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第五幕最終節まで、あと4節。
26:キズモノの素顔
絹倉の物言いの意味がわかったのは、翌日のことだった。
協力してくれたすべての人に後ろめたさを感じる僕をよそに、絹倉は明乃をはじめとするリベリアンドのメンバーたちに、「作戦はうまくいった」と感謝を告げていた。
真実を知っている僕は絹倉に、嘘は良くないだろう、と半ば諌める疑義を呈する。
「嘘なんかついてない」
「だって現に……」
キズモノは捕まえられなかったではないか。
「作戦はうまくいったんだよ」と絹倉は言い、スマートフォンを見て「ちょうどいい時間帯だ。そろそろ行こう」
「どこへ?」
「ついてくればわかるよ」
絹倉がそれ以上答える気がなさそうなので、僕は彼の後ろをついていくしかなかった。
大学のグラウンドを抜けると、ちいさな裏山があった。
六地蔵が並んでいる道を通り過ぎ、そのまま山道を進んでいくと、古い祠のある平坦地へと辿り着いた。絹倉に言われるがまま着いてきたが、これから何が待ち受けているのか、僕にはさっぱり予想がつかない。
「お待たせしました」
絹倉が宙に向かって声を放つ。
唐突に祠の横にある茂みから立ち上がる人影があった。
僕は衝撃を受ける。それは昨日も見たことがある黒いパーカーを着込み、フードを被っていたからだ。なぜ? 呆気に取られながら僕は絹倉のほうを見る。
「お呼び立てしてすみません。それじゃあ、お約束のものをお返ししますね」
絹倉はそう言うと、ポケットから何かを取り出し、キズモノに向かって差し出した。
絹倉の手の平にあるそれを見て、僕は心臓を掴まれた感覚になる。僕はそれを知っていた。銀色に輝く、正十字をかたどった指輪のことを。そして、その持ち主のことを。
「なんで絹倉がそれを持っているんだよ?」
「昨日、キズモノと取っ組み合いになったでしょ。そのときに何か正体を探れるものがないかと思って、相手のポケットをまさぐったんだ。その戦利品がこれだよ」
絹倉の釈然としない物言いや「作戦はうまくいった」という言葉の意味が、ここではじめてわかった。絹倉は捕まえられなくとも、あの時点でキズモノの正体に気づいていたのだ。キズモノは絹倉の手の平から銀の指輪を受け取ると、左手の薬指に嵌めた。その仕草にはどこか懐かしさすらあった。
「では、約束通りお話をしてもらえますか」
「ああ」と言ったキズモノは、それまで顔に覆い被せていたフードを脱ぎ去った。
目の前にいるキズモノは……いや、残花福伸は後ろに構える裏山を指差して言った。
「君たちがかつて講義で語っていた、傷神様伝承の元となるフブキとクノの遺体はここに埋まっている」
残花の第一声はそれなりの驚きを与えたが、僕が聞きたい話はそこではなかった。
なぜ残花はキズモノなんて怪異的行為をおこなっていたのか、なぜ結美が襲われなければならなかったのか……僕の中で問い質したいことが渦巻くが、うまく言葉に変換できない。すでに絹倉とのあいだでは話が通っているのか、暗黙の了解のごとく、残花がさらに話を続ける。
「私はかつて、最愛の者を失った。それも理不尽な形で」
その話は以前、相談室で聞かされたものだ。かつて絹倉が傷神様伝承のときに語ったクノのものとも状況が似ている。
「そのときだ……私はある意思から、『役割』を授けられた」
役割とは、「キズモノ」のことだろうか。
僕には意味がわからない。「『ある意思』とはなんですか?」と訊ねる。
「私にもわからない。だが、意思を持った何かだ。肉体もなく、ただただ、人智を超えた力を持っている。私にはそれが、ただの大きな光の塊に見えた」
その光は、人間を超越した存在のことを示しているようだ。にわかに信じられない僕は、「そんなのあなたが見た……あなたが勝手に作り出した幻想なのではないですか?」と責め立てる。
「どう取ってもらっても結構だ。君たちに私が経験したことを立証する力も義務もない。私が見た光の存在というのが、君たちにとっては別のものに見えるかもしれない。あるいは見えないかもしれない」
どうやら残花にもちゃんとわかっていないらしい。いや、もしかしたら残花の精神は病に侵されているのかもしれない。
「その光は、確実に意思を持っていて、私に役割を与えてきた。とある条件と引き換えに……」
「条件?」
「私の最愛の人は、彼女がおこなった行為の代償として、生まれ変わることができず、狭間の流れに留まっている。光の意思は、私が役割を実行することで、彼女に来世を与えると条件を出してきたのだ。私が役割を担うきっかけは、そんなところだ」
残花の発言は彼の中では筋が通っているのかもしれないが、僕が聞く限り、人格破綻者のそれだった。だが僕は、残花に対する追及を止められない。
「あなたは……いや、その光の意思というのは、あなたに、その役割をおこなわせることによって、何をさせようとしていたんですか?」
「何も」
「は?」
「これは儀式だよ……私は儀式をこなすための装置として、役割を与えられたんだ。意味や価値などはない。ただおこなうこと……強いていうならクノが抱いた、呪いを振り撒くことが求められていただけだ」
ダメだ。たぶんこの件について、残花とまともに対話をすることはできないのだろう。受け答えがさっきから、要領を得ないものばかりだ。
「教えてください。なぜ結美は……僕の恋人はあなたに襲われなければならなかったんですか?」
「残念ながら、私は相手を決めていない。たまたま私が役割をこなす日、おこなう場所にいた、というだけだろう」
「そんな! ただでたらめに襲う相手に選ばれただけで、結美は今も外に出られないほどの苦しみを抱えている、ということですか?! あの結美の怯え方は常軌を逸している。本当は彼女にだけ何かひどいことをしたんじゃないですか!」
そうでないとやりきれなかった。
「外に出られない? そうか……」
残花は得心がいったような顔をした。
「なんですか?」
「私の役割が覿面に効く対象がいる。それは……『かつてクノが生きていた時代に、この村に住んでいた者たちと縁のある人間』だ」
そう言われて衝撃を受ける。長嶋静江さんがいつからここに住んでいたのかは知らないが、その血縁者である結美なら、村に縁のある者という線は考えられなくもない。
「この土地の出身者に縁のある者なら、その魂に『傷神様』と『きずもの』の恐怖が刻み込まれていてもなんら不思議ではない。キズモノよる呪いの言葉を浴びせられても、ただの恐怖で終わる者と、魂のレベルで呪われてしまう者が出るのは、その差だ」
その言葉を聞いて、僕は明乃と菜々穂のことを思い出す。
同じ体験をしたのに、その後の二人の様相はまったく異なっていた。
それが今、残花が言った違いである、というのなら菜々穂も、もしかしたら、この村の出身者を先祖に持つ者かもしれない。
「ひとつ、訊いてもいいですか」
それまで沈黙を守ってきた絹倉が口を開いた。
「その縁がある者に刻まれた呪いを解く方法はないんですか?」
絹倉の問いに、残花は数秒の間を置いて「……ある」と答えた。
「今回のことで私は、この『キズモノ』という役割からは下ろされることになった。ゆえに、君たちに『解呪の祝詞』を教えることが許される」
残花の役割や権限など、今の僕にはなんの興味もない。
「その、解呪の祝詞とは?」
絹倉が単刀直入に切り込む。
残花の表情が一瞬、柔らかくなったような気がした。まるで望んでもいなかった役割から解放され、ひと息ついたかのように。
そして彼は、祈りを捧げるような口調で告げる。
「其は汝の傷にあらず。畏み、傷神に返上奉れ」
ひと息に答えたあと、残花はさらに言い添える。
「『その傷はあなたのものではない。感謝とともに傷神様にお返しなさい』という意味だ。文語で伝えようが、口語で伝えようが……仮に『あなた』を『君』に変えるような多少のアレンジが入ったとしても、主旨を外していなければ、効果は変わらないだろう」
絹倉は「ありがとうございます」と礼を述べると、僕のほうに向かって「で、どうする?」と訊いてきた。
「キミの望んだキズモノとの対面ができたんだ。あとはキミの好きなようにするといい。暴力という名の報復行為をするとしても、僕はここでのことは見なかったことにできるよ」
絹倉の暴力の容認に続いて、残花も言葉をつないでくる。
「君の思う通りにすればいい。私はただ与えられた役割に従っただけだ。どのような目に遭わされようと後悔はない」
負の燃料でたぎっていた炎が急にかき消されてしまったような感覚に陥った。
僕は言う。
「もういいです。ただひとつ約束してください。二度と僕らの前に……いや、この町に足を踏み入れないと」
「了承した。二度と私は、自分の意思でこの土地に入ることはないと誓おう」
残花はそう返した瞬間、なんの予備動作もなく僕の額に人差し指を置いた。
あまりに咄嗟のことすぎて、まったく反応できなかった。
「い、いったい、何をしたんですか?」
「君にはすまないことをしたようだ。お詫びにひとつ、『まじない』をかけた」
「『まじない』? 『のろい』、の間違いじゃないんですか?」
「おかしなことを言う。『まじない』も『のろい』も本質的には同じものだ。実際、漢字で書けば同じになってしまい見分けがつかない」
僕は「呪い」という言葉を思い浮かべる。たしかにどちらにも読める。意味的には「まじない」は幸福へと導き、「のろい」は不幸を引き寄せる。
「本質的には同じで、手段や道具に過ぎない。要は使い手の思い次第、ということだ。安心していい。私が今かけたのは、まず間違いなく『まじない』のほうだ。いつか失った記憶を取り戻すことができるだろう」
残花はそう言い残すと、僕らの横を通り過ぎて歩き去った。
その背中を見送りながら、僕は不思議な感覚に包まれていた。怒りも恨みも、すでにその輪郭を留めていなかった。残花という人間を……いや、人間の形をした何かをわかろうとすること自体が傲慢だったのかもしれない。だがそれでも残花が、与えられた役割を彼なりに全うしようとしていた、ということだけはわかった。何より僕は、「カウンセラー」というもうひとつの残花が担った役割において、恩恵を得ていた者の一人だった。
「其は汝の傷にあらず。畏み、傷神に返上奉れ」
僕たちは大学のキャンパスに戻ると、明乃に連絡を取り、菜々穂を連れてきてもらった。そして、残花に告げられた解呪の祝詞を菜々穂に伝える。
最初は何が起こったのかわからない、というように菜々穂は瞬きを繰り返した。
ぽたりと、ひと粒目の涙が落ちる。
次の瞬間、声にならない喉の奥の震えが噴き出し、やがて号泣に変わった。まるで、自分でも気づかぬうちに満ちていたダムの水面が、言葉ひとつで決壊したかのようだった。
明乃がそっと腕を回し、何も言わずに抱き締める。菜々穂はその腕の中で、泣きながら小さくかぶりを振り続けた。「ごめん、ごめん」と繰り返すように唇が動いていたが、言葉にはならなかった。
嗚咽は途切れながらも長く、どこか深く蓄積されていた感情の澱を、ようやく吐き出すような泣き方だった。
しばらくして、菜々穂は明乃の肩からそっと身を離し、自分の袖で目元を乱雑にぬぐった。深呼吸をひとつ、ふたつ。まだ少し赤いままの目で、僕らのほうを向いた。その瞳の色には、恐れや迷いの色はなく、解き放たれたような輝きが瞬いている。
菜々穂はにっこりと笑った。
「……なんか、夢から醒めたみたい。ずっと、誰かに見られてる気がして、息が詰まって、何をしても怖くて。でも、今は……風が通る感じがするの。とっても爽やかな風が吹いてるように、心がすぅっと軽くなった」そう言って、少し照れくさそうに笑ったあと、「いろいろ迷惑かけちゃってごめんね。でも、もう大丈夫」と続けた。
「本当に、どうもありがとう」
深々と頭を下げて、顔を上げた菜々穂の姿は、かつて彼女と出会ったときのことを思い出させる、活き活きとしたエネルギーに満ち溢れていた。
明乃が菜々穂の手を握りしめながら、安堵の涙を流している。
二人の友情の深さが、この困難を乗り越える力になったのだろう、と僕は思った。
読んでくださってありがとうございました。
ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。
どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。
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次節:第四幕 第五節「キミのバンソーコーになれた?」
7/31(金) 20:00 公開予定
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