表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その痛み、鎮痛剤じゃ治りません 〜心身の歪みが“黒い墨の霧”として視える異能の鍼師が、薬に潰される現代人を救う〜  作者: 蒼野湊
第13章 モデルケースの朝

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/43

第39話 一人ずつ、しか

 月に一度のその日は、夕方の最後の枠に、ひっそりと入っている。


 予約表の名前は、小林美咲。備考欄には、彼女自身の字で、養生のため、とある。約束どおり、仕事の話はしない。それが月に一度のお茶の、たったひとつの決まりだった。


「はい、今月の私」


 美咲はベッドに座って、両手を軽く広げてみせた。透は少し離れて、視る。心臓のまわりは、澄んだままだった。日々の小さな霧は、右肩に少し、目の奥に少し。推進室の激務のわりに、溜めてはいない。溜まる前に、自分でほどいている身体だった。


「うん。よく養生できてます」


「でしょう。白湯、続けてるので」


 鍼は、右肩に一本だけ。あとは、ほうじ茶だった。湯呑みをふたつ、湯気の立つあいだ、ふたりとも黙っていた。この沈黙が要るのだと、最近の透は思う。一日じゅう人の話を聴く仕事と、一日じゅう人に説明する仕事。どちらも、黙る時間が薬になる。


「半年、経ちましたね」


 先に口を開いたのは、美咲だった。


「私が最初にここへ来た日から、だと、もうちょっと経ちますけど。……あの頃の私に教えてあげたいです。あなた半年後、頭痛薬なしで、月に一度お茶を飲みに来るだけの人になってますよって」


「信じないでしょうね、あの頃の美咲さんは」


「信じません。忙しいので結構です、って言います」


 ふたりで少し笑って、それから美咲は、ふと真顔になって透を見た。


「先生こそ、どうなんですか。今月の先生」


「俺ですか」


「月に一度、こっちが視る番です。それも決まりにしましょう。……最近、返事を書く夜が増えてるでしょう。ブースの電気が9時過ぎまでついてる日、私、廊下から数えてますからね」


「……週に二日ほど、ですね」


「三日です。先週は」


 推進室は、よく見ている。透は観念して、湯呑みで手を温めた。倒れるほどじゃない。ただ、診療の後の夜に、診療じゃない仕事が積み上がっていくのは、確かだった。


 美咲は、それ以上は言わずに、笑いを残したまま、ブースの机の端に目をやった。封筒の束が、先月より高くなっていた。見学依頼。導入相談。取材の打診。丁寧に断った先から、また新しいのが届く。


「……仕事の話、していいですか。一分だけ」


「一分だけ」


「その山、推進室で引き取れるものは引き取ります。制度の見学は私が案内できるし、資料も作れます。でも先生、正直に言ってください。あの山の中に、制度じゃなくて、先生の鍼を見に来る依頼が、どのくらいあります?」


 透は、湯呑みを置いた。ごまかせる相手ではないし、ごまかす気もなかった。


「……半分より、多いでしょうね。あのブースの実績で導入を決めたいんじゃなくて、ああいう鍼灸師がほしい、という依頼が」


「ですよね」


 美咲は、頷いた。責める調子は、少しもなかった。ただ、推進室の人間の目で、静かに山を見ていた。


「制度はコピーできます。相談ルートも、届け出の様式も、全部書き起こせば、他の会社でも使えます。私、いまそれを作ってます。でも、先生はコピーできません。……それで最近、考えるんです。私たちのこの半年って、モデルケースになるのかなって。モデルって、真似できるから、モデルって言うんですよね」


 返す言葉を、透は持っていなかった。


 美咲が帰った後、ひとりのブースで、透は封筒の山をもう一度見た。一通ずつ、顔を思い浮かべてみる。この封筒の向こうにも、断れない誰かがいて、食いしばる誰かがいて、眠れない誰かがいる。メビウスの半年が証明したのは、救えるということだ。そして同時に、証明してしまった。救うのに、俺の手が要るということを。


 俺は、一人ずつしか打てない。


 初めて、その言葉が、胸の中ではっきりと形になった。誇りの形をして、そのまま、限界の形をしていた。



 帰り道、駅前で、透は足を止めた。


 工事の囲いが外れていた。新しいビルの二階と三階、通りに面したガラス一面に、白い光の看板が入っている。清潔で、大きくて、夜目に遠くからでも読めた。


 痛みゼロ外来。


 その下に、一回り小さな文字で、コピーが添えられていた。


 その痛み、我慢はもう時代遅れです。


 予約なし。夜8時まで。保険診療。窓口には、もう灯りがついていて、白衣のスタッフが動いているのが見えた。開院を待つ人の列が、ガラスの内側に、整然と伸びている。あの列の長さは、知っている。うちの予約表と、同じ長さだ。


 我慢はもう時代遅れ。……その言葉自体は、間違っていない。間違っていないから、足が動かなかった。


 白い光は、静かに、街に灯っていた。半年前より、ずっと正しい顔をして。




 同じ夜、街の反対側の高層ビルで、ひとつの部屋にだけ、明かりが残っていた。


 真新しいオフィスだった。段ボールはまだ半分も開いていないのに、机の上だけが、定規で引いたように整っている。男は、電気を半分落とした部屋で、小さな白い錠剤をひとつ、指先につまんで、灯りに透かしていた。


 白は、静かで、綺麗な色だった。曇りのない白は、それだけで正しく見える。男はそれを、誰よりもよく知っていた。


 卓上の電話が、短く鳴った。男は錠剤を置き、受話器を取り、二言三言だけ応えて、切った。それから、窓の外を見た。眼下の駅前に、開いたばかりの白い看板が、小さく灯っている。


「ええ。……今度は、正しい入口から」


 誰にともなく、男はそう言った。万年筆の細い字が似合う、穏やかな声だった。

 「一人ずつしか打てない」。誇りの言葉と限界の言葉が、同じ形をしているところから第2部は始まります。

 次の章では、あの看板の内側に入ります。ここまで面白いと思っていただけたら、ブックマークをいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ