25>●第四幕 お友達大作戦>第三節:新月の夜の包囲
第五幕最終節まで、あと5節。
25:新月の夜の包囲
「ま……マジか?」
僕は目の前に広がる光景を疑った。
夕方の大学キャンパスに数百人、いや千人にも届きそうな勢いの人間で溢れかえっている。大半は学生のように見えるが、中には老人や家族連れのような人たちもいた。なんというか、ハロウィンの仮装を思わせるコスプレをした輩も随所に見かける。マスコミ関係者なのか、照明付きのビデオカメラを構えた者までいた。
スピーカーマイクの電源を入れる音が鳴る。
「えー、皆さん、本日は『防災呼びかけ町内行脚』にお集まりいただき、ありがとうございます」と杉山が仮設した高台から挨拶をした。
そこから何百回と練習したであろう、このイベントの概要や留意事項などを朗々と語り上げる。間の取り方や語り口の緩急は絹倉の仕込み済で、以前の本番弱さを知っている僕らかすると感涙込み上げるものがあった。
二週間前、絹倉が会議室で語った「お友達大作戦」とは、キズモノが出没しそうな日時を狙って、その出現範囲全域に人を行き渡らせるという人海戦術だった。
僕は作戦の内容を聞いて、そんな人数を集めることも、運営することも不可能だと反論したが、絹倉を中心としてリベリアンドのメンバーたちが精力的に動き、人集めや各方面の許可取りをおこなってくれた。表向きには町内の防災意識を学生発信で高めていくイベントと打ち出していたが、リベリアンドのメンバーは仲間である明乃がキズモノの被害に遭っていることを知り、義憤に駆られて相当の気合いが入っていた。
「さあ、それではみなさん、係の案内に従って、ゆっくりひと組ずつ歩き始めてください。いいですか、くれぐれも前の組に近づきすぎず、かといって、見失わないようにしてくださいね」
杉山の掛け声で、現場係の者たちが、ざわざわと集まった人々の歩みを進めていく。現場係は百人程度を集めている。これもリベリアンドのメンバーに近しい者たちが協力してくれていた。
本部となる教室では、明乃や他十人のスタッフがパソコンとスマートフォンを携えてリアルタイムに状況を把握している。何か問題が起こった際のトラブルシューティングも事前にマニュアル化してまとめてあり、サポート体制も整っている。その中にはいまだに意気消沈している菜々穂の姿もあった。
今から動き出せば、夜の八時前には、絹倉が提示したマップの全域に、人が配置されることになるだろう。
「どうだい?」
僕の横にいた絹倉が得意げに微笑んでいた。
「まいった。本当にこれだけの人を動かせるなんて思ってなかった……君の言う『絆の力』を見縊っていたよ」
僕は素直に降参した。
満足そうな表情をした絹倉は「さて……じゃあ、僕らも準備に取り掛かろう」と、踵を返した。
先ほどまでの人いきれが嘘だったみたいに、絹倉と僕は静かな夜道を歩いていた。
僕の肩にはいつも持ち歩くバットケースがある。ここだけ切り取れば、いつもの見回りとほとんど様相は変わらない。違うのはキズモノと遭遇する確率が格段に上がっている、ということだった。あくまでキズモノという不審者が本当に存在し、今日が彼にとっての行動日である、という仮説が正しければ……の話だが。
絹倉の提唱した「お友達大作戦」によって立案された「防災呼びかけ町内行脚」のルートには、キズモノの出現可能性マップから除外された区画がある。
つまりそこだけは、人の目が集まらない、おまけに、僕ら二人だけで何度でも周回ができる距離感になっている。
キズモノが人目を憚って行動するなら、必然、こちらに身を寄せるしかない。
「月がないと、やっぱり心許ないね」
僕が隣を歩く絹倉に向かって声を潜める。彼は珍しく、ワンショルダーのリュックを背負っていた。絹倉は、僕の声が聞こえていないかのようになんの反応もしない。彼もさすがに緊張しているのだろうか。
だとしたら僕も同じだった。いつ現れるのかもわからないキズモノとの遭遇に心臓の高鳴りが抑えられない。頭では、そんなうまくいくわけがない、と考えている。それなのに、なぜか嫌な予感が心から離れない。
それは、僕らの周回が五回目を過ぎたときに訪れた。
不意に僕らから十メートルほど離れた街灯の真下に、黒いパーカーにフードを被った男が現れる。明乃たちの証言と同じく、顔は見えず、背丈は僕らよりも頭ひとつ分は高い。体格的にも男性なのは一目瞭然だった。だが、まだだ……まだ、ただの通行人と言えなくもない。このまま僕たちの前を、何事もなかったかのように通り過ぎるかもしれないのだ。
だが、そんな思考は、目の前に立つ男の、次の行動であっさりと裏切られる。
僕らが逃げる素振りを見せなかったからか、男は「動くな」と右手をかざした。
その声は、たしかに幾重にも聞こえ、低音の男の声であることしかわからない。
冗談だろ。男の声を聞いた瞬間、僕の体は重力が何倍にも増したかのように動かなくなった。催眠術か何かだろうか。
明乃の証言との符合から、この男が「キズモノ」だと、僕は認めざるを得なかった。
隣にいる絹倉の様子を窺うこともできない。これも聞いていた通りだ。
キズモノは僕らのほうへ静かに歩み寄ってくる。
次にやることも想定済みだが、体が動かないので、かわすことはできない。キズモノは僕の額に人差し指を突き立てる。同様のことを絹倉にもおこなったようだ。
キズモノは右腕を水平にすると、何かを手に取る仕草をした。たしかに視覚には捉えられないが、そこには「見えない刃」があるような気がしてくる。僕には包丁というより、鎌のようなものに見えた。
胸の辺りに持ってきた左手の前腕部に鎌の刃を突き立てると、そのまま手首のほうへギリギリと引いていく。刃がちゃんと肉の抵抗を掻き分け、引き裂いていく感じがする。
「お前の罪を背負ってやる」
キズモノが左腕のパーカーの袖を引き下げると、案の定、そこには生々しく裂かれた傷口があった。心の準備はしていたが、それでも口の中に酸っぱいものが込み上げる。
「この傷はその証だ」
何かを言い返さなければ、思う。だが、口を動かすこともままならない。
「お前の罪は、この傷となった。それを心に刻み、己が生を、その祖たる者たちが犯してきた過ちを省みるがいい」
キズモノはそう言い終えると、僕らが動けないのをわかっているからか、悠然と踵を返した。まるで散歩をするみたいに、ゆっくりと歩みを進めていく。このままだと逃げ切られる……だが、体が動かせない以上、どうすることもできない。
やにわに、チリチリと小さく響く音が聞こえてくる。
僕自身は動けないが、隣にいた絹倉が一歩踏み出したことにより、視界に捉えることができた。
絹倉は投球モーションに入っていた。彼の右手を見ると、数個の噴射花火を持っている。導火線をひとつに巻きつけて延長した紐に着けられた火が、音の正体だとわかる。油でも染み込ませているのか、やけに火の着きが良い。いったい何を……と思った次の瞬間には、綺麗なピッチングフォームで、絹倉は着火した花火群を放る。その花火群は、測ったようにキズモノが進もうとする数歩前に落ち、あちこちに火花を噴射し始めた。けしてやってはいけない花火の使い方だが、相手が相手だけに、そこは許容されるだろう。
絹倉が駆け寄ってきて、いきなり僕の背中をバシンっと叩いた。僕の手指に力が入る。それまでの金縛り状態が解け、体が動かせるようになった。
「いけるね、森也」
僕の返事を待たず、絹倉はキズモノに向かってダッシュし、タックルをかました。絹倉とキズモノは揉み合って倒れる体勢になる。立ちあがろうとするキズモノを、絹倉がしがみついて止めていた。
「森也! 今だ!」
絹倉が僕に向かって叫ぶ。
反射的に僕は、絹倉たちに向かって走っていた。どうする? どうやって……考えのまとまらない僕は、バットをケースから抜く余裕もないまま、バックスイングをしていた。
バットケースを通して、人の肉を打つ感触が伝わってくる。
「うっ!」と呻き声を上がった。
それは絹倉の声だった。
キズモノの胴体部分を狙って振ったバット入りのケースは、組み合っている二人の向きが微妙に変わったからか、キズモノではなく、絹倉の左肩に直撃していた。
絹倉が左肩を押さえ、手が離れた瞬間、キズモノはそのまま走って逃げた。
「追って!」
絹倉にけしかけられたが、「そんなことできるか!」と叫び、僕は絹倉に駆け寄る。
「ごめん。うまく合わせられなかった。大丈夫か?」
僕が絹倉に詫びると、「ごめん、何か言った?」と絹倉が手の平をこちらに向けた。ちょっと待って、という仕草だろう。
絹倉は右側に顔を傾けると、右耳に手を持っていき、何かを引き抜いた。それを左側でも繰り返す。
「耳栓?」
彼が指に摘んでいた黄色い物体を見て、僕が問う。
「なんでそんなものを……?」
「保険のようなものさ。明乃たちの話を聞いていたからね。キズモノは何らかの方法で相手の動きを止められる仕掛けなり、技術なりを持っている。催眠術とか、なんらかの錯覚を起こさせる話法とか……魔法だったらどうにもならないけど、もし催眠術の類だった場合、聴覚や視覚から入ってくる情報を阻めば、抑制効果があるかもしれない。耳栓もそうだし、実際にキズモノが現れた瞬間から、ボクは片目を閉じていた」
キズモノが立ち去ろうとしたときに、絹倉が咄嗟に動けた理由がわかった。だから、僕が声を潜めて話しかけたことにも無反応だったわけか。
「明乃たちから、生の情報を得られたのは有り難かったね。おかげで対策ができた」
「それは良かったね」
僕は若干、嫌味を滲ませる。
「ごめんね、キミに伝えなかったのは……」
「わかってるよ」
術中にしっかりかかっている者がいたほうが、キズモノが油断しやすいと考えたのだろう。漆野のときに学習済みだ。
カラクリがわかったところで、僕は話を本題に戻す。
「ごめん。うまく合わせられなくて……肩、大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
「病院へ行こう」
「平気。予期しない打撃にちょっと怯んだだけだよ。ピッチャー返しをまともにくらったときのほうが、よっぽど痛かったさ」
絹倉は立ち上がると、取っ組み合った際に衣服についただろう砂埃を払った。
「とにかく、ごめん……」
これまでの調査、大掛かりな仕掛け、そしてあと一歩のところまでキズモノを追い詰めた絹倉の労力を、僕は台無しにしてしまった。
「せっかくいろいろ手を尽くしてくれたのに……僕のせいで」
「問題ない」
「でも、こんな人海戦術二度とできないだろ」
「それももう必要ない」
絹倉の受け答えが、いちいち釈然としなかった。キズモノは取り逃してしまったはずなのに、絹倉の物言いはまるですべてを解決しきった者のような響きを孕んでいた。
読んでくださってありがとうございました。
ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。
どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。
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次節:第四幕 第四節「キズモノの素顔」
7/28(火) 20:00 公開予定
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