↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
折れた天秤

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

114/270

もう一つの浄化

アイリスからの暗号通信を復号し終えたとき、リオンの指が、キーの上で止まった。

 通信室の小さなテーブルに、平文に直されたデータが並んでいる。リオンは、その文字列を二度読み返した。何度目を通しても、並びは変わらない。

 何かの間違いであってほしかった。

 ハイドクロフトだけでは、なかった。

 セルヴィスの浄化部隊は、東の小集落を、一つずつ、片付けながら、こちらへ近づいてきている。ハイドクロフト。エルグライン。クレストリッジ。三つの名前が、同じ書式で、淡々と並んでいた。

 アイリスの報告には、数字が、添えられていた。

 ハイドクロフト、住民40名を拘束。エルグライン、55名。クレストリッジ、58名。建物は解体され、それぞれ、補給基地に、給水拠点に、通信中継所に、作り変えられている。

 合計で、およそ150名。

 「保護」という言葉が、その数字の頭に、貼りついていた。リオンは、その二文字を、指の先で、軽くなぞった。爪の先が、冷たいテーブルの上で、かさりと鳴った。

 守るための言葉だ。その言葉で、人が、家から引き剥がされている。リオンも、昔は、こういう文書を読んだ。何も思わずに、下のほうに、判を押した。あの頃の自分なら、この百五十という数字も、ただの数字だった。


 通信室は、寒かった。旧式の通信機が、低く唸りを上げている。その熱だけが、わずかに、手元を温めていた。リオンは、一度、目を閉じて、また開けた。

 通信機のスイッチを入れ直す。

「保護された人たちは、どこへ送られるの」

 リオンは、訊いた。握った通信機が、手のひらの中で、じっとりと汗ばんでいた。アイリスの返事を待つあいだ、雑音だけが、長く続いた。

 アイリスの声が、固くなった。雑音の向こうでも、その変化は、はっきりと伝わってきた。

「フォートレスの、保護民居住区。外壁の内側に収容される。管区証は出ない。移動も、制限される。……それと、冴覚の素養がある子供は――」

 そこで、通信が、途切れた。

 ノイズが割り込み、暗号鍵の同期が、一瞬、外れた。数秒で戻ったが、アイリスは、続きを言わなかった。

 言わなくても、よかったのだ。

 その先を、リオンは、知っていた。冴覚児童回収計画。書類の隅で、何度も見た言葉だ。灰域の孤児に、教育と、屋根を与える――士官学校の教官は、そう言って、胸を張っていた。立派な施策だ、と。リオンも、頷いた。

 その同じ言葉が、今は、まるで違う重さで、目の前にあった。

 リオンは、自分の指先が、まだ、わずかに震えているのに気づいた。手のひらを、強く握り直す。それでも、震えは、すぐには止まらなかった。


 リオンは、復号データを記憶媒体に移すと、通信室を出た。

 廊下を、バートンの執務室へ向かって、足早に歩いた。報告しなければならないことが、ありすぎた。


  * * *


 バートンの執務室には、カイが、先に来ていた。

 リントの偵察報告を、聞いた後なのだろう。机の前に立つカイの肩が、固く強張っている。壁際の鉄ストーブが、ぱちりと音を立てて、薪を爆ぜさせた。部屋の中だけは、かろうじて、暖かかった。

 リオンは、アイリスから得たものを、二人に伝えた。三つの集落。150人。フォートレスへ送られること。そして、子供たちのこと。一つずつ、順を追って、できるだけ感情を交えずに話そうとした。それでも、声が、途中で、一度、上ずった。

 話し終えると、部屋が、しんと静まった。

 バートンの、もともと血色のいい顔から、すっと色が引いた。

「150人。三つの集落で、150人」

 絞り出すような、低い声だった。

「子供まで、奪うのか。それが、奴らの言う『秩序』か」

 リオンは、もう一歩、踏み込んで言うべきか、迷った。だが、言わなければ、伝わらない。

「浄化は、軍事だけが目的じゃないんです。冴覚の素養がある子供は……検査を受けて、鋳脈の候補に、組み込まれます」

 カイは、黙って、聞いていた。

 リオンは、その横顔を、見た。怒鳴り出すでも、机を叩くでもない。ただ、奥歯のあたりが、固く結ばれて、こめかみが、小さく動いていた。

「俺の親父は」

 ふいに、カイが、口を開いた。低く、平らな声だった。

「俺を、そうさせないために、消えたんだ」

 リオンは、何も言えなかった。

 テオ・セヴァルも、冴覚を持つ鋳脈者だった。そして、息子にも、冴覚がある。もし、カイが幼いうちに「保護」されていたら――今ごろは、リーヴ・シェイドのように、コルヴァスの機体に乗っていた。

 会ったこともない男だ。その父親が、何を抱えて、この何もない土地に留まったのか、リオンには、想像することしか、できなかった。

 リオンの父、ケネスなら、迷わず、娘を士官学校へ送っただろう。それが子のためだと、信じて。現に、自分が、そう育てられた。守ってもらった、と思っていた。その同じ手が、テオには、息子を差し出す手に、見えていたのかもしれない。


 バートンが、机に、両手をついた。

「この話は、灰域じゅうの集落に、伝えなきゃならん。セルヴィスの浄化が、何を意味してるか。子供が、連れていかれるってことを」

 リオンは、頷いた。

「灰域だけじゃ、足りないと思います」

 自分の声が、思ったより、低くなっているのに気づいた。

「セルヴィスの管区の人たちにも、伝える方法を考えないと。あの人たちは、自分の組織が、何をしてるのか、知らないんです。……知ろうと、しないだけかもしれませんけど」

 言ってから、それは、昨日までの自分のことだ、と思った。口には、出さなかった。

 バートンの目が、ぎらりと光った。

「焦土の声に、流せるか」

 焦土の声。灰域で唯一の、定期の放送だ。タリアが中継を手配している、独立の放送局。

「タリアの通信網なら、灰域の集落には届きます。でも、管区の中までは、届かない」

 リオンは、頭の中で、士官学校で叩き込まれた回線図を、手繰った。セルヴィスの管区通信は、軍が握っている。民間の周波数も、検閲を通る。正面から流し込めば、すぐに遮断されるだろう。

 だが、抜け道が、まったくないわけでもなかった。気象観測用の、古い予備回線。誰も使っていない帯域が、いくつか、頭の隅に残っていた。在籍していた頃、保守の担当者が、よく愚痴をこぼしていた。あんな回線、もう何年も誰も見ちゃいない、と。

「……少し、時間をください。当たってみたいルートが、あります」

 バートンが、太い眉を、わずかに上げた。それ以上は、何も訊かなかった。

「管区へ流すには、別のルートが要ります。アイリスと、相談してみます」


 カイが、椅子から立ち上がった。

「やれることを、やる」

 短い言葉だった。それだけ言って、カイは、執務室を出ていこうとした。

 その背中に、リオンは、声をかけそうになって、やめた。

 扉の手前で、カイが、一度だけ、足を止めた。

「リオン。あんたが、管区のほうを頼む。俺は、目の前の集落から、当たる」

 振り返らずに、そう言って、カイは、出ていった。

 灰色の冬空の下を、カイの背中が、格納庫へ向かって、小さくなっていく。それが建物の陰に消えるまで、リオンは、窓辺を動かなかった。

 それから、机に戻り、紙とペンを引き寄せた。アイリスへの通信文を、組み立てなければならない。気象観測用の予備回線を使うとしても、まず、アイリス側で押さえてもらう必要がある。手順を、一つずつ、書き出していく。手を動かしていると、さっきまで震えていた指先が、少しずつ、落ち着きを取り戻してきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。