武器商人の借り
ストーンクロスの市場は、旧採石場の底に作られていた。
切り立った岩肌に囲まれた平らな地面に、露店が、行儀悪く並んでいる。木箱の上に、乾燥肉や、穀物の袋が、雑多に積まれていた。その隅に、旧世界の工具が一山と、曇った薬瓶。値札には鉄片貨の数が書いてあるが、その場で物と物を交換していく取引のほうが、むしろ多い。冬の朝の冷気の中で、買い手も売り手も、吐く息が白かった。
カイは、その雑踏の匂いの中を、歩いていた。煮炊きの煙と、古い金属と、人いきれの混じった匂いだ。点検明けの目に、朝の光が、やけに白く沁みた。すれ違う何人かが、カイの顔を見て、軽く会釈していく。ケストレルの操手の顔は、この集落では、もう知れ渡っていた。カイは、そのたびに、ぎこちなく頷き返した。
その市場の流れに、ひと組だけ、毛色の違う一団が割り込んできた。
護衛らしい傭兵が二人。荷を背負った、装甲のない残殻が一機。その先頭を、一人の男が、悠々と歩いていた。
中背で、腹のあたりに、たっぷりと肉がついている。毛皮で裏打ちしたコートを、わざとらしく着崩していた。首には、この場違いなほど上等なスカーフ。
男は、笑っていた。目尻に皺を寄せて、機嫌よさそうに。だが、その細い目だけが、市場の隅々を、抜け目なく舐めていた。
市場の端の、空き倉庫。
そこが、その商隊の、臨時のねぐらになっていた。バートンに「クレスタの商人が来ている。話を聞いてこい」とだけ言われて、カイは、ここへ来ていた。バートンの声は、いつも通り平らだったが、その目の底に、隠しきれない警戒があった。
倉庫に入ると、男は、木箱に腰かけて、分厚い帳簿に、何か書きつけていた。
「おお。来たか、ボウヤ」
顔を上げて、男は、にっと笑った。
「ヒューゴ・デルガドだ。クレスタで、商売をしてる。……お前、テオ・セヴァルの倅だろう。聞いてるよ。顔は、似てないな。目だけは、似てる」
父の名を、こんな場所で、こんな男の口から聞くとは思わなかった。目だけは、似てる――その一言が、妙に、耳に残った。会ったこともない男に、父の何が見えたというのか。カイは、何も返さず、倉庫の冷たい壁に、背を預けた。壁の冷たさが、作業着越しに、背中に染みた。
「何の用だ」
「商売の話さ」
ヒューゴは、帳簿を、ぱたりと閉じた。
「あんたらに、弾と部品を、回してやる。ストーンクロスの倉庫は、もう底をついてるんじゃないか。七十五ミリ弾、残り、何発だ。五十を、切ってるだろう」
カイは、黙った。
正確な数は、知らない。だが、当たらずとも遠からず、だった。ダリオの隊との戦いで吐き出した分が、まるで補充できていない。昨日も、ガルドが、薬莢を一つずつ拾い集めて、再装填できるものを選り分けていた。それを、この男は、なぜか知っている。市場で世間話でも拾ったのか、それとも、もっと別の筋からか。どちらにしても、薄気味の悪い話だった。
「対価は」
「金は、要らん」
ヒューゴは、太い指を、一本立てた。
「借りを、作る。いつか、返してもらう」
カイの眉が、寄った。
「中身も分からない借りを、受けられるか」
「まあ、そう言うな」
ヒューゴは、また笑って、手をひらひらと振った。
「中身が決まってたら、そりゃあ、ただの取引だろう」
ヒューゴが、立ち上がって、奥に積んだ木箱の、蓋を一つ開けてみせた。
七十五ミリ弾の弾倉が、整然と並んでいた。油の浮いた金属が、薄暗い倉庫の中で、鈍く光っている。隣の箱には、関節部の補修パーツ。その奥には、薬の瓶を詰めた箱。どれも、灰域では、まずお目にかかれない品だった。ストーンクロスの工房が、何日もかけて削り出すパーツが、ここには、無造作に積んである。カイは、つい、その箱に目を吸い寄せられた。喉が、わずかに鳴りそうになる。慌てて、視線を、別のほうへ逸らした。ヒューゴに、見られていなかっただろうか。横目で窺うと、男は、知ってか知らずか、相変わらず、にやにやと笑っているだけだった。
「なぜ、灰域なんかに、売りに来る」
カイは、訊いた。
「セルヴィスかグランヴェルトに売ったほうが、よっぽど儲かるだろう」
「儲かるさ」
ヒューゴは、あっさり認めた。それから、声の調子を、少しだけ落とした。
「だがな、灰域がセルヴィスに踏み潰されるのも、グランヴェルトに呑まれるのも、こっちにゃ、都合が悪い。あの二つが、まともにぶつかり合えば、あいだに挟まったクレスタの商売の道が、根こそぎ潰れる。だから、あんたらには、もう少しだけ、粘ってもらいたいのさ」
カイは、ヒューゴの目を見た。
勘定の匂いは、した。その下に何があるのかは、初対面のカイには、読めなかった。読めないまま、賭けるしかなかった。
「借りを、受ける」
カイは、言った。
ヒューゴの思惑が何であれ、弾がなければ、明日、機体は動かせない。腹の足しになるなら、相手の腹の内まで、選んではいられなかった。
* * *
ヒューゴの商隊が下ろした物資が、市場の一角に並べられた。
弾薬。関節の補修パーツ。冬用のグリス。薬。包帯と、消毒液。話を聞きつけた住民が、ぞろぞろと集まってきた。バートンの差配で、物資は、まず防衛に要る順に、振り分けられていく。
カイは、その様子を、少し離れた岩陰から見ていた。
母親に手を引かれた子供が、背伸びをして、薬の箱を覗き込んでいる。年寄りが、補修パーツを一つ手に取り、目を近づけて、傷がないか、しつこく裏返していた。さっきまで、誰の顔にも貼りついていた強張りが、物が目の前にあるというだけで、ほんの少し、ほどけていく。カイは、それを見ているうちに、自分の肩からも、いくらか力が抜けているのに気づいた。
ヒューゴが、いつのまにか、隣に立っていた。
「ボウヤ。一つだけ、教えといてやる」
声から、さっきまでの飄々とした調子が、抜けていた。低く、乾いた声だった。
「グランヴェルトが、灰域で血眼になって探してるモノ。お前さんも、薄々、勘づいてるんだろう。あれが見つかりゃあ、世界の風向きが、まるごと変わる。いい方にも、悪い方にも、な」
カイは、黙って、ヒューゴの横顔を見た。何のことだ、とは、訊かなかった。父が隠して死んだ、あの設計データのことだ。それくらいは、見当がついた。
「大崩落で、俺の故郷は、焼けた」
ヒューゴは、不意に、そんなことを言い出した。空を、目を細めて見上げる。雪雲が、低く垂れ込めていた。
「焼いたのは、グランヴェルトだ。……それでも俺は、グランヴェルトにも、平気で武器を売る。鉄片貨さえ積んでくれりゃ、相手は選ばん」
その口ぶりは、淡々としていた。淡々としすぎていた。雪を踏む足音よりも、乾いていた。
「恨みじゃ、飯は食えんからな」
ヒューゴは、帳簿を、コートの内側に、するりとしまった。
「だが、誰に、何を、何発売るか。そいつは、俺が決める。そこだけは、誰にも、譲らん」
商隊が、出立の支度を始めた。装甲のない残殻が、荷を背負い直し、傭兵たちが、周りに油断なく目を配る。
カイは、ヒューゴの背中を、ちらと見た。それから、すぐに、物資のほうへ目を戻した。
弾は、来た。明日の分は、ある。それでよかった。それ以上のことは、今は、考えても仕方がなかった。
配給の列は、まだ長かった。子供が、もらった包帯を、宝物みたいに胸に抱えて走っていく。年寄りが、誰かと小声で何か言い合って、低く笑った。カイは、その列のほうへ、歩き出した。背後で、雪を踏む商隊の足音が、だんだん遠ざかっていく。振り返らなかった。




