↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/31

21>●第三幕 地獄のダブルデート>第七節:氷点下のゴンドラ

第五幕最終節まで、あと9節。

21:氷点下のゴンドラ


 迷子預かりセンターに行く道すがら、唐突にそんな過去を思い出した僕は、迷子となっている女の子と、楽しそうに話す絹倉の横顔を見た。女の子に裾を引っ張られた絹倉が、しゃがんで視線を合わせ、優しく話しかけている。その様子が、運動公園で見た記憶にある光の角度や、気配のようなものとぼんやりと重なった。


 もしかして……と思うが、そんな過去の話は、今この状況でしなければならないものでもないだろう。野球大会の迷子騒動で出会った少年について、顔も思い出補正が入っているかもしれないし、名前だって知らないのだ。単なる錯覚かもしれない。これ以上、僕の中だけで考えても答えが出ることはない。


 そうこうしているうちに、迷子預かりセンターも兼ねた遊園地の事務所に辿り着くと、そこには女の子の両親らしい男女がいた。


 両親の姿を見つけた途端、女の子は駆け出していき、母親の腕に飛び込む。父親も女の子の頭を撫でながら、安堵の吐息を漏らしていた。一度は収まっていた涙が、また溢れてきたのか、女の子は母親にしがみつき、鼻を啜らせる。


 僕らはそっと離れた位置に立ち、家族の再会を見守っていた。


 簡単な届出の書類を記載するあいだ、僕らは女の子の両親から何度もお礼を言われ、そのたびに「いえいえ、大したことは……」と口を揃えて恐縮した。


 じりじりと、しかし、着実に行列が動いていく。あたりにはポップコーンや綿菓子の甘ったるい匂いが漂っていた。背後にいる家族連れの子どもが、「もうすぐだね!」と楽しそうな声を上げる。ああ、もうすぐだね、と心の中で勝手に受け答えをするくらいに、僕は現実逃避をしかかっていた。そろそろ僕らの順番が巡ってくる。


「アレに乗ろう」


 菜々穂が観覧車を指差したのは、三十分ほど前だ。


 この遊園地の象徴的な存在である観覧車を避けることは不可能で、菜々穂が乗ろうと言い出すのは時間の問題だとは思っていた。もう夕方だ。しかも夜に近い。このイベントを締め括るには適したタイミングと言えるだろう。だが……僕はこの観覧車を乗り終わったときの結末をうまく想像することができなかった。


 お世辞にも今日の僕らの行動は、菜々穂の想定したものだとは言い難い。迷子騒動なども相まって、デートらしい雰囲気はそう多くは作れていないのだ。いったいどうオチをつけるつもりだ……? ターゲットとなる絹倉は、そんな気まずさなど感じていないかのように、菜々穂や明乃にバランスよく会話を振っている。


「お待たせしました」係員が僕らのほうへ声をかける。「何名様で?」


 僕は明乃と乗ることになるだろう。そう思って、絹倉たちから少しだけ距離を空ける。


 明乃もそれを察しているようで、僕の隣へとわずかに体を動かした。


「四名で」


 絹倉が指で示すと、その場にいた皆が、豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべた。


 おいおい! さすがにこの場は……と僕が阻もうとした瞬間、絹倉が明乃の手首を握って、「ほら、明乃たちも行こう」とゴンドラのほうへ引き入れる。


「いってらっしゃいませ」と係員がゴンドラのドアを閉める。


 酸素が薄い。実際の濃度は知らないが、少なくとも僕の肺がそう感じるくらいには気まずい空気が流れている。僕の隣に座る明乃も同様だろう。


 斜め前に向かって座る菜々穂は、何かをこらえているようだった。だが、ゴンドラが四分の一を回った頃、臨界点を迎えてしまったようだ。


「どうして!」と立ち上がった菜々穂は、隣に座る絹倉のほうを振り向く。


 ゴンドラがかすかに振動しているような気がする。


「なんで私と二人っきりになるのを嫌がるのよ」


「二人だと、話がボクらの関係のことになるでしょ」


「それの何がいけないの?」と言った菜々穂は「別にいいわ。外野が何人いたって、今ここで言ってあげる」と息を吸った。


「私と付き合って」


 絹倉が応じるまでの、ほんの数秒が耐え難いほど長く感じられた。


 いつもうるさいくらいに饒舌な絹倉の沈黙は、石のように重い。


「それはできない」


 菜々穂の肩がびくりと揺れた。まるで誰かに軽く叩かれたかのような反応だった。


「私のことをもっとわかってくれれば……」


「菜々穂は十分魅力的だと思うよ」


「だったら……」


「ごめん、そういうことじゃないんだ」


「じゃあ、どういうこと?」


「本当なら言いたくなかったんだけど……」


 ゴンドラがいつの間にか頂点を回る。


「好きな人がいるんだ」


 絹倉の言葉がゴンドラ内の空気を、より一層重いものにした。


「それって私が知っている人?」


 何度かの深呼吸によって、息を整えたらしい菜々穂が問う。


 どんな表情をしているのかは、背を向けられている僕にはわからない。


「知っている、というか、今ここいる……」とまで絹倉が言ったところで、菜々穂が斜め後ろにいる明乃のほうを振り向いた。ちらっと見える横顔には怒りとか悔しさのような感情が垣間見える。


「この地味女が? 私が、こんな女よりも劣ってるっていうわけ?」


 売り言葉に買い言葉とかは関係ない。明らかな侮蔑は、僕でさえ腹に据えかねるものがあった。当の明乃はポカンとしているが、菜々穂に失礼を詫びさせなければ、と言葉を発しようとしたときだ。


「まいったな……」


 絹倉の声だった。だが、別人のものと言われても納得してしまうくらい、その声には、色がなかった。温度もなかった。腹の底から怖気が走るような、冷たい響きだった。


「君のことは、好きにはなれないけど、嫌いにはなれそうだ」


 菜々穂の背越しに覗くことができた絹倉の瞳は、怒りというより蔑みの色を帯びて、彼女のことを見上げている。一方、菜々穂のほうは、肩が小刻みに震えているのが見えた。彼女なりに勇気を振り絞って告白したのに、こんな形で拒絶されるなんて想像していなかったのだろう。プレゼンテーションの件といい、今回といい、菜々穂にとっては踏んだり蹴ったりの状況かもしれない。僕は彼女に同情すら覚えていた。


「明乃、不愉快な思いをさせたらごめんね」


 絹倉の口調はいつもの感じだった。


「いやいや、わたしはぜんぜん……」と明乃が言い繕うのに被せるように、絹倉が言葉を発する。


「今、菜々穂が謝ったら、今回のことは綺麗さっぱり水に流してもらえないかな」さらに明乃が答える前に、ダメ押しの言葉を言い添えた。「まあ、もし謝らなかったら、ボクが許さないだけなのだけど」


 漆野との一件で、僕は絹倉の攻撃性を垣間見たことがある。だが、はじめて見る明乃は、その豹変ぶりに驚いているだろう。普段の温厚な彼からは想像もつかない、氷のような冷たさ。密室の観覧車の中で、僕は改めて絹倉という人間の複雑さを思い知らされた。


 絹倉のひんやりとした宣言は、菜々穂の心をぐらつかせるのには十分な威力があったのだろう。おとなしく元いた絹倉の隣に座ると、しおらしく「ごめんなさい」と明乃に頭を下げた。


「いいよいいよ、私は気にしてないから」という明乃のフォローも虚しく、菜々穂は目に涙を溜め、鼻を啜り始めた。


 もうすぐ観覧車は乗降場へと辿り着くはずだ。しかし、その数分が恐ろしく長い。


 地獄のような息苦しさだ。


 ドアが開けられる。


「お疲れ様でした。お気をつけてお降りください。またのお越しをお待ちしております」


 係員の社交辞令が、妙に遠くに聞こえた。


 ゴンドラから降りた僕らは、それぞれ別の方向を見ながらタラップを歩く。誰一人、言葉を発することはなく、聞こえるのは菜々穂が鼻を啜る音だけだった。


 僕らの横をゆっくり回る観覧車を見ながら、この四人で「またのお越し」をすることはありえないだろうと思った。

読んでくださってありがとうございました。


ブクマ・ポイント・ご感想、すべてが力になります。

どうか、最後の風景まで見届けていただけますと嬉しいです。


──────────────────

次節:第三幕 第八節「夜の電話」

7/14(火) 20:00 公開予定

──────────────────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。