表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その痛み、鎮痛剤じゃ治りません 〜心身の歪みが“黒い墨の霧”として視える異能の鍼師が、薬に潰される現代人を救う〜  作者: 蒼野湊
第11章 全社員調律オペ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/36

第31話 一人ずつ

 最初の一人は、葵だった。


 月曜の朝、彼女は総務のカウンターに、白い小箱を置いた。中身は、半分以上残っていた。


「これ、返します。プログラムも、退会で」


 受付の担当者が、困った顔をした。返却の手続きは、想定されていなかったらしい。規定を確かめます、と奥に引っ込んだ担当者を待ちながら、葵は、後ろに並んでいた顔見知りに、にっと笑ってみせた。


「前はね、倒れて、先生に助けられて、それでやっと薬をやめたの。二回目は、圧力に負けて、また飲んだ。……そのあと、牧野さんが、ああなっちゃって。あれを見て、決めたの。三回目の今回はね、自分で決めて、返す。私の身体のことだから、私が決める。それだけ」


 自分で決めて、返す。


 その一言は、その日のうちに、フロアを一周した。


 次の日、返却は3人になった。堀内が課の朝会で「うちの課は服用を勤務評価に関係させない。飲むも飲まんも自由だ」と宣言し、その日の夕方には7人。矢代が「あれを飲むと、渦が止まらなくなる感じがして」と同期に話し、週の終わりには、返却者は20人を超えた。


 昼休みの給湯室には、いつのまにか、小さな輪ができていた。


「でも、課長に『体調管理も仕事のうちだろ』って言われたら、なんて返せば……」


「『はい、なので薬じゃなくて睡眠で管理します』。これでいけたよ、私」


「断るのって、理由が要ると思ってたけど、『やめておきます』だけでいいんだって。理由をつけると、そこを崩されるから」


 断る言葉の、練習会だった。誰が始めたわけでもない。ただ、中心にいつも、美咲がいた。かつて「大丈夫です、これくらい」しか言えなかった人が、断り方の先生になっていた。美咲は教えながら、何度も思った。言葉は、飲み込むためにあるんじゃない。あの日、永井と一緒に教わったことを、いま、自分が配っている。



 ブースは、戦場のようだった。


 といっても、静かな戦場だ。返却した社員たちが、薬の切れた身体で、次々に予約を入れてくる。焼き固められていた痛みの出口が開くと、抑えられていた凝りや頭痛が、いっせいに声を上げ始めるからだ。


「離脱の反動は、二週間が山です。そこを越えれば、身体は自分で流れを取り戻します」


 透は、重症の順に打った。入江のように焦げの厚い者から先に。一人あたりの時間を区切り、深追いをせず、浅く、確実に。それでも、予約表は朝から晩まで黒く埋まった。


「先生。今日はここまでです」


 午後8時、美咲が、予約表をぱたんと閉じた。


「あと3人だけ」


「駄目です。先生の限界は、私が決めます。……それ、約束でしたよね。先生が倒れたら、明日からの全員が、打ってもらえなくなるんですから」


 ぐうの音も出ない正論だった。一度倒れて覚えた教訓は、いまや二人の運用ルールになっていた。透が視る係、美咲が守る係。透は苦笑して、鍼を置いた。


 白石の言葉が、ふと胸をよぎる。お前が倒れたら、お前が救うはずだった誰かも、一緒に倒れる。……師匠。俺は今、倒れないやり方を、覚えましたよ。教えてくれたのは、俺が最初に打った患者さんです。



 反撃は、金曜に来た。


 全社メールだった。差出人は経営企画部。


 【重要】ウェルネス・サポート・プログラムの継続について。


 文面は、丁寧で、白かった。プログラムは全社平均の痛みスコアを大幅に改善しており、途中離脱はデータの完全性を損なうこと。返却の呼びかけと受け取れる行為は、全社施策への協力義務に照らして「業務の適正な遂行を妨げるもの」と判断される場合があること。


 そして、その日の夕方、美咲の席に、内線が鳴った。


「小林さん。経営企画部です。プログラム運用に関する事実確認のため、月曜10時に、面談室へお越しください。……人事部も、同席します」


 受話器を置いた美咲の手が、一瞬だけ、震えた。


 人事同席。処分を匂わせる、定型の圧力だった。断れない人間なら、これで折れる。そういう設計の、呼び出しだった。


 隣の島から、黒岩が、じっとこちらを見ていた。彼は何も言わず、自分のパソコンに向き直ると、猛烈な速さで、何かを打ち始めた。


 美咲は、深呼吸をひとつして、ブースに向かった。報告のためだ。隠すためではなく、共有するために。それも、この半年で覚えたことだった。


「先生。呼び出し、来ました」


「……大丈夫ですか」


「怖いか怖くないかで言えば、怖いです」


 美咲は、正直に言った。それから、笑った。


「でも、前の私と違うのは。今の私、自分がどうして断るのか、ちゃんと言えるんです。月曜、行ってきます」


 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 葵の「自分で決めて、返す」。三回目でたどり着いた、いちばん強い断り方だと思います。給湯室の断り方練習会は、書いていていちばん楽しい場面でした。理由をつけると、そこを崩される。実生活でもけっこう使える気がします。

 そして、来ました。人事同席の面談。断れない人を折るために設計された部屋に、断り方の先生になった美咲が入っていきます。

 次回、第32話「言える人たち」。第15話を越える、彼女の本番です。

 面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ