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2>●第一幕 ボクはキミの××××××になりたい>第二節:復学カウンセリング

第五幕最終節まで、あと28節。

2:復学カウンセリング


「学生生活を送る分には、問題ないだろう」


 僕の前に座る男が結論づけた。


 残花福伸のこりばなふくのぶと名乗ったその男は、長袖の黒いワイシャツと対照的に蒼白い肌をしており、肩のあたりまである長さの髪を後ろで結んでいる。職員であることを考えれば、年齢は三十歳前後だろうか。仮に学生の中に紛れ込んでいても、落ち着きのある先輩と紹介されたら、なんの違和感も持たないかもしれない。それくらいには年齢不詳に見えた。


 癖なのか。残花は話しながら、ときおり目の前で指を組む仕草をする。そのたびに、彼の左手の薬指に嵌められている正十字をかたどった銀の指輪が、蛍光灯の光を反射した。


「話を聞いている限り、記憶の欠落がありそうだが、自覚もないようだ。大きな支障を感じたこともないのだろ?」


 僕は「ええ」と頷く。


 三日前に何を食べたかと問われれば、たしかに思い出せない。そもそも何も食べていないかもしれない。それを記憶の欠落と言われてしまったら、否定することもできない程度に、僕は怒りと無力感に苛まれた生活を送っている。いずれにせよ、残花の言うように、これまでの生活において、何か支障を感じたことはなかった。


 学務棟一階の窓口で、復学の手続きをおこなったときのことだ。


 表情の緩んだ目に力のない女性職員から、「復学カウンセリング」を受けるように案内された。この大学では、なんらかの事由で休学をしていた学生が、スムーズに復学できるようカウンセリングを受けられる支援制度が設けられているのだという。


 順路で示された通り、三階の相談室を訪れる。ノックをして入室すると、調度品の少ない十畳ほどの会議室のような部屋だった。棚の上や部屋の奥、中央にあるデスクに、小さな動物などの縫いぐるみが十数個ほど飾られている。それ以外、目立った特徴はない。


 デスクの脇で待ち構えていた残花から、名刺を渡され、向き合うような形で椅子に座らされる。簡単な自己紹介と、事務的な確認がおこなわれてのち、僕の個人的な事情について、差し障りのない範囲で答えるよう問診がなされた。


 そうして、残花が出した結論が「復学しても問題ない」というものだった。


「当面のあいだ、週に一度か二度、気が向いたときに予約を入れるようにしてくれ。予約フォームはその名刺にあるコードを読み込めばアクセスできる」


「わかりました」


「何か質問はないか? 気になることでもいい」


「特にはありません」


 あえて問うなら、この部屋に飾られている縫いぐるみたちはあなたの趣味なのか、と訊いてみたくもあった。だが、それは関係性のできていない今、どうしても必要な情報ではないので、控えることにする。


「ならば結構」


 残花は小さく頷くと、対話の締め括りのように、僕が手に持った名刺を指差す。


「もし本当に、どうしても困ったことがあって、話す相手が必要になったときは、名刺の裏にあるホットラインを使って、助けを求めてくれて構わない」


 僕はそれを聞いて、残花からもらった名刺を裏返す。たしかに手書きの文字で十一桁の数字が記載されていた。


「ただし」と残花は、それが最重要な注意点だ、と言わんばかりの口調で付け加える。


「そのホットラインが使えるのは、一生に一度きりだ」


 希少性を煽る誇張か、御守りの意味合いか、はたまた別の意図があるのか。僕は残花の言葉をちゃんと理解できていない気もしたが、問い返すほどでもない。


 こんなホットラインを使うことなど、一生ないだろうと思ったからだ。


 僕は残花からもらった名刺を財布のカード入れにしまうと、形ばかりのお礼を述べて、相談室から退出する。



 晴れてこの大学に復学する手続きを終えた僕は、これからのことを考えながら、ひとまずキャンパス内を散策することにした。今は九月の中旬だ。後期が開講するのは、九月の下旬からなので、学生の往来もまばらだった。


 半年遅れのスタート。入学前から休学状態にあったせいで、友人と呼べる人もいない。


 学費を出してくれ、休学すらも許してくれた親への感謝を、口ではなく、行動で示すためにも卒業はするべきだ、と思う。ただ……。


 ただ僕には、やらなければいけないことがある。


 キズモノを捕まえて、ころし……いや、懲らしめなければならない。


 七月にこの目標を胸に抱いてからというもの、もどかしい日々が続いた。やらなければならないことは決まっているのに、できることは限られていて、そこに辿り着くまでの道筋が見つかっていない。毎日が場当たり的な行動に終始している。大学という環境に身を置けば、何かしらヒントにつながるようなものが掴めるだろうか。そんな思索にふけりながら歩いているうちに、大学の敷地を抜け、裏山の小道を通り、行き止まりとなる平坦地へ出た。何が祀られているのか、ひと目ではわからない小さな祠がポツンとある。定期的に誰かが手入れをしているようで、扉や屋根などが年代物のわりに綺麗な状態だった。


 目的地を決めていなかったのだから当然なのだが、行き当たりばったりの自分にげんなりしてしまう。僕は元来た道を引き返した。


 再び大学の敷地へ戻ってくると、今度は歩く方向を変え、グラウンドに辿り着く。サッカーなら優に一面、野球なら練習用ダイヤが二面は辛うじて取れそうな、砂利敷きのグラウンドだ。向こうには支柱付きの防球ネットが見える。その脇に、コンクリート打ち放しの横長の二階建てが二棟。きっと学生用の施設だろう。


 長期休みだからか、単純に僕が来たタイミングの問題かもしれないが、グラウンドは誰にも使われていなかった。後期がはじまれば、ここもサークル活動に励む学生たちで賑わうのだろうか。


 大学生活を送っている自分というのがうまく想像できない。


 教室に入り、誰かと談笑し、昼食を摂って、課題をこなす。そんな当たり前の風景を思い描こうとしても、まるで他人の話をなぞっているような、現実感のない映像しか頭に浮かばなかった。


 どれくらい呆けていたのだろう。


 不意に小さな破裂音が聞こえてきた。間髪を容れずに似たような音が何度か響く。


 何事? そう思って音のほうを向くと、氷細工のような美しい青年が立っていた。女性と言われても納得してしまうような中性的で綺麗な顔立ちをしている青年は、右手にあったものを宙に投げる。


 破裂音だと思ったものは、その青年が宙に放った野球の硬式ボールを自らのグローブでキャッチする音だった。


「ねえ、キミ? キャッチボールくらいならやれるよね?」


 段取りがいくつか省略されている気がする。大学生では、これが普通なのか? だとしたら、そんなコミュニケーションは、僕にとってハードルが高過ぎる。これからやっていけるのだろうか。一抹の不安がよぎる。


「グローブを持ってないので」と断ろうとすると、「それなら問題ない」と青年は足元に置いてあったグローブを放ってきた。


 言い訳を封じられた僕は、釈然としない気持ちのままグローブを嵌める。


 グローブはしっかりと手に馴染んだ。普段の使用者の癖を感じないこともないが、大事に使われているのが感触でわかる。新品のものよりはるかに扱いやすい。


 キャッチボールなんてどれくらいしていなかっただろう。少なくとも休学していたこの半年で、僕がこんな動的なやりとりを他人と交わすことはなかった。


 距離をとった青年からだいぶ強めのボールが放られてくる。僕はそれをいなすようにキャッチし、無意識に彼よりも強い力で投げ返していた。


 それを合図に、僕らのあいだで無言のリズムが生まれる。


 青年の投球は、どれも正確だった。躊躇がないぶん、こちらの曖昧な投げ返しが浮いているように感じてしまう。


「キャッチボールは面白いね」


 馴れ馴れしい青年は、そう口にした。


「ただの準備運動だろ?」


「そんなことはないよ。ちゃんと集中すれば、相手が投げてくるボールで、その人が今、どんな心の状態か、しっかりとキャッチすることができる」


「なら今の僕は、どんな状態だって言うんだ?」


「海……いや、川のほとりかな? 進もうとしている……でも、歩きにくい水場に足を取られて、思うように進めない」


 言葉を置くように返す口調が、やけに静かだった。


 それに反して、投げ返してくる青年のボールは、射抜くようなスピードの直球となる。「当たってるだろ?」と言葉にしなくても、伝わってくるのがなんとなく悔しい。言い当てられたのが癪に障り、認めたくなくて僕は口籠った。


「ごめん、キヌちゃん、遅くなった!」


 息を切らせた女子が走ってくる。髪を後ろで結び、Tシャツにハーフパンツという出立ちだった。


「大丈夫だよ、明乃。彼が相手をしてくれていたから、実質待ち時間はゼロだ」


 明乃と呼ばれたボーイッシュな女子は僕のほうを向くと一瞬、目を大きくし、小さく会釈してくる。


 遠慮がちな仕草に奥ゆかしさを感じつつ、僕もつられて頭を下げ、あることに気づいた。どうやら僕は、待ち合わせ相手が来るまでの時間潰しに使われていたらしい。別にそれ自体には、なんの感情も湧かないけれど。


「じゃあ、これで……」


 立ち去ろうとする僕を、「待って」と青年が呼び止める。


「連絡先を交換しよう」


 近づいてきた青年がポケットからスマートフォンを取り出し、僕に示した。


「キミ、一年生だろ。しかも前期には学校へ来ていない」


「どうして?」


「これでもボクは、それなりにこの大学に入り浸っているからね。見たことのない人なんてほとんどいないんだ」


 その言葉を聞いて、どうやら彼のほうが大学生としては特殊な部類のようだと思った。少しホッとする。


「大学生活に情報源はあったほうがいいだろ。聞きたいことがあったら、なんでも聞いてくれていいよ」


 青年はスマートフォンを操作して、メッセージアプリのコードを表示させる。


 僕が少し考えていると、「大丈夫だよ。どこぞの宗教に入信を勧めたり、高い情報商材を売りつけたりしないから」と青年がからかうように笑った。


「別にそんなことを考えていたわけじゃ……」


 初対面でここまで詰め寄ってくる相手に対し、さすがに警戒心がゼロというわけにはいかない。しかし、友人もいない上に、これから作れる自信もない僕には、彼の言う通り情報源があるのは正直、有り難い話だ。そう判断して、青年と連絡先を交換する。


 スマートフォンに登録された青年の名前には、「絹倉高判」とあった。


「コーハン?」


 思わず口に出すと、「タカワキ……」と青年は微笑んだ。


「ボクはキヌクラ……絹倉高判。キミと同じ一年生だよ」

読んでくださってありがとうございました。


ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。

どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。


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次節:第一幕 第三節「日課の素振り」

5/23(土) 14:00 公開予定

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