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無音の魔術師  作者: 芹沢十嘉
第三章 英雄
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9.仮面の下


 アリスティは、変わっていた。

 人の気配がすると不安そうに辺りを見回し、人が見えたらすぐ武器を取れるように身構える。金属音に敏感で、銃の手入れ中にドライバーを落とした時なんて、矢を向けられた。

「ごめんなさい……」

 仕方なく、遠回りだが林の中を選んで進む。あまりに遠回りだから人はほとんど通らないらしいが、一応整備された道が林の中心を通っていた。

「別に。射殺されるよりましだ」

「殺さない」

「いや、殺されかけた」

「あれは違うの。正当防衛」

「俺、何もしてない」

「私だって、あれは手が滑っただけ!」

 嘘つきめ。俺を殺すつもりなくせに。

 それでも俺は彼女と行くことを選んだ。殺されても仕方ないと言う気持ちと、アリスティは俺を殺せないという思い上がりと、そばにいたいという気持ちで。

「冗談だよ。で、あなたは何故帝都に行くんだ?」

「あ、まだ言ってなかったっけ」


 アリスティは、笑顔だった。

 泣いてる時の目だった。


「言葉を伝えに」

「言葉?」

「そう。私はあなたの恩人を手にかけた、って」

 息が、止まった。

 俺の恩人を、殺したと言った。もしくは先輩のだが、アリスティは先輩と面識はないはずだ。

 つまり、俺を助けてくれた、あの子。

「それと、暗殺」

「……言っていいんですか、それ。バレたら暗殺じゃないだろ。馬鹿だろ。俺がシャルルのスパイだったらどうするんだ?」

「それならそれで、いいかもね」

「何だよ、それ」

「なんとなく、ウォルテならそれでも言わない気がする。でも、ウォルテがスパイなら、納得しちゃうかもな」

 嬉しくない。

 裏切れない。

 彼女は、無意識に俺を縛り付けて、身動き取れない俺はただ見ていることしか出来ない。

 でも、それでは何も変わっていない。俺には、守らなければいけない仲間がいる、裏切れない人がいる、仇を討たなければいけない。

 声は震えそうになって、でも、残酷なことに恨みは抱かなかった。

「その時は俺を殺せよ、アリスティ。お前は中途半端に甘い。仲間も自分も失うぞ」

 俺の言葉は心の刃だ。傷ついた彼女を傷つけるだけのものだ。だが、今、まさに戦場にいる者たちがいる。傷ついていない人など、いやしない。

 罪悪感は俺の心を抉りつつ、縋れる救いでもあった。

「聞いているのか?」

「聞いてる」

「だったら」

 何故、嬉しそうに笑うんだ。

 あの頃と変わらない、嬉しそうで楽しそうで、一歩引いた笑顔。

「ウォルテは、優しい人だね。うん、だから大丈夫」

「お前な……」

「それより! 折角だから楽しい話をしようよ。あ、そうだ、ついでに狩りでもしない?」

 話は切られた。俺にはそれを再び繋ぐ力は無かった。

 歩みは止まらず、ひたすら前に進みながら俺は黙っていて、アリスティは俺の言葉だけ何も言わずに待っていた。

「めんどくさい」

 散々悩んで、出たのがこれとか笑えない。俺の語彙の少なさも、感情表現が下手なところも、ため息ものだ。こんなんで人とコミュニケーションなんて取れる訳が無い。

「大丈夫! 私強いから!」

 だが、アリスティの様に論点がずれたりはしない。

「別に、強くなくていい」

「え?」

 アリスティは俺を見上げて、俺は見下ろした。

 仮面の奥に隠したはずの瞳を見られているような、真っ直ぐな視線。

 最低な気分。

「二人で狩りする意味がない」

「……!」

 きらきら輝く瞳が鬱陶しい。

 ああ、俺は何しているんだ。

「少しだけだからな」

「やったー!」

「やかましい」

 気が紛れるのならそれでもいいか、と自分に言い聞かせた。


×××××


 その後は、小さな獣を数匹狩って、二人で捌いて、夕飯にした。久しぶりに新鮮な食べ物を食べた気がする。果物とかは採って食べていたけれど、新鮮な肉となれば話は別だ。

 今日は早く寝てしまおう、そう話して地面の石を軽く除いて布を引く。ここに寝るのはアリスティだ。

「ウォルテ、今日はごめん」

「改まってどうした」

「あー、進む方向から外れてしまったから」

「その覚悟で了承したから別にいい」

 アリスティはそのまま、しゃがみこむと、布をバシッと叩いた。

「で、お詫びと言ったらあれですが、今日はウォルテがここで寝てください!」

「はぁ……、で、あなたは?」

「いつもの君みたいに」

「却下」

 いつもの俺、と言うと、木を背もたれに座って寝ていた。足腰痛い上にこの季節は虫が酷い。

 最悪の状況だ、というところだがエルフは森の民でもある。実は問題ない。虫がうるさいだけだ。

「あなたの方が体力無いんだから、しっかり寝て溜め込んどけ」

「……そういう君だって、ふらふらするじゃん」

「夕方だけだろ」

「じゃあ一緒に」

「却下だ」

 馬鹿が馬鹿を言い始めた。相当俺を怒らせたいらしい。もう怒ってる。どこまで考えなしな奴なんだ。いや、何も考えていないのではないか。

「冗談だよ。流石に前みたいな馬鹿はしない」

「前……?」

 彼女は変わっていた。

「うん。好きな子が、いたんだ。だけど私、何も知らなくて、きっと沢山迷惑かけたなって」

 いろいろと、分かるくらいに世界を知って、それでも自分のままでいようと抗っているかのようだった。

 そんな、彼女に少しの物足りなさも感じつつ、自分が過ぎ去っていった人物になっているのが分かってしまった。


×××××


 彼は、優しい人。

 よく人を見ている。私はそれに甘えてばかりで、でもどうすることもできなかった。

 彼は無口だった。

 必要以上に声を出さない。声をかければ大体は返事があるが、自分からはあまり話しかけてこない。

「ウォルテ」

 声をかけても反応はなかった。夢の中にいるのかもしれない。

「……ゼシカ」

 その顔が見たいと言ったら、どんな反応をするだろう。見たい、見て、確信を持って仲良くなりたい。

 重ねてしまう人から切り離して、彼自身を見たい。

「……あ」

 駄目だ。

 嫌な予感しかしなくて、彼の隣は心地良くて、なのにずっと落ち着かなくて。

 だって、彼は、

「ん……? 何しているんですか、アリスティ」

 手を、掴まれた。

 彼の仮面に触れた手を。フードで陰った仮面は、私を睨みつけていた。

「け、がしてるって……」

「ああこれ、してるよ。痕が残ってる」

 彼は、ため息と共に言葉を紡いだ。

「見たいですか」

「離して……」

「離さない」

「どうして」

 口元が弧を描いた。

 皮肉げな表情、諦め半分の冷めた笑顔。それが、答えだった。

「嘘つき。あなたは嘘つきだ」

 分かってしまった。だから悲しくて、会えて嬉しくて、涙が出そうになるが、溢れなかったのは、奇跡だ。

 空いているもう一方の手で、彼の仮面を外した。ゼシカはもう、止めなかった。私の意志に任せて黙っている。

 仮面は乾いた音と共に外れた。暗闇に浮かぶのは暗い緑の瞳。あの時あの戦場で見た人だった。

「久しぶりですね。元気そうで何より」

「嘘! 私は言ったよ? 恩人を殺したって」

「……それが? 俺だってあなたの仲間を何十人と殺してますけど」

 ゼシカの瞳には怒りが、絶望があった。手を離されても私は動けなくて、ゼシカは苦笑する。

「逃げればいいのに。愚かな奴」

 彼の両手が私の頬を包み込んだ。あの時のように、優しく、まっすぐ私を見つめていて、私も彼を見つめていた。

「いろいろあった」

 額に額が押し付けられ、体が熱くなる。

 ああ、離してほしい。今すぐ自由になって頭を冷やしたい。こんなに苦しいのなら会いに行こうだなんて考えるべきではなかったのだ。まだ、覚悟も本当はろくに出来ていない。

 だけど、今、離れたら、ゼシカは目の前から消えてしまいそうで。私はじっと耐えた。

「ですが、会いたかったです。悔しいけれど」

「どうして、笑ってるの?」

「知りませんよ。いつもへらへらしていたあなたなら分かるのでは?」

 ゼシカは、少し変わっていた。棘があるけど毒もあるけど、柔らかさが加わって、訳が分らない。

 私のいない間に、ゼシカにも何かがあった。

「さて、俺を殺しますか?」

 やはり意地悪だ。

「そっちこそいいの? 私を生かしたままで」

「俺は、あなたに死んで欲しくない、と言ったはずですけど。変わってはいませんよ」

「ひどい」

 でも、このまま帰るわけにはいかない。私はみんなの為にここまで来たのだから。

 ヘンリーの優しさに甘える気はない。多くを殺した。今更なのだ。

 私は、無防備に私を見つめる彼を。

 私は、私の手で。

 私は、私はそうしたら、

「それとも、二人で逃げますか? 今度こそ」

 もし、そうしたら、私はどうなるの。

 背中に手が触れて、引き寄せられた。懐かしい匂い。そしてほんのりと血の香り。

「私は、行けない」

「奇遇ですね、俺もだ」

「じゃあ、なんでそんな事」

「君が泣いたら、それでもいいかなって思っただけですよ」

 そしてゼシカは、私の額にキスを落とした。



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