浄化される集落
リントが偵察から戻ったのは、日暮れ前だった。
残殻キャリバーのコックピットから降りてきたリントの顔は、いつもと違っていた。首に巻いた赤いスカーフが風に揺れる。その目に、怒りがあった。
バートンの執務室に、カイとリントが揃った。リントは報告を始めた。声が震えていた。
「ストーンクロスの東方60キロ。ハイドクロフトが、浄化された」
ハイドクロフト。鉄根樹の林に囲まれた小さな谷間に、旧世界の農家の跡地を利用して建てられた集落だった。人口40人。残殻は1機も持っていない。自給自足に近い暮らしをしている、灰域の最も小さな集落の一つだった。
「セルヴィスの先遣部隊だ。アサルト・ドール『ポーン』の小隊が集落を包囲した。退去勧告を出し、応じなかった者を『危険分子』として拘束。建物は解体されて、前線補給基地に転用されている」
リントの拳が、テーブルの上で握りしめられていた。
「子供もいた。年寄りもいた。それを、ドールで追い立てやがった」
カイはリントの言葉を聞いていた。40人の集落。名前すら知らない場所。だがそこには人が暮らしていた。子供が走り回り、老人が日向で座り、誰かが畑を耕し、誰かが水を汲んでいた。
バートンは拳を握りしめていたが、声は冷静だった。
「リント。ハイドクロフトの住民は全員拘束されたのか」
「全員かどうかは分からない。林の中に逃げた者がいるかもしれない。だが集落の建物は全て解体されていた。跡形もない。セルヴィスの工兵がコンクリートの基礎を打ち直して、補給拠点にしている」
バートンが立ち上がった。窓の方を向き、背中をカイとリントに見せた。大きな背中だった。
「記録しろ」
声は低かった。
「何が起きたか。いつ起きたか。誰が命令したか。全部記録しろ。灰域の歴史は灰域が書かなければならない」
リントが頷いた。
「記録は取ってある。ハイドクロフトの位置座標と、セルヴィスの部隊識別番号。ドールの型番はSv-AD-IIポーン。歩兵随伴型の編成だった」
「ストーンクロスの東方60キロということは、本隊の進軍ルート上だ」
バートンが地図に目を落とした。
「ハイドクロフトだけじゃない。この先にある小集落も同じ目に遭う可能性がある」
カイは地図を見た。ストーンクロスの東に点在する小さな印。それぞれが集落だ。人口20から100の、灰域の小さな共同体。防衛力はほとんどない。セルヴィスの部隊が来れば、抵抗する手段がない。
「どうする」
カイが聞いた。
バートンは椅子に戻った。
「全ての集落に警告を送る。タリアの通信網を使え。セルヴィスの進軍ルート上にある集落に、避難を呼びかける。ストーンクロスで受け入れ態勢を整える」
「800人の町で、更に人を受け入れるのか」
「やるしかない。見捨てれば、バラバラに潰される」
リントが言った。
「助けに行けないのか。ハイドクロフトの住民を取り返しに」
バートンが首を振った。
「セルヴィスの前線補給基地を攻撃すれば、灰域側が先に手を出したことになる。コルヴァスの本隊到着前に消耗するわけにはいかない」
リントの目に悔しさが浮かんだ。赤いスカーフの下で、歯を食いしばっている。妹を連れ去られた記憶が、リントの中で燃えているのだろう。
カイは何も言えなかった。
* * *
夜。
カイはケストレルのコックピットに座っていた。起動はしていない。暗いコックピットの中で、計器の非常灯だけがぼんやりと光っている。
東の空を見た。ハイドクロフトがあった方角。夜空に何も見えない。当然だ。もうそこには何もない。40人の暮らしがあった場所は、セルヴィスの補給基地に変わった。地図の上の赤い印のように、一つの集落が消された。
カイは操縦桿を握った。
冷たい金属の感触が掌に伝わる。この機体で飛べば、ハイドクロフトまで1時間もかからない。だがそこに行っても、もう守るものはない。
「守れなかった」
声に出した。
誰にも聞こえない。コックピットの中で、その言葉が反響して消えた。
ハイドクロフトの名前すら、カイは知らなかった。リントの報告で初めて聞いた名前だ。知らなかった集落が消えた。知らなかった子供が連れ去られた。知らなかった老人が追い立てられた。
知らなかったから、守れなかった。
その言葉が、呪いのように胸の奥に沈んだ。




