10.例えて言うなれば
朝は思ったよりもずっと遅くにやって来た。心が暗闇を吸い込んでいき、空は明るくなっていく。
このあと、どうするべきか。
俺は彼女をこのまま帝都へ連れていくべきなのか。それとも返すべきか。
シャルルの不穏分子を狩る、という選択肢は無しだ。
「さて、夢落ちってことにしてもいいが」
流石にバレるだろうな。
多分。
「アリスティ、朝だぞ」
「…………」
大丈夫、分かってた。起きないことはわかってた。
俺だけの意思だったら、彼女を連れてアスパティ市学園まで行くが、そこにアリスティの意思が絡むと、出来ない。なんせヴィクトル先輩まで狙われている。
「ゼシカ」
「あ、おはようございます」
「おはよー」
「水、飲むか?」
「うん」
「………………」
「……………………」
気まずい。
気が気いた言葉なんて吐けないけど、これはなんだ、試練か。
アリスティは水を一気に飲むと、長い息を吐いた。
何か言いたそうに視線を動かし、落ち着きもない。
「あ、あのさ、ゼシカ」
「何か」
「今更な上に、アレなんだけどね、その」
「早くしてくれますか、もどかしい」
赤くなったり、青くなったりしながら、アリスティはさんざん迷って、小さく、
「君は、私が……す」
「す?」
「す、すすすす」
聞きたいことはよく分かった。だが、尋ねられていないことに答える義理はない。
あと、面白い。
「す、好き、なんでしょうか…………?」
なぜ敬語。
アリスティは耳まで赤くして俯いているが、俺は『すすすす』行っているあいだに覚悟していたから心に動揺はない。
「聞きたいんですか」
こくり、と頷く。
「後悔しませんか」
頷かない。
俺はなんとなく呆れた気分で彼女を眺める。
そう言えば、嫌いとしか言ったことがないのか。別れてから色々あって、彼女への気持ちははっきりしたが、言ってないのか、俺。
「後悔、するけど、聞く」
想いを告げられて、答えを返していないなんて、最低だ。
だが、この場合どうする。戦場であった時、刃が鈍らないだろうか。鈍るはずだ。でも、アリスティの気持ちは分かっている。眠ったゼシカ・メフィルスを殺さなかった。つまり、言葉にしようがどうしようが、変わらない。
俺も、言おうが言うまいが変わらない。
落ち着いていた。だが、喉が締まる。頭は痛むし、口の中はカラカラに乾いていた。
戻れなくなる。この気持ちに名前をつければ、俺はもう、引き返せない。
自分を騙せない。
「好きですよ」
言うなれば、それは鎖。
聞いておきながら、信じられない、というような顔で俺を見るアリスティ。
「わ、私も、です」
「…………知っていますが」
なんせウォルテに話していたからな。エピソード交えて。
「俺が好きなら、一緒に来ますか」
「ゼシカが来てよ」
「俺が行けば殺されるけれど、いいんですか」
「うぅ……」
ああ、別れが近い。
後悔したのは俺だったかもしれない。
アリスティは立ち上がると、広がっていた布を畳み始めた。俺もおもむろに朝ごはんの準備を始める。
取り敢えず果物を剥いて、燻しておいた肉を切る。水を汲んで沸かしたら、摘んだハーブでお茶を入れた。
「や、やっぱり植物好きなんだね」
「…………」
「お肉も美味しくできて良かった、なぁ」
「………………」
「そうだ、えっとゼシカ」
「なんなんですか。食事も静かに出来ないんですか。元々貴族だったんですからその辺の作法くらい身についていますよね?」
「…………ハイ」
この旅の終わらせ方を見失った俺は、少しだけ不機嫌だが、態度に出すつもりはなかったんだ。本当だ。
××××××
赤髪は、槍を振るった。
赤髪は、槍を突き出した。
その戦いはあまりに凄まじく、両国の兵士は遠巻きにしていた。
「シャルルには、銃器が無いでしょ? 勝ち目なんて無いね」
拳を振るってくる野蛮な女は、ベラベラ喋っていてうるさい。
俺は跳んでよけながら、現状把握をする。
俺のすぐそば、町の中央広場でアクロバティックな戦いをしているのがタウフェニス兄弟。そこから西にシャルル、東にロテリアがいて戦っている。ロテリアには銃もあった。
「量産型の銃はたいして威力も出ねーだろ」
屋根から吠える。
鉄の爪を握り直すと、屋根の上によじ登ってきた兵を蹴り落とし、俺も飛び降りる。
血は踊らない、高揚しない。
ただ武器を振り回し、それらを狩り倒すのみ。
俺は、黄昏の自由を奪っていたロテリアを恨んでいるし、黄昏が手に入れた自由を奪ったロテリアを憎んでいる。
「裏切り者なの、猫ちゃん」
女は驚いたように目を見開いたあと、少し納得したように息を吐いた。
「ま、うちの団長も裏切り者だっけ」
そうだ、俺は裏切り者だ。
ロテリアを裏切り、シャルルにいる、裏切り者だ。だが、もとよりロテリアは俺に優しくなかった。
シャルルは、俺に楽しいことをたくさん教えてくれた。
仲間をくれた。
自由をくれた。
そんな場所を、守るのは俺の役目だ。
「シャルルは裏切らねーよ」
この町は多分、守りきれない。だけど、少しでも敵を削ればこの戦争に少しでも有利に持っていけるかも--
「え? 休戦?」
発炎筒。
それはこの町のみで、両軍に向けられた合図の煙。
でも、どうしてそんなことに?
「ヴィクトル……?」
さっきまで化物じみた戦いを見せていた彼がそばに来た。手に余計なものをつけて。
「ここは守れない、確実に。既に兵を無駄にする理由もない。だから、交渉した」
「どういう、ことだよ」
「僕の命で、君らの命を買ったんや」
まさかそんな価値があるとは思わなかったな、と言いながらヘラヘラ笑っている。
耳を疑った。
ヴィクトルは軍師ではない。指揮官ではない。
彼は例えるなら英雄で、騎士だ。
馬鹿だ。そんなのは無駄だ。
そんなことで、誰も助けられない。
「なんでだよ! バッカじゃねーの?」
「かもなぁ」
「なんだよその手錠! このダボ!」
信じられない。
だが、ヴィクトルは笑っている。
余裕とは違う、笑み。何か、隠しているのか、わからない気味の悪い笑顔。
「大丈夫や。みんな、守ったる。安心し」
「手錠かかってんだろ!」
「あー、縄やし、いつでも外せる。それより」
ヴィクトルは小声で俺に囁いた。
「戦場には行かんでくれや、ライラック」
「はあ? 何言ってるんだよ」
「いいから、頼むわ」
それからみんなにも同じような説明をし、全員返した。俺を含めて全員。
何故ロテリア兵もそれをそのまま見逃すんだ。
何か理由があるはずだ。俺たちを見逃しても余りある、何かが。
君らが死んだら、シャルルの兵は一気に減る。守りを固めろ、要塞の壁になれ、民を守れ。
ヴィクトルはそう言って、ロテリアの手に落ちた。愚かな選択だとしか、思えなかった。俺にすら何も教えてはくれなかった。
そして、ヴィクトルは帰って来なかった。




