ダリオ・メイスの耳鳴り
灰域の夜は音がない。
リーヴ・シェイドは銘殻のコックピットで目を開けた。野営地の外を見渡す。セルヴィスの灰域浄化部隊が、白い雪原の上に陣を敷いている。汎殻12機。アサルト・ドール「ポーン」の小隊。補給車両5台。それが本隊の先鋒だった。
リーヴは本隊と共に後方にいる。前線にはダリオの追撃隊が先行している。
通信回線を開いた。
「ダリオ。進捗を」
数秒の間があった。それから、ダリオの声が返ってきた。
「ストーンクロスまで残り40キロ。明日の午後には接触圏に入る」
声に混じるノイズは通信機のものではない。ダリオ自身の聴覚が劣化している。左耳はほぼ機能しておらず、右耳にも高周波のノイズが常に入り込んでいる。鋳脈の代償だ。
リーヴはそれに気づいていた。だが何も言わない。
ダリオは30代半ば。コルヴァスの中で最も長く戦場にいた男だ。遊肢2基を堅実に操り、派手さはないが穴もない。部隊運用の手腕ではリーヴより上かもしれない。だが体は既に限界に近い。
「了解した。無理はするな」
「了解」
通信を切った。
* * *
フィンが格納庫テントから歩いてきた。
コルヴァスの隊員。カイの残殻と交戦し、敗北した経験を持つ。それが未だに尾を引いている。
「隊長。あの残殻乗り、ストーンクロスにいるんですよね」
「ああ」
「次は負けません」
フィンの目には闘志がある。だが同時に、焦りもある。リーヴはそれを見て、何も言わなかった。焦りは戦場で人を殺す。だがフィンに忠告する気にはなれなかった。フィンの焦りは、かつての自分に似ていたから。
ナディルが焚き火の前で毛布を被っていた。灰域出身の後輩。リーヴと同じように、セルヴィスに「保護」されて軍人になった少年だ。19歳。鋳脈処置を受けてまだ2年。遊肢2基を操れるが、精度は不安定だった。
「寒いですね、隊長」
「ああ」
「灰域の冬って、こんなに寒いんですね。管区じゃ暖房があったから」
ナディルは灰域で生まれ、4歳でセルヴィスに引き取られた。灰域の記憶はほとんどない。リーヴは違う。7歳までの記憶がある。焼け跡の匂い。飢えた腹。凍えた夜。
リーヴは灰域の空を見上げた。
灰色で、冷たくて、何も約束してくれない空。
自分の左手を見た。
手袋を外す。指先が白い。血色が悪い。寒さのせいだけではない。触覚が薄くなっている。操縦桿を握った時の圧力が、以前ほど鮮明に感じ取れない。
それでも遊肢は動かせる。まだ、戦える。
* * *
夜が深まった。
リーヴは通信を切り、銘殻のコックピットで一人きりになった。
暗いコックピットの中で、遊肢の懸架アームが頭上に折り畳まれている。4基の遊肢。自分の指の延長。自分が手にした力。
呟いた。
「お前はなぜ鋳脈を拒む、リオン」
声は誰にも届かなかった。
「俺が受け入れたものを」
答えはない。
リーヴは目を閉じた。左手の指先の、薄れていく感触を握り締めた。
ポーン -- セルヴィスが運用するアサルト・ドール(型番Sv-AD-II)。歩兵の代替として大量投入される突撃型無人機である。




