表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
折れた天秤

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

109/150

セーラの手紙

第3部「折れた天秤」。

アイリスからの暗号通信が入ったのは、夜明け前だった。

 ストーンクロスの通信塔は旧世界の送電塔を改修したもので、冬の風に鉄骨が軋む音が絶えない。リオンは通信室の椅子に座り、受信機に耳を当てていた。暗号鍵を入力し、ノイズの向こうからアイリスの声を拾い上げる。


「状況を報告する。コルヴァス本隊はストーンクロスの東方180キロ地点を通過。推定到着まで6日」

 アイリスの声は、いつも通り事務的だった。感情を排した報告。それがアイリス・トレントの流儀だ。軍の暗号通信は記録される。だからアイリスは報告以外の言葉を使わない。


 だが今日は違った。


「報告は以上。添付データがある。暗号鍵を第二層に切り替えろ」

 第二層。通常の軍用暗号とは別の、個人間の暗号鍵。リオンとアイリスの間でだけ共有されている古い鍵だ。リオンがセルヴィスの士官学校に在籍していた頃、暗号通信の訓練で使った鍵を、二人は捨てずに残していた。

 切り替える。ノイズが変わる。データが流れ込んでくる。

 テキストファイルが一つ。


 差出人の名が表示された瞬間、リオンの指が止まった。


 セーラ・アスフォード。


 母からの手紙だった。


 リオンは通信室の扉を確認した。閉まっている。外の廊下に人の気配はない。深夜の通信室は、リオン一人だ。

 テキストを開いた。


 ――リオンへ。


 文字を追うリオンの目に、母の声が重なった。セーラの声は柔らかく、低い。ケネスが不在の夜、リオンの部屋に来て、寝る前に話をしてくれた時の声。


 ――あの人はあなたを連れ戻そうとするでしょう。私は知っている。あなたは私に似た。一度決めたら止まらない。だから止めない。


 リオンは息を止めた。


 ――ただ、生きて。何があっても生きていて。


 それだけだった。

 手紙は短かった。母は昔から、多くを語らない人だった。必要なことだけを、正確に伝える。元通信士官。言葉の無駄を省くことが、セーラ・アスフォードの習い性だった。


 だが、この短さの中に、全てがあった。


 リオンはセーラがどうやってこの手紙をアイリスの暗号通信に忍ばせたのかを考えた。セルヴィスの軍用暗号は階層構造になっている。通常の戦況報告は第一層、個人間通信は第二層。第二層に添付ファイルを紛れ込ませるには、軍の通信プロトコルを知り尽くしている必要がある。

 セーラは元通信士官だった。退役して15年以上が経つが、暗号の基礎構造は変わっていない。セーラはその知識を使い、アイリスと協力して手紙を届けた。


 ケネスは知っているのだろうか。

 おそらく、知らない。ケネスが知れば、セーラの行為は軍法に触れる。参謀長の妻が脱走兵の娘に暗号通信を送った。それだけで拘束の理由になる。


 セーラはそのリスクを承知で、手紙を書いた。


 組織の中で娘を守れないと知っていたからこそ、組織の外にいる娘の無事だけを祈る。ケネスが「帰って来い」と命じた。セーラは「生きて」と祈った。同じ親でありながら、全く違う言葉を選んだ。


 リオンは手紙のテキストを保存した。通信機の記録からは削除し、データだけを小さな記憶媒体に移す。それを手のひらで握りしめた。


  * * *


 格納庫に向かった。

 トワの予備残殻(ざんかく)が暗がりの中に立っている。ガルドが調整してくれた残殻(ざんかく)。ポラリスとは何もかもが違う。装甲は薄く、計器は半分が死んでいて、関節の遊びが大きい。だがこの数日で、リオンはこの機体に体を馴染ませ始めていた。


 コックピットのハッチを開けた。冷たい鉄の匂いが鼻を突く。操縦桿は凍えるように冷たい。ポラリスの操縦桿は、握り続けていれば手の温度で温まった。この残殻(ざんかく)は、いつまでも冷たいままだった。


 リオンは手紙のデータを移した記憶媒体を、コックピットの内壁に小さくテープで留めた。計器パネルの影になる場所。外からは見えない。


 母の言葉を、この機体の中に置いた。

 ポラリスには、セルヴィスの紋章があった。この残殻(ざんかく)には、何もない。だから、ここに母の言葉を置く。


「母さん」

 リオンは声に出した。

「私はセルヴィスの人間として、灰域(アッシュランド)を守る。矛盾しているのは分かっている。でも、それが私の答えだ」


 コックピットの中に、自分の声だけが響いた。冬の夜明け前の冷気が、鉄殻(てっかく)の装甲を通して忍び込んでくる。


 リオンは操縦桿を握った。冷たい金属の感触。ポラリスほど応答は鋭くない。だが、握れば動く。それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ