ヘルガの調査隊
ルイ・ヴェルデからの通信は、いつも唐突だった。
カイがケストレルの日常点検を終えて格納庫を出た時、バートンの通信室から呼び出しがかかった。走って向かうと、既にガルドが先に来ていた。バートンが通信機の前に座り、スピーカーから若い女の声が流れている。
「――確認した情報を共有する。グランヴェルトの灰域介入が本格化している」
ルイの声は事務的だったが、内容は重かった。
「ヘルガ・キルシュが研究チームを率いて灰域に入った。鋳脈研究の知見を携えて、灰域の旧世界研究施設を調査している。技術者6名、護衛の汎殻4機、補給車3両。小規模だが精鋭だ」
ガルドの顔が変わった。
煙草を咥えたまま、その口元が僅かに歪む。バートンがガルドを見た。ガルドは何も言わない。バートンが代わりに聞いた。
「目的は何だ」
「二つある」
ルイの声が続く。
「一つ目は、テオ・セヴァルが隠した鋼城設計データの探索。グランヴェルトは鋼城の建造を進めているが、テオが持ち出した設計データの一部がなければ、最終的な調律ができない。二つ目は、灰域に残る旧世界の技術遺産の回収。大崩落以前の研究施設に眠る技術データを、グランヴェルトは手に入れたがっている」
カイはルイの言葉を黙って聞いていた。鋼城の設計データ。テオが命を懸けて隠したもの。それを、グランヴェルトは今も探し続けている。
通信が切れた後、カイはガルドに聞いた。
「ヘルガ・キルシュ。あんたの知り合いか」
ガルドは赤葉の煙草に火をつけた。辛い煙が天井に向かって細く昇る。
「俺の後を継いだ鋳脈研究の主任だ」
声は低く、平坦だった。感情を殺している声だ。
「元は同僚だった。リレー素子のハードウェアを俺が設計し、神経信号の変換アルゴリズムをヘルガが組んだ。俺たちのチームが鋳脈を作った」
カイは黙っていた。ガルドの過去が、また一つ姿を見せた。
「あの女は科学に善悪はないと本気で信じている。鋳脈者の身体データを感情なしに収集する。俺よりタチが悪い」
ガルドの目の奥に、かすかな苦みがあった。
「俺は逃げた。あの女は残った。残って、研究を続けた。鋳脈の適合率を上げ、鋼城の分散制御接続システムを完成させた。俺が逃げたから、あの女が全部背負ったんだ」
バートンが地図を広げた。
ストーンクロスを中心に、灰域の地理が描かれている。東からセルヴィスの進軍ルート。そして西に、グランヴェルトの調査隊の動き。
「三方からの圧力だ」
バートンの声は冷静だったが、その目は険しい。
「東からセルヴィス。西からグランヴェルト。ストーンクロスは二つの巨大勢力に挟まれている」
カイは地図を見つめた。ストーンクロスの位置。灰域の中央に近く、東西の交易路が交差する場所。だからこそ交易の要衝であり、だからこそ戦場になる。
「セルヴィスは浄化計画を前倒ししている。コルヴァスの本隊が10日以内に到達する」
バートンが指で地図の東を示す。
「グランヴェルトの調査隊は直接的な軍事脅威ではないが、鋼城の完成が近づけば、世界の力の均衡が崩壊する。どちらの勢力も、灰域を人間の住む場所としては見ていない」
ガルドが地図の一点を指差した。ストーンクロスの南西。
「ヘルガの調査隊は、旧研究施設を拠点にしているはずだ。ここから120キロ。俺が昔テオと調べた場所の近くだ」
カイはその地点を見た。地図上では何の変哲もない場所だった。旧世界の道路が交差する点に、小さな印がある。
「そこに行くのか」
「今は無理だ」
ガルドは煙草の灰を落とした。
「だが覚えておけ。あの場所は、いずれ重要になる」
バートンが椅子に座り直した。大きな体が椅子を軋ませる。
「セルヴィスへの対処が先だ。グランヴェルトの動きは監視を続ける。ルイに定期的な情報提供を依頼しておく」
カイは頷いた。
東からセルヴィス。西からグランヴェルト。灰域は挟まれている。だがストーンクロスには壁があり、人がいて、残殻がある。挟まれていても、ここに立っている。
格納庫に戻る途中、カイはケストレルの鉄紺色の装甲を見上げた。
テオが隠した設計データ。グランヴェルトがそれを手に入れれば、鋼城が完成する。セルヴィスが灰域を浄化すれば、冴覚を持つ子供たちが奪われる。どちらも止めなければならない。
だが今のカイには、目の前の戦いしかない。




