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その痛み、鎮痛剤じゃ治りません 〜心身の歪みが“黒い墨の霧”として視える異能の鍼師が、薬に潰される現代人を救う〜  作者: 蒼野湊
第7章 忍び寄る「白い影」

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20/22

第20話 善意という名の

 お疲れ様です。

 今回は、白瀬という男の「本音」が、ほんの一瞬だけ覗く回です。彼は本気で、人を助けているつもりでいる。だからこそ、怖い。そして、柊木先生と美咲が、初めて引き離されます。


 ゼロペイン・ワークサポートの説明会は、あっという間に社内へ浸透した。


 白瀬のプレゼンは、見事だった。「頑張るあなたを、痛みで止めない」。掲げられた惹句は優しく、配布された薬は無料で、断る理由が見当たらないほど、すべてが善意の顔をしていた。頭痛で午後を潰していた社員が、飲んだその日から普通に働ける。誰もが、白瀬に感謝さえした。


 昼休み、透は、廊下で白瀬と二人きりになった。


「先生は、私を悪人だと思っておられる」


 白瀬は、微笑んだまま言った。


「でも、考えてもみてください。痛みなんて、非効率な信号でしょう。消してあげるのが、優しさじゃないですか。私は、一人でも多くの人を、あの惨めな痛みから、解放したいだけなんです。恨まれる筋合いは、ないはずだ」


「その人が、壊れても、ですか」


「壊れたら」


 白瀬の声が、ほんの一瞬、温度をなくした。


「また、別の方を支えればいい。世の中に、痛みを抱えた人は、いくらでもいますから」


 それだった。

 この男の善意の底には、人が「いくらでもいる」という前提が、静かに横たわっている。一人ひとりの身体を、取り替えのきく部品として見ている。壊れた一人を悼むより、次の一人を支えるほうが、効率がいい。透が、いちばん許せない眼だった。


「あなたは」


 透は、静かに言った。声を荒らげはしなかった。この男に、大声は通じない。


「痛みを、その人の一部として見ていない。ただの、消すべきノイズだと思っている。……身体は、誰かの所有物じゃない。その人自身のものだ。取り替えなんて、きかない」


 白瀬は、少しだけ目を細め、それから、また微笑んだ。


「理想論ですね。……嫌いじゃ、ないですよ。そういうの。若い頃は、私も、そう思っていた」


 その言い方に、透は、かすかな引っかかりを覚えた。この男もまた、どこかで、何かを諦めてきたのかもしれない。だが、白瀬はもう、背を向けていた。


 入れ替わるように、廊下の向こうから、牧野がやってきた。


 顔色が、数日前より、明らかに悪い。なのに、足取りは、妙に軽かった。薬が、疲労という信号を、きれいに塗り潰しているのだ。手には、支給されたばかりのゼロペインの箱。


「先生、これすごいですよ」


 牧野は、へへ、と笑った。「徹夜明けなのに、全然いける。もう痛くも痒くもない。……こんなことなら、もっと早く飲めばよかった」


「牧野さん、それは──」


 言いかけた透の言葉を、通りかかった社員の呼び声が遮った。牧野さん例の件、と急かされ、彼は「はいはい、大丈夫、今行く」と、また誰かの穴を埋めに、小走りで去っていく。その背の焦げは、もう、薄い膜ではなくなっていた。


 追いかけて、肩に触れたかった。けれど、透にできることは、もう、ほとんど残されていなかった。


 その日の午後、会社から透のブースに、一通の通達が届いた。

 「福利厚生施策の効果検証のため、産業鍼灸ブースの運用を、一時停止とする」。白瀬の描いた絵が、もう、動き始めていた。エビデンスの数字は、いつだって、手当ての温もりより速い。


 カーテンを閉じようとしたとき、遠くの給湯室で、小さな騒ぎが起きた。


「葵さん……! 誰か、葵さんが……!」


 遠藤葵が、机に突っ伏していた。手元には、ゼロペインの新しいシート。増量を勧められ、また、飲み始めていたのだ。せっかく手放しかけていた薬に、制度が、そっと背中を押していた。断らないほうが、この会社では、正しいことになっていた。


 透は、駆け寄ろうとした。だが、その肩を、会社の総務が、遠慮がちに止めた。


「柊木先生……申し訳ありません。ブースは、運用停止中でして。施術は、ちょっと」


 少し離れた廊下で、美咲が、こちらを見ていた。何か言いたげに口を開き、けれど、周りの目に気づいて、唇を噛んだ。会社の一員として、彼女もまた、透に駆け寄れない場所に、立たされていた。せっかく「出来ません」と言えるようになった彼女が、今度は、言っても届かない壁の前にいた。


 二人の間に、透明な線が引かれていた。

 善意という名の、白い線が。


 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 「壊れたら、また別の方を支えればいい」。白瀬の善意の底が、ちらりと見えた瞬間です。彼は嘘をついていません。本気で、人を助けているつもりでいる。取り替えのきく部品として。柊木先生が、いちばん許せない眼です。そしてほんの少しだけ覗いた、「若い頃は私もそう思っていた」という言葉。この男にも、何かがありそうです。

 そしてブースは運用停止。葵さんは再びゼロペインに手を伸ばし、美咲は会社の立場との板挟みで、先生に駆け寄れない。二人の間に、白い線が引かれてしまいました。

 次回、第21話「それでも、聴く」。線を引かれても、止まらないものがあります。第7章のしめくくりです。

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