浄化される集落
リントが偵察から戻ったのは、日が落ちかける頃だった。
雪を踏んで戻ってきた残殻キャリバーの、そのコックピットから降りてきたリントの足取りが、いつもと違っていた。地面に降り立つなり、足早に、こちらへ向かってくる。首に巻いた赤いスカーフが、夕風に、乱暴にはためいた。近づいてきた顔を見て、カイは、足を止めた。リントの目が、据わっていた。怒りを通り越して、どこか据わってしまった、そういう目だった。偵察に出る前のリントは、もっと、軽口を叩く男だった。出がけにも、カイに何か冗談を言っていった。その顔と、今、目の前にある顔が、同じ人間のものだとは、すぐには結びつかなかった。
バートンの執務室。
カイとリントが入ると、机に向かっていたバートンが、顔を上げた。リントは、椅子に座らなかった。立ったまま、机に両手をついて、報告を始めた。その声が、最初の一言から、震えていた。
「ストーンクロスの東、60キロ。……ハイドクロフトが、やられた」
ハイドクロフト。
カイは、その名前を、知らなかった。
「鉄根樹の林に囲まれた、谷間の集落だ。人口、40人くらい。残殻なんか、一機も持ってない。畑を耕して、細々と食ってる、ちっぽけな集まりだ。それが――」
リントは、そこで、一度、言葉を切った。喉が、上下するのが見えた。
「セルヴィスの先遣隊が、来た。ドールの小隊だ。退去しろと言って、応じない奴を『危険分子』だと言って、引っ立てた。建物は、ぜんぶ、ばらされた。今は、奴らの補給基地になってる」
リントの拳が、机の上で、白くなるほど握りしめられていた。
「子供も、いた。年寄りも、いた。それを、ドールで……鉄の塊で、追い立てやがった」
最後の一言が、低く、潰れた。
ドール。人の乗っていない、ただの鉄の人形だ。命令された通りに動く。怯えも、ためらいもしない。その鉄の腕が、泣いている子供を、障害物みたいに、脇へどける。カイは、思わず、目を伏せた。リントは、それを、見てきたのだ。
カイは、何も言えずに、その話を聞いていた。
40人の集落。名前も知らない、行ったこともない場所だ。だが、リントが「子供もいた」と言った瞬間、見たこともないその集落の景色が、勝手に頭の中に浮かんだ。それが、よけいに、たちが悪かった。
ストーンクロスにも、子供はいる。市場で、もらった包帯を抱えて走っていた、あの子だ。その顔が、見たこともないハイドクロフトの子供に、重なる。振り払おうとしても、貼りついて、離れなかった。
バートンは、机の上で、太い両手を組んでいた。組んだ手の甲に、筋が浮いている。だが、口を開いたとき、その声は、ぞっとするほど、平らだった。
「リント。住民は、全員、連れていかれたのか」
「分からない。林に逃げ込んだ奴も、いるかもしれない。だが、集落は、跡形もなかった。基礎まで、打ち直されてた。……元から、何もなかったみたいに」
バートンが、椅子を引いて、立ち上がった。窓のほうを向く。大きな背中が、カイとリントに向けられた。しばらく、何も言わなかった。
「記録しろ」
窓の外を見たまま、バートンは、言った。
「何が、いつ、起きたか。誰が命じたか。全部だ。残しておけ」
その声には、怒鳴り声よりも、重いものがあった。
「俺たちのことは、誰も書いちゃくれん。だったら、自分で書くしかない」
リントが、固い声で、応えた。
「もう、取ってある」
リントは、胸ポケットから、折りたたんだ紙片を取り出して、机に置いた。
「座標も、部隊の番号も。ドールの型は、ポーンの歩兵随伴型だった。全部、ここに書いた」
「東の、60キロ」
バートンが、机に広げた地図に、目を落とした。太い指が、ストーンクロスの東を、ゆっくりとなぞる。
「本隊の、進軍ルートの上だ。やられるのは、ハイドクロフトだけじゃ、済まない」
カイも、机の脇から、地図を覗き込んだ。バートンの太い指の先を、目で追う。
ストーンクロスの東に、小さな印が、いくつも散らばっている。その一つ一つが、集落だった。20人。50人。100人。残殻も、まともな壁もない、小さな寄り合いだ。セルヴィスの隊が来れば、抗うすべは、何もない。カイは、印の一つに、指で触れそうになって、やめた。触れたところで、どうにもならなかった。
「どうする」
カイは、訊いた。
バートンは、椅子に、重く座り直した。
「進軍ルートの上の集落、ぜんぶに、警告を出す。タリアの通信網を使え。避難を呼びかけて、ここで、受け入れる」
「800人の町に、これ以上、人を入れるのか」
「やるしかない。バラバラに潰されるよりは、ましだ」
リントが、机を、平手で叩いた。
「助けに、行けないのか。ハイドクロフトの連中を、取り返しに」
「行けば、こっちが先に手を出したことになる」
バートンは、首を横に振った。
「コルヴァスが来る前に、消耗するわけにはいかん」
リントは、それ以上、言い返さなかった。ただ、食いしばった奥歯が、こめかみのあたりを、固く盛り上がらせていた。──リントの妹は、昔、セルヴィスに連れていかれた。カイは、それを、知っていた。
部屋の中が、静かになった。窓の外で、風が、低く鳴っている。バートンは、地図の上に置いた手を、動かさなかった。リントは、机の縁を握ったまま、うつむいている。誰も、次の言葉を、持っていなかった。
カイは、口を、開きかけて、やめた。この場にふさわしい言葉を、何ひとつ、持っていなかった。
* * *
翌朝。
カイは、格納庫で、ガルドと並んで、薬莢の選別をしていた。昨日の戦いで撃った分の空薬莢を、再装填できるものと、できないものに、仕分けていく。底を見て、潰れていれば、捨てる。無事なら、布で拭いて、箱に放る。それだけを、ひたすら繰り返す。指先が、すぐにかじかんで、何度も、息を吹きかけた。
単純で、退屈な作業だった。だが、手を動かしていると、考える隙が、なかった。
ガルドは、いつもより、口数が少なかった。普段なら、こういう作業のあいだ、昔の機体の話や、若い頃の与太話を、聞いてもいないのに垂れ流す男だ。それが、今朝は、口を真一文字に結んだまま、黙々と、手だけを動かしている。昨日の報告は、この老人の耳にも、もう入っているのだろう。誰も、ハイドクロフトの名前を、口に出さなかった。出せば、また、あの空気が、戻ってくる気がした。
それでも、ふとした拍子に、ハイドクロフト、という言葉が、頭をよぎる。昨日の夕方まで、そんな集落が灰域にあったことすら、カイは、知らなかった。知らないうちに、それは、もう、なくなっていた。
「守れなかった」
手を止めずに、カイは、小さく言った。
違う、と自分で思った。守れなかった、のとは、何か、違う。あの集落の名前を、昨日まで、知りもしなかった。
その先が、続かなかった。カイは、次の薬莢を、手に取った。底を、親指で、なぞる。縁が、わずかにひしゃげていた。少し迷って、それを、使えないほうの箱に入れた。
隣で、ガルドは、何も言わなかった。聞こえなかったのか、聞こえて、黙っているのか。ただ、潰れた薬莢を一つ、灰皿のような屑箱に、かつん、と放った。その音が、やけに、大きく響いた。
カイは、次の薬莢を、手に取った。底を、親指で確かめる。これは、まだ、使える。布で拭って、箱に入れた。
目の前の木箱には、仕分けを待つ空薬莢が、まだ、うんざりするほど、山のように、残っていた。




