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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
折れた天秤

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管区の食卓

粥の湯気が上がっていた。

 ストーンクロスの食堂。旧世界の倉庫を改修した広い空間に、長テーブルが3列並んでいる。天井のランタンが薄暗い光を落とし、壁際の竈で大鍋が煮えている。マーサ・ウィンターが長い柄杓で粥を掬い、器に注いでいく。


 リオンは木の器を受け取った。

 雑穀と乾燥豆の粥だ。塩味しかない。色は灰色に近い白で、見た目に華やかさは皆無だった。口をつける。穀物の粗い食感が歯に当たる。味は塩のみ。


 だが温かい。

 冬の灰域(アッシュランド)で、温かい食べ物があること。それだけで十分な幸福だった。


 マーサが隣に座った。大柄な女性で、腕には調理の火傷痕がいくつもある。

「食べ物はね、温かければ半分は合格なのよ」

 マーサは自分の器を持ち上げ、ふうふうと息を吹きかけた。

「残りの半分は、一緒に食べる人がいること。食べ物なんてそれだけでいいの」


 リオンは頷いた。


 * * *


 記憶が蘇った。


 アスフォード家の食卓。

 白いテーブルクロスの上に、セーラが作った食事が並んでいる。焼きたてのパン。バターの匂い。季節の野菜のスープ。管区農業地帯から直送される林檎が、ガラスの器に盛られている。


 ケネスは向かいの席で黙々と食べている。食事中に仕事の話をしない。それが暗黙のルールだった。戦略地図の赤い印も、部隊の再編も、灰域(アッシュランド)浄化のスケジュールも、この食卓には持ち込まれない。食卓だけは「普通の家族」でいられた。


 セーラが微笑んでスープを注ぎ足す。

「もう少し食べなさい、リオン。明日の訓練に備えて」

 温かいスープ。柔らかいパン。フォークとナイフ。磨かれた食器。


 それが当たり前だった。

 一度も感謝したことがなかった。


 * * *


 記憶が途切れた。

 リオンは木の器の中の粥を見つめた。


 灰域(アッシュランド)の食卓は質素だ。パンもバターもない。スープには季節の野菜が入る余裕がない。果物は贅沢品で、砂糖は更に貴重だ。食器は木か陶器で、フォークの代わりに木の匙を使う。


 だがここには、フォートレスにはないものがある。

 明日も食べられるかどうか分からない。だからこそ、一杯の粥に感謝する。セルヴィスの食卓には、その感謝がなかった。毎日食事が出ることが当たり前すぎて、食べるという行為の重みが消えていた。


 マーサが立ち上がり、鍋から二杯目を注いでくれた。

「お代わりもできるわよ。今日は穀物が多めに入ったから」

 リオンは「ありがとう」と言った。自分の声に驚いた。フォートレスの食卓で、食事に対して「ありがとう」と言ったことがあっただろうか。


 カイが隣に座った。

 同じ粥をかき込んでいる。木の匙で無造作に食べ、器の底を擦って最後の一粒まで攫った。


「美味いか」

 カイが聞いた。


 リオンは少し考えた。

 美味い、とは思わなかった。客観的に言えば、塩味しかない雑穀粥だ。フォートレスの食卓に並べれば、誰も手をつけないだろう。


「温かい」

 リオンは答えた。

 カイは「それで十分だ」と言った。


 マーサと同じ言葉だった。

 リオンはそのことに気づいて、少し笑った。口元が緩んだだけの、小さな笑みだった。

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