29>●第五幕 終わりの儀式――バンソーコーが剥がれるとき>第二節:ベランダから
第五幕最終節まで、あと1節。
29:ベランダから
「うわぁっ!」
思わず叫んで起き上がる。目を覚ますと汗をびっしょりかいていた。
このところよく見る悪夢だと思うが、詳細は思い出せない。何か大きな塊にぶつかり、全身の骨が砕けたよう痛みで目が覚める。それがいつものパターンだった。眠れない日が続いていて、意図していないところで寝てしまったようだ。
スマートフォンで時間を見て、今が土曜日で、午後四時を過ぎていることを知る。いつも日用雑貨を買い足しに出かける時間を大幅に過ぎていた。
僕は自転車を駆って、駅近くの地元系スーパーを目指す。駅から少し歩いたところにはネオンモールという全国展開している大規模ショッピングセンターがあり、そちらのほうがファミリー層向けに大量仕入れのお値打ち価格ではあった。だけど僕はなぜかそちらに好感が持てず、自然と割高だが品揃えは申し分ない駅の横にあるスーパーをヘビーユースしていた。
駅に向かう道を進んでいると見慣れた二人の後ろ姿を認める。
違和感はその横をトロトロ走っている黒いワンボックスカーだった。
「別に変な誘いじゃないから。ね? OK、わかった。なら、ちゃんと報酬も払うよ」
そう車内の男から声をかけられているのは、菜々穂と明乃だ。
菜々穂はあしらいに慣れているようで相手にせず、顔を背けていた。明乃があいだに入って断っているようだが、車内の男はしつこく誘い文句を投げてくる。
「嫌がっているじゃないですか」
僕は明乃の前に自転車を滑り込ませた。
開いた窓から覗ける運転席の男はパーマのかかった茶髪で、サブカルチャー系の軽薄さを感じさせた。
僕の登場で、男は完全に車を停止させる。
「誰?」
「大学の同期です」
答えながら、明乃たちに「あとは任せて。行って」というジェスチャーをした。明乃は、ありがとう、と手刀を切り、菜々穂と小走りにその場を去る。
明乃たちが完全に見えなくなると、男は「あーあ、久しぶりに地元に帰ってきて、逸材を見つけたと思ったのに」と舌打ちする。
「なんなんですか、あなたは?」
「あー俺? んー、ほいこれ、名刺」
男は助手席に雑然と置いた荷物から一枚の紙片を取り出す。そこには「フリーライター 有馬佑作」という名前があった。
「別にナンパとかじゃないよ。地方の美少女を見かけたらとりあえず写真撮らせてもらって、コネのある雑誌へ売り込むわけ。ついでにあわよくばいっしょにご飯を、とね」
それをナンパというのではないか、と思ったが余計な話をしたくないので、リアクションはしないでおく。
「まあ、君でもいいや。なんかこの辺にあるウマい飯屋とか知らない? 昔よく行ってたところがなくなっちゃっててさ。さすがに十年ぶりだと田舎町でも変わるもんだな」
本当にこの町の出身者ではあるようだ。だが、これ以上会話を続けたくなかった僕は、「自炊派なんでよくわかりません。ご飯なんてその辺に、牛丼屋でもカレー屋でもあるじゃないですか」と、すぐ目に入ったチェーン店の看板を指差す。
「君、エンタメがわかってないなー。それじゃつまんないんだって」
男はそう言い捨てると、ウィンドウを閉めて車を発進させた。
買い物前に不愉快な思いをした僕は、手にあった名刺を破ろうとしたが、捨てる場所がないことに気づいて、ポケットに入れる。なんだか負けた気分だ。
スーパーへ行くためにペダルに足を乗せた。なんとなく……本当にうっすらとだけど、あの男とどこかで会ったような気がした。気のせいだろう、と思った。
まさか、このあともう一度対面することになるとは思ってもみなかった。
買い物を終えた僕は、横断歩道の信号が赤になったのを見て、自転車を止める。
目と鼻の先にある自分が帰り着くアパートのほうをぼんやりと眺めた。いつもと変わらない光景だった。ベランダに面して流れる道路。壁がない代わりに植えられた数本の低木と、申し訳程度に設えられた芝生の庭。そんないつもと変わらないアパートの外観を見ながら、青信号を視界に入れて僕は自転車を漕ぎ出す。
そのときだ。ありえないことが起きた。
二階にある部屋の明かりがついたのだ。
間違いない。あの位置は僕の部屋だった。
だけどありえない。結美は常に電気をつけずに過ごしている。胸騒ぎが襲ってきた僕は、道の脇に自転車を放り、階段を駆け上がる。案の定、鍵はかかっていない。乱暴にドアを開け、部屋へ駆け込む。
相手はわかっている。
「絹倉っ!」
部屋がものすごい暖かい。エアコンが暖気をガンガンに吐き出していた。
やはり、絹倉はいた。
ソファの向こう。ベランダを望む窓から、レースのカーテン越しに外を見ていたらしい。絹倉がこちらを振り返る。その瞳には悲しげな色が浮かんでいた。
結美は? 僕はリビングへ入って、周囲を見回す。ワンピースを着た結美が、何事? というような表情で僕を見る。良かった、まだ何も知らない顔だ。
「やっぱり……」
僕の表情を見て、絹倉は何かを悟ったらしい。
「キミは『解呪の祝詞』を彼女に告げてないんだね」
「黙れ。もう何も喋るな」
僕はそう口にして窓際に立つ絹倉の胸倉を掴む。
「其は汝の傷にあらず。畏み、傷神に返上奉れ」
絹倉の視線と言葉が僕をすり抜け、背後の結美に向かう。
後ろを振り返ると、結美の瞳の色が変わったように見えた。
「もうキズモノは出ないよ。これからは安心していい」
絹倉の声に、結美が「キズモノ……」と呟き、なんとも言えない表情で僕を見る。
ダメだ、今は説明している時間がない。
それよりも、僕らの空間に入り込んだノイズを排除しなくては。僕は絹倉の胸倉を掴んだ腕に力を込め、部屋の外へ引き摺り出そうとする。
「結美、君を縛るものはもう何もない」
僕に引っ張られていることにはなんの抵抗もせず、絹倉はただ結美に向かって言葉を放ち続ける。
「だから、どうか森也のことをもう解放してほしい! ボクのほうは、もう準備ができている!」
僕はドアを開けると、「何訳わかんないことを言ってんだよ!」と外の床に叩きつけるように絹倉を部屋から追い出した。
もしかして……と思う。
僕も外に出て、部屋のドアを閉めると、床に尻餅をついている絹倉に問う。
「絹倉……以前君が言っていた、好きな人が僕らの関係者っていうのは……」
結美のことなのか?
「どうだろう、好きという気持ちを超越して、自分の一部だと思っているよ」
「もう二度と結美に近づかないでくれ」
「それはキミが決めることじゃない」
絹倉は「ボクもちょっと焦っているのかもしれないね」と立ち上がると、「このやり方はベストではないかもしれないけど、他に思いつかなかったんだ」と背を向け、階段を降りて行く。
これで絹倉が引き下がるとは思えない。思えないけど、今の優先順位はそこではない。
今度は結美のほうをケアしなくては……。僕はドアを開けて、部屋の中へ向かう。
リビングへ戻ると、結美の姿がなかった。
なぜ?
風? それも冷たい。ベランダへ出る窓が空いていた。今まで一度も開けたことがない窓が。やったのは絹倉だ。それしか考えられない。窓辺に立っていたのはそのせいだ。冷気が流れ込んでくることに気づくのが遅れたのも、部屋の中でエアコンが最大量の暖気を掻き回していたからだ。
嘘だろ。
僕の視界に結美が映る。ベランダに結美が立っていた。
「何をやってるんだよ、結美?」
僕は慌ててベランダへ顔を出し、呼び止める。
結美はベランダから見える道路を見下ろしている。そこには、計ったようなタイミングで絹倉が立っていた。
「さあ、おいで。君はもうそこにいる必要はない。ボクとともに行こう」
その言葉に突き動かされるように結美が身を乗り出した。ベランダの柵を乗り越えようとする。
「やめろ、結美! バカな真似はよせ!」
僕はベランダに出る。落下の危険など考える必要がない。ただ結美はここから出てはいけないのだ。結美が躊躇ひとつない動きで、ベランダから体を投げ出す。僕は必死に手を伸ばすが、結美のはためく服さえ掴むことはできなかった。
飛び降りた結美の落下地点に入った絹倉は、なんの危なげもなく結美を受け止めると、僕のほうを見上げる。その表情には憐れみのような色が見える。
そのまま結美を抱きかかえて、絹倉は近くに停車していた黒いワンボックスカーの後部座席に乗り込む。ワンボックスカーはエンジンを鳴らし、方向転換をして走り出した。駅の方角だ、ということだけはわかった。
考える余地などなかった。僕は部屋から駆け出すと、先ほど放り出した自転車に跨り、絹倉たちが乗った車が走っていったほうへペダルを踏み込んだ。
読んでくださってありがとうございました。
ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。
どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。
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次節:第五幕 第三節「ハナから存在しなかったもの」(本編・最終話)
8/11(火) 20:00 公開予定
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