雪の夜―たどり着いた未来 (トリスが結婚した年の冬)
トリスは妻を起こさぬように静かに起き上がった。
日付が変わったばかりの時間帯。
服を着替え寝室を出てから小さな光球を手元に発生させる。
外はしんしんと雪が降っていた。
あの日と同じ。
一歩外に出て、震える。
ただ、あの頃の自分は寒さを感じなかった。
いくら服を着込んだとはいえ、冷気は容赦なくトリスの身体を冷やす。
トリスは呪文で服や靴に熱の空気を送り込む。
積もり始めた雪に足をとられないよう足元を照らしながらたどり着いた先は――
共同墓地だった。
「…姫」
自分が恐ろしい化け物だった間は特殊な性質のせいでここに来れなかったが、人間に戻ってまともに立てるようになってから、真っ先に訪れ、その後、命日には毎年欠かさず、ここに訪れている。
今、ここは共同墓地の隅になっているが、200年前はこの付近が共同墓地の中心だった。 だが、今は所々に墓石だった石が転がっているのみだ。
名も書かれていない墓石に積もった雪を丁寧に払う。
エリエールの墓参りの後も、命日には訪れるのだからと今の今まで報告は後回しにしていた。
手には何も持っていない。未だどんな花を供えれば良いのかわからずにいる。
特に今年は……ここに来るか躊躇った。
彼女の裏切りを咎めたくせに、自分は別の女性と結婚した。
200年も経って、今さら彼女に咎められるいわれがないのだとわかっていても、胸の奥に小さな棘が刺さる。
背後に気配を感じる。 こんな夜中に……幽霊?まさか。
いつでも呪文を唱えられる心積もりをして振り返ってみると、見知った……というよりか毎日見る顔だった。
「ロザリーどうした」
「昼、お参りに行ったら私が怒るって思ったんでしょ」
「べ……別にそういうわけじゃ」
まあ、エリエールの墓参りの時もあんまりいい顔はしなかったから、今回一人でこっそり来たのだが。
「これが敵の墓ね」
「て、敵?」
トリスが戸惑っている横で、妻が一歩墓に近づいた。妻の言葉と表情に不穏なものを感じる。
「お願いだから墓石転がすなよ。これは姫のだけの墓石じゃなくって、姫の家族や子孫も葬られているんだから」
「えー?」
冗談で注意したつもりが思いっきり不満そうに返された。
墓を蹴飛ばすつもりだったんかい!
姫個人しか眠っていなくても、死者の墓を荒らすなんて言語道断だ。
「ちょっと、蹴飛ばすぐらい良いじゃない。周りの墓なんて石ころだか墓石だかわからない状態になっているんだし。こいつがいなかったら、あんたひどい目にあうことなかったんじゃない?」
トリスがあんな姿になったのは、たまたまあの時使い方を間違って神が罰を与えたからに過ぎない。
それ以前にも罰を受ける可能性は十分にあったし、今後も使い方を誤れば、神は何度でも罰を下すだろう。
自分は姫への怒りも執着もとうの昔に捨てたつもりでいたが、姫との関係を説明した時、そんなに感情をむき出しにして姫のことを悪く言ったのだろうか。
エリエールの墓参りの時は、ついて来なくていいって言ったのに、ぶちぶち文句言いながらマフィンを焼いて墓参りに付き合ってくれた。……今回はなぜか蹴飛ばす気満々なんだ。
「あんたを裏切った姫の墓を、世話する子孫がいないからってなんであんたが親切に世話しなきゃなんないの。ほっとけばいいじゃない。馬鹿真面目に世話しているあんたを見てると腹が立って腹が立って」
妻にとっては、会ったこともない人だ。トリスのために怒ってくれているのはわかるが、嬉しいというよりもなんだかくすぐったい感じだ。
「でも、いい気味。子孫が絶えたなんて」
このまま放って置いたら後日、改めて墓を荒らしに来ないとも限らない。それに言葉が過ぎる。
仕方が無い。ちょっと釘を刺しておくか。
「……姫の子孫は絶えたわけじゃないよ。この下、骨だらけになったから、今の共同墓地に新しい墓を作っただけ。新しい墓ができて二・三代はこの墓も見に来ていたようだけれど、時代とともに忘れられていった。この一帯は大体はそうだな」
「そうなんだ」
「姫には子どもが4人いた。一人は他の村へお嫁に行ったけれど、他の3人はこの村で結婚した。狭い村だから、代を重ねていくごとにほとんどの家筋にその血が入っていったはずだ」
まあ、アイリスほど姫の血を継いでいるとはっきりわかる子孫は他にはいないが。
「つまり、彼女は君のご先祖の可能性がある。私が姫と結婚していれば、君は生まれなかったかもしれないし、私は君に出会えなかった」
「……」
ロザリーは姫が先祖かもしれないということに思い至らなかったのか、さすが言葉を失っている。
「お願いだから、私の好きだった人をあまり憎まないでくれ」
ぎりっと歯を噛み締める音が聞こえ、強く睨まれる。
「じゃあ……」
「はいはい」
消え入るように言われた言葉は、なんとも墓場に似合わないものだった。
なんでこんなところで言うかな?一応了承の意を伝えた途端、ぐいっと引っ張られる。
「っ、ここで?ここ墓場!? ロザリー、わかっていると思うけれどそういうことは墓場でするもんじゃないよ。家に帰ったら、いくらでも……」
さて、『キスして』なんて、墓石を蹴飛ばすのと同じくらい非常識な願いをどうやってやり過ごすか。
「順序はきっちりつけときたいの。うちの旦那をコケにした上に、旦那の心の中にでんっと居座られるのがいや!」
「なんで死んだ人をそんなにライバル視するのかなぁ。もう私は彼女のこと怒っていない……よ?」
エリエールのことをレイス先生から聞き出したりして、かなり気にしていたようだし。
すべて言い終わらないうちに妻は目を吊り上がる。
失敗した。落ち着くように言った言葉が、逆に妻に火をつけたようだ。
「ライバルじゃない! 大体そこが一番許せないのよ! 死んだ人をかばっているのがものごっつうむかつくの! あんたの中では誰とも比べられない可愛らしい天使かもしれないけれど! 200年前のこと、お姫様が別の男に走ったのは自分のせいかもって思っているなら、それは○○女の洗脳よ。エリエールさんはライバルだけれど、お姫様は敵よ!」
夜中の墓地で妻は、息が上がるくらい怒鳴っていた。(一部、女性が言うべきではない言葉ががまぎれていたので伏字)
比べられない……もし姫とロザリーが同じ時代に生きていたら……比べられないどころか、妻にとってひどい選択をする可能性さえある。
確かにあの時、怒りは姫ではなく、すべて青年に向いていたし、姫が他の人を選んだ理由も自分の側に原因がなかったか200年の間ずっと探していた。
「声を、感情を、押し殺して、全部を諦めて淡々と語っている旦那の姿を見ていると、くやしくって。うっ」
嗚咽をもらして泣き出す妻の背に手を回し抱き寄せる。
私の中の姫は、11歳の……絵本を読んでやった頃の姫のままなのかもしれない。
こうやって、妻を抱きしめている間も、ちっさな頃の姫の姿を鮮明に思い出す。
「今は絶対この女許せないけれど、許せるようになったら、“わさび”と“からし”くらいは供えてあげてもいいわ」
『エリエールさんはライバルだけれど、お姫様は敵』と怒ってくれる姿は可愛くて、頼もしくて。
だが、200年想い続けていた……幻想はきっと完全には消せない。
消せないことを申し訳なく思う。
「奥さんが、凶暴でいてくれてよかったよ」
妻の身体を温める呪文を呟いて、彼女の額にくちづけを落とした。
いつの日か幻想に囚われた馬鹿王子を、鉄格子をぶち壊して、横っ面をひっぱたいてくれるだろう。
男としては『囚われの馬鹿王子』なんて嫌なので、できる限り自力での脱出を試みるが。
「なっ、それどういう意味!?」
妻は、泣くことを忘れていた自分に泣いてもいいのだと言い、今日も雪の中で私の代わりに怒り叫んで、泣いてくれた。もっと怒ってもいいのだと。
「帰ってから、続きをしよう」
トリスが手を差し出すと、真っ赤に怒ったままそれでも妻は夫の手をとった。
一緒に怒って、笑って、泣いて……二人で歩いていこう。




