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その痛み、鎮痛剤じゃ治りません 〜心身の歪みが“黒い墨の霧”として視える異能の鍼師が、薬に潰される現代人を救う〜  作者: 蒼野湊
第3章 ツボは、動く

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第8話 動くツボ

 お疲れ様です。

 今回は、本作でいちばん書きたかった一本です。逃げるツボを追いつめて、柊木が細い鍼を、たった一本だけ沈めます。

 強く響かせる鍼と、静かに聴く鍼。その違いが、ひとりの若者の腰で決着します。どうか、息をひそめて見守ってください。

 翌日も、陸は施術ブースにやってきた。

 昨日より顔色はいい。けれど腰をかばう歩き方は、まだぎこちなかった。

「先生。ネットで調べたんですけど」

 うつ伏せになりながら、陸が言う。

「中国鍼っていうの、太い鍼でグッと響かせるって書いてあって。あれのほうが、効きそうじゃないですか。ビリッてくるくらいのほうが、ちゃんと効いてる感じして」


 柊木は、布の包みをほどいた。

 現れたのは、髪の毛と見まがうほど細い、頼りない一本だった。

「これは、その逆の鍼です」

「逆?」

「響かせて、身体をびっくりさせる鍼もあります。それも、立派な技術です。得気とっきといって、あのビリッとくる感覚を狙って出す。けれど俺は、響かせません。聴くんです」

「聴く……」

「あなたの身体が、今どこで何を我慢しているのか。それを、こっちから怒鳴って聞き出すんじゃなくて、黙って耳をすませる。だから、細いんです」

 陸には、半分も意味が分からないようだった。それでいい、と柊木は思った。分かるのは、終わったあとでいい。


 柊木は、陸の腰に手をかざした。

 昨日、逃げたツボ。今日は、また違う場所にいた。整体で力をこめられた一点を中心に、固さは渦を巻き、上へ、また内へと、息をするように位置を変えている。指で探せる表の張りと、本当に詰まった芯とが、はっきりとずれている。

 柊木の眼が、その渦の中心を捉えた。

 そして、その奥に視えたものに、彼は手を止めた。

 腰の澱の、さらに底。心臓のあたりへ向かって、黒い霧が細く糸を引いていた。それは、痛みの色ではなかった。怖れの色だった。


「速水さん」

 柊木は、ツボを探る手はそのままに、静かに尋ねた。

「来週のライブ、本当は……出たくない、なんてことは、ありませんか」

 陸の肩が、びくりと固まった。

「なん……で」

「身体が、そう言っているので」

「……っ、ちが、出たいです。ずっと、あのステージに立つために」

 陸の声が、途中で崩れた。

「でも、こわいんです。もし、あそこで誰の心にも響かなかったら。事務所の人に、何も言ってもらえなかったら。……俺、たぶん、夢をあきらめる言い訳がほしくて。腰、こわしたのかもしれない」

 うつ伏せの顔の下、布に小さな染みが広がった。


「身体は、嘘をつきませんね」

 柊木は、やわらかく言った。

「立つのがこわい人を、無理に立たせる鍼は、打ちません。でも、こわくても立ちたい人の背中なら、押せます。速水さんは、どっちですか」

 長い沈黙のあと、陸は、震える声で答えた。

「……立ちたい、です。こわくても」

「分かりました」

 柊木は、細い鍼を、指先に挟んだ。


 逃げる渦の、ほんの半歩先。

 今この瞬間に霧が滑り込もうとしている、誰にも視えないその一点へ、柊木は鍼先を構えた。

「ツボは動きますからね。昨日の正解が、今日は正解じゃない」

 とん、と、鍼が沈んだ。

 たった一本。

 陸の腰の上、誰にも視えない一点だけが、鍼先の下で小さく光った。

 次の刹那、固く巻いていた渦が、内側から音を立てて解けた。澱の黒が、光の波紋に押し流されるように細い線へほどけ、経絡を伝って散っていく。腰の芯から喉へ、喉から眉間へ、温かい何かが一息に通り抜けた。


「……あ」

 陸が、声をもらした。

「うそ。腰、痛く、ない。さっきまで、あんなに……」

 起き上がろうとして、陸は止まった。

 涙が、止まらなくなっていた。痛みが消えたからではない。誰かが、自分の身体を通して、自分の本当の声を、初めて聴いてくれたからだった。


 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 太くて強い鍼じゃない。髪のように細い一本で、柊木は「響かせる」のではなく「聴く」。逃げるツボを追いつめて、本音まで読んでしまう。彼の手技の核を、ようやく真正面から書けました。

 陸くんの腰の痛みは、夢から逃げる言い訳でもありました。身体は、本当に嘘をつきません。

 次回、第9話「昨日の正解」。腰の痛みを取り戻した陸が、来週のステージへ。第3章のしめくくりです。

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