お前が、やったのか」

「触ってるうちに、こうなった」

 テオは、なんでもないことのように、言った。


 ガルドは、操縦ログを、呼び出した。

 数字を見て、背筋が、ざわついた。反応速度が、おかしい。計器を読んでから操作するまでの間が、まともな操手の、半分もない。半分どころではなかった。これでは、計器を見る前に、操作している。機体の挙動を、頭ではなく、体で、先に掴んでいる。四つの規格の、継ぎはぎの機体を、まるで、生まれたときから持っていた手足のように。


「お前」

 ガルドは、振り返って、言った。

「冴覚が、あるだろう」


 テオは、首を傾げた。

「何だ、それ」


 本気で、知らない顔だった。

 こいつ、自分が何を持っているのか、分かっていない。機体の声を、計器の数字ではなく、体の芯で聞き取って、それを、当たり前だと思っている。ガルドは、この部門で、何人もの操手のデータを見てきた。だが、こんな数字には、一度も、出くわしたことがなかった。

 研究者としての興味では、なかった。もっと単純な、技術者の助平心だ。この男が、どこまで飛べるのか、見てみたい。


 ガルドは、無償で、修理を引き受けた。


 その夏、二人は、初めて、一緒に仕事をした。

 傭兵への依頼ではなく、技術部門への、短い契約だ。前線で損傷した汎殻を、回収して、修理する。テオが、回収機を操って、ガルドが、現場で、レンチを握った。

 テオが機体を動かすと、ガルドには、その機体の調子が、手に取るように分かった。エンジンの唸りで、回転数を読む。関節の軋みで、どこに負荷がかかっているかを、聞き分ける。「左の膝が、悲鳴を上げてる」――そう言い終わる前に、テオはもう、重心を右へ移していた。

 テオの操縦は、荒削りだ。教本など、読んだこともないだろう。だが、機体の限界を、決して、踏み越えない。どこまで無理が利くか、体で、分かっているのだ。


 夕暮れの、格納庫を、ガルドは、覚えている。

 煤けた壁に、西日が差し込んで、鉄殻の装甲が、赤く灼けていた。テオは、機体の足元に、だらしなく座り込んで、缶ビールを、喉で鳴らしていた。煤で汚れた顔の中で、白い歯だけが、笑っている。


「ガルド。お前がいると、機体が、別物になるな」


 ガルドは、ウエスで、手の油を拭いながら、答えた。

「お前の、腕が良いだけだ」

 半分は、嘘だった。

 テオの操縦が良いのは、本当だ。だが、それだけではない。俺がいなくても、お前は、飛ぶ。だが、俺が組んだ機体なら、お前は、もっと速く、もっと鋭く、飛べる。それを、ガルドは、知っていた。たぶん、テオも。

 それが、あの夏に、始まった。


 缶ビールは、安物で、ぬるくて、苦かった。

 うまいものでは、なかった。それでも、あの味を、ガルドは、今でも、舌の奥に、覚えている。


  * * *


 ガルドは、目を開けた。

 仮宿の天井が、暗い。灯油ストーブの炎が、相変わらず、壁の影を、揺らしている。

 夏の、あの光は、もう、どこにもない。

 テオは、消えた。後に残ったのは、ケストレル一機と、油の染みた工具と――それから、テオの息子だ。


 ガルドは、寝台から、身を起こした。

 眠れないなら、仕方がない。工具箱を引き寄せて、蓋を開けた。ケストレルの、調整メモを、暗がりの中で、指でなぞる。明日も、整備がある。明後日も、その先も。

 あの夏、テオに無償で握ったレンチが、巡り巡って、あの男の体に、素子を埋める手になった。その順序を、ガルドは、今でも、うまく呑み込めずにいる。救うつもりの手が、壊す手になる。その境目が、どこにあったのか。

 考えても、答えは出ない。出たためしがない。

 ガルドは、メモを閉じた。テオの息子のために、機体を、最良の状態に保つ。今の自分にできるのは、せいぜい、それくらいだ。

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