第11話 素顔のツボ
お疲れ様です。
今回は、柊木が美咲の顔に、髪のように細い鍼をそっと沈める回です。
綺麗になりたい。その言葉の、いちばん奥にしまわれた本音を、彼は聴きます。少し距離が近づく回でもあります。どうか、静かに見守ってください。
数日後、美咲はまた施術ブースを訪れた。
今日は、仰向けに横になってもらった。顔に鍼を打つには、その方がいい。柊木は、彼女のこめかみのあたりに、そっと指を添えた。
「力、抜いてくださいね。眠ってしまっても大丈夫です」
「眠れるかな……なんか、緊張しちゃって」
美咲が、ぎこちなく笑う。その頬の固さを、柊木の指は、もう読み取っていた。
柊木の眼が、職人のものに変わる。
顔の経穴、いわゆるツボを、一つずつ確かめていく。エラの張り、目の下のくすみ、口角を下へ引く見えない糸。どれも、表の症状だ。本当に巡りを止めている一点は、もっと奥にある。
左の頬の、ほんの少し下。指で押せば張る場所と、本当に詰まった芯とが、わずかにずれていた。腰のときの陸と同じだ。ツボは、ここでも動いている。美咲が長いあいだ、誰かに向けて作り続けた笑顔の、その重みから逃げるように。
そして、その淀みの奥から、細い糸が喉のほうへ伸びていた。飲み込んだ言葉が、つかえている場所。柊木は、その糸の根もとを、静かに見据えた。
「小林さん。ひとつ、聞いていいですか」
「……はい」
「綺麗になりたい、って言いましたよね。あれ、本当は、誰に綺麗だって思われたいんですか」
美咲の喉が、こくりと動いた。
「……それが、自分でも、よく分からなくて」
目を閉じたまま、美咲は言葉を探す。
「最初は、まわりに、ちゃんとした人だって思われたくて。でも、違う気もして。たぶん私、ずっと、誰かに合格点をもらうための顔ばっかり作ってきて。それで、自分がどんな顔なのか、分かんなくなって。だから……」
声が、震えた。
「ちゃんと、休んでいい自分を。もう、いい子の顔をしなくていい自分を。自分で、許してあげたいんだと思います。それを、綺麗って言葉に、勝手にしてただけで」
「いい本音です」
柊木は、やわらかく言った。
「それなら、打つ場所が決まりました」
彼は、髪のように細い鍼を、指先につまんだ。逃げる頬のツボの、ほんの半歩先。今まさに霧が滑り込もうとする、その一点へ、息を合わせる。
とん、と、鍼が沈んだ。
ごく浅く、痛みもないほどに。
次の瞬間、固く張っていた頬の糸が、内側からふっとゆるんだ。淀んでいた色が、光の波紋に押されて散っていく。喉の根もとの糸まで、つられて、ほろりとほどけた。
「……あ」
美咲が、目を開けた。
柊木が手鏡を渡すと、美咲はおそるおそる、自分の顔を覗き込んだ。
左右の表情が、揃っていた。口角が、自然なところに収まっている。集合写真で見た「疲れた他人」は、そこにいなかった。
鏡の中の女の人が、初めてこちらを見返してくれた気がした。
「……これ、私だ」
美咲の目に、みるみる涙が盛り上がった。
「久しぶりに、自分の顔、してる」
「ええ。あなたの、素顔です」
しばらく、美咲は鏡の中の自分を見つめていた。
やがて、ぽつりと言った。
「先生って、私の心まで視えてるみたいですね」
柊木の指先が、わずかに止まった。
「……どうして」
「だって、顔の話してたのに、いつのまにか、私が一度も言葉にしたことない本音まで、当てられてて。なんだか、顔より奥を、ずっと見られてるみたいで」
美咲は、照れたように笑った。からかうのでも、こわがるのでもない。ただ、信じきった目だった。
「気のせいですよ」
柊木は、お茶を入れに立ち上がった。背を向けて、湯気の向こうで、ほんの少しだけ、息を整えた。
「ただ、ひとつだけ。これは一度では仕上がりません」
「そうなんですか」
「顔の巡りは、暮らしと一緒に少しずつ戻るものなので。何度か、通ってください。そのたびに、今日みたいに本音を一つずつ。それが、いちばんの美容です」
美咲は、鏡を胸に抱くようにして、はい、と頷いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「綺麗になりたい」の底にあったのは、「休んでいい自分を、自分で許したい」でした。美咲がそれを言葉にできたこと。それ自体が、施術以上の薬だったように思います。
そして「先生って、私の心まで視えてるみたい」。美咲のこの一言を、いつか柊木の異能の名前に繋げていきます。今はまだ、二人とも気づいていません。
次回、第12話「自分のための顔」。素顔を取り戻した美咲が、職場で少し変わります。そして、柊木がこの会社にいる理由の影が、ほんの少しだけ。第4章のしめくくりです。
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