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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
折れた天秤

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|鋼城《こうじょう》の名

格納庫の裏で、カイはガルドを待っていた。

 旧採石場の、切り立った壁に囲まれた場所だ。冬の午後の光が、岩肌に低く差し込んでいる。人の来ない一角だった。点検の手を止めてここまで来いと言ったとき、ガルドは何も訊かずに頷いた。訊かなくても、何を切り出されるか、分かっていたのだろう。

 ガルドが、油の染みた手を、ぼろ布で拭きながら来る。赤葉の煙草を一本咥え、火をつけた。辛い煙が、冷えた空気に細く昇る。


「親父が隠したものの中身を、全部話せ」

 カイは言った。

「グランヴェルトが、灰域を血眼で探し回ってるモノだ。あんたは、知ってるんだろう」


 ガルドは、すぐには答えなかった。

 煙草を、二度、深く吸う。灰が、長く伸びて、風に落ちた。それから、壁に背を預けたまま、低く言った。

「話す」

 覚悟を決めた声だった。今まで、訊かれた分しかこぼさなかった老人が、初めて、自分から重いものを下ろそうとしている。カイは、黙って、続きを待った。


「鋼城、と呼ばれてる」

 ガルドが言った。

「全長、3キロを超える。動く要塞だ。中にドールの生産炉を抱えてて、行軍しながら無人機を吐き出し続ける。あれ一機で、統治機構体一つとまともに殴り合える」


 3キロ。

 カイは、その大きさを、頭の中に置こうとして、うまくいかなかった。ストーンクロスの集落が、丸ごと入ってしまう。そんな鉄の塊が、自分の足で歩く。


「だが」

 ガルドが、煙を吐いた。

「鋼城の、本当に厄介なのは、火力じゃない。動力だ」

 声が、一段、低くなった。

「あいつの心臓は、イグニス・コンバーターっていう、旧世界の代物だ。今の連中には、原理すら、まともに分かっちゃいない。そいつを回すのに――24人、要る」


「24人」

 数字の意味が、すぐには像を結ばなかった。

「何が、24人だ」


「鋳脈者だ」

 ガルドの目が、カイをまっすぐ見ている。

「24人の鋳脈者の神経を、機械の制御系に、直に繋ぐ。そうやって、初めて、あの炉は動く」


 カイの頭に、リーヴ・シェイドの、白い指先が浮かぶ。鋳脈の代償で、温度を失っていく手。あれが、24人分。

「繋いで、どうなる」


「擦り切れる」

 ガルドの声に、感情がなかった。

「炉が回るあいだ、繋がれた連中の神経は、止めどなく削られていく。銘殻に乗るのとは、わけが違う。桁が、違う。全力で回せば――ひと月もたずに、24人、全員が、使いものにならなくなる」


 ひと月。

 カイの中で、その言葉が、ゆっくりと形を変えた。24人の人間を、ひと月で、燃やし尽くす。人を、薪みたいに、くべる炉だ。

 喉の奥が、浅く張りつく。


「それと、もう一つ」

 ガルドが、新しく言いかけて、少しだけ、間を置く。言うのを、ためらっているようだった。

「24人のうち、6人は、冴覚持ちの鋳脈者じゃなきゃ、ならん。冴覚が、無数のセンサーの情報を束ねて、鋼城の反応を、人並みの速さまで引き上げる。冴覚なしの鋳脈者だけじゃ、あれは、ただの鈍い箱だ」


 冴覚持ちの、鋳脈者。

 その言葉が、耳の奥で、反響する。

 指の先から、血の気が、引いていく。胃の底を、冷たい手で、掴まれたようだった。冴覚を持つ人間が、あの鉄の胃袋に放り込まれて、擦り切れるまで、搾り取られる。

 カイは、自分の唇が、乾いて、貼りついているのに気づいた。それを、無理に引き剥がす。


「……俺みたいな、人間を」

「ああ」

 ガルドが、煙草を、靴底で踏み消した。灰を擦り潰す音が、岩壁のあいだで、やけに大きく響いた。

「お前みたいな冴覚持ちが、鋼城の、燃料に要る」


 燃料。

 その二文字を、カイは、口の中で、転がさない。転がしたら、何か、吐きそうだ。


「テオは」

 ガルドが、続ける。

「大崩落の、終わりごろに、その計画の全部を知った。テオ自身が、冴覚持ちの鋳脈者だった。あの炉の、第一候補だったんだ」


 カイは、しばらく、何も言えなかった。

「親父は、自分が、消耗品にされると知って、逃げた」

 声が、掠れる。こんなものの燃料にされると分かれば、何もかも捨てて逃げる。当たり前だ。そうだろ、親父。そう、思いたかった。

「違う」

 ガルドが、首を振った。深く刻まれた皺が、歪んだ。

「テオが、恐れたのは、自分のことじゃない。お前のことだ」


 拍動が、ひとつ、狂った。


「冴覚は、遺伝することがある」

 ガルドの声が、低く、続く。

「テオの息子が、冴覚を持って生まれてたら、グランヴェルトは、いつか必ず、手を伸ばしてくる。テオは、それが、分かってた。だから、設計データを持ち出して、鋼城の完成を、遅らせた。お前が狩られるまでの、時間を、稼いだんだ」


 風が、採石場の壁を、低く撫でて吹いた。ガルドのコートの裾が、揺れる。

 しばらく、誰も、何も言わなかった。


「持ち出すとき、テオを手伝ったのは、俺だ」

 ガルドが、言った。声に、隠すものが、なくなっていた。

「グランヴェルトの保安の、穴を調べた。逃げる道を、引いた。テオが逃げるあいだ、俺が、時間を稼いだ。その代償に、俺も、組織を追われた」


 格納庫の入口に、いつの間にか、人が立っていた。

 リオンと、バートンだ。カイの声を聞きつけて、来たのだろう。リオンの顔が、強張っている。バートンは、腕を組んで、壁に寄りかかったまま、動かなかった。

 バートンが、低く、口を開く。

「テオが、命を懸けて隠したものが、それか」

「ああ」

 ガルドが、頷いた。

「テオは、データの一部を、灰域のどこかに隠した。俺にも、正確な場所は、教えなかった。俺が捕まったとき、漏れないように」


 カイは、拳を握ったまま、目を閉じる。

 父の顔を、思い出そうとした。もう、輪郭が、薄い。十歳のとき、消えた父だ。だが、手の感触だけは、残っている。大きくて、温かくて――右手の指先だけが、妙に、冷たかった。

 子供のころは、それを、ただ不思議に思っていた。

 今は、分かる。テオの右手は、鋳脈の代償で、もう温度を、拾えなくなっていたのだ。


「鋼城を、止める」

 カイは、目を開いた。

「それが、親父のやりたかったことなら――」

 その先は、うまく、言葉にならなかった。俺がやる、と言いかけて、止まった。何をどうやって止めるのか、自分でも、何ひとつ、分かっていない。3キロの鉄の塊。その中で、24人の神経が、止めどなく削られていく。その前で、ケストレル一機に、何ができる。

 それでも、握った拳は、ほどけなかった。


 ガルドは、何も言わずに、カイを見ていた。

 その目の奥が、ふいに、遠くなる。今のカイを通り越して、もっと遠くの何かを、見ているようだった。

 ガルドは、煙草の箱を、ポケットから出した。また一本、抜き出す。火をつける、その指が、震えている。寒さのせいだ、とは、思えなかった。だが、何のせいなのか、カイには、踏み込めなかった。

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