3話 ~限りなく冷酷に近いメイド~
山の上の豪邸、その最上階にある広大な寝室。
かつては銀髪の貴公子が優雅に過ごしていたその場所で、今はショッキングピンクの小柄な怪物が、高級な絨毯の上をゴロゴロと転がっていた。
「……掃除の邪魔です。そこ、どいてもらえますか? ご主人様」
冷気を含んだ声が降ってきた。マリーゴールドだ。彼女は手にしたはたきを、まるで処刑人の斧か何かのように無造作に振っている。
「嫌だよ……だって、部屋の外に出たらみんなが笑うんだ。僕、知ってるんだよ。庭師のピーターが僕を見て『新種の派手なジャガイモかと思った』って言ってたのを」
「それは面白いですね。私はてっきり『熟れすぎた桃の幽霊』かと思っていました」
「マリーゴールドまでそんなこと言うの!? ひどいよ!」
フリードは短い手足でじたばたと身悶えした。しかし、彼女は眉ひとつ動かさず、淡々と床に箒をかけ始める。
「冗談ですよ」
「今の僕にはその手の冗談を受け流す余裕なんか無いよ。わかるでしょ?」
「分かりません」
「なんで!なんでだよ!」
フリードは泣きそうな顔で絨毯をばしばし叩いた。
「一生ここに閉じこもるつもりですか?」
「当たり前じゃん! 僕はもう一生どこにも行かない、誰にも会わないんだ!」
「嗚呼、何と情けない。それで歴史あるバンディック家の一員とは、笑わせないでください。先祖が泣いていますよ」
「……うちの歴史なんか大したことないよ。今は投資家なんて気取ってるけど、元々は戦場で死体から金を剥ぎ取るような傭兵だったんだからさ。ねえ!」
フリードが急に身を起こし、大きな声をあげた。
「どうしたんですか、急に大声を出したりして。ついに中身までゴブリンになってしまわれたのですか?」
「僕がこんなみっともない姿になったのってさ……もしかしたら先祖が犯した悪行のせいなんじゃないかな? ほら、因果応報ってやつだよ。そう考えるのが自然じゃないか?」
マリーゴールドは掃除の手を止め、初めてフリードを真っ向から見据えた。その瞳は北極の氷山よりも冷ややかだった。
「――違います。断じて」
「……どうしてそんなに言い切れるの?」
「ご主人様がその浅ましい姿になられたのは、貴方が分別のない子供のように、怪しい老婆から渡された林檎を迂闊にも口にしたからです。それ以外に理由などありません。先祖のせいにするのは、己の愚かさから目を背けているだけ。見苦しいですね」
「ううっ……。でもさ、マリーゴールド。僕、どうしてそんなに怪しい林檎を食べちゃったんだろう?」
「……分かりません」
「でも、君はあの時近くにいたんだろう? 何か気づかなかった? 事情を知っているはずじゃないか」
その瞬間、マリーゴールドの表情に、ほんのわずかな陰りが現れた。
「それが……覚えていないのです。あの日、私達はピクニックに出かけました。そして湖でサンドイッチを食べました。そこまでは鮮明に覚えています。ですが、その後の老婆との邂逅に関しては、まるで厚い霧の中にいるようです。老婆の顔も、声も、私たちが何を話したのかも……手繰り寄せようとすると、指先から滑り落ちていく」
「僕もそうなんだよな……。ってことは、これ……」
「ええ。特殊魔法の可能性が極めて高い。その老婆は、他者の記憶を編み直す、あるいは隠蔽する力を持っているのでしょう」
「記憶を操る魔法か。それ、投資家にとっても暗殺者にとっても、一番関わりたくない相手だな」
「私も同感です。……食べた者を『ピンクのゴブリン』に変容させるなどという悪趣味な林檎については、専従医師のエリトンが分析しているようですが、何も分かっていないようです」
フリードは再び絨毯に顔を埋めた。
「それにしても、どうして僕なんだろう……? 僕、何か悪いことしたかな」
「恨まれているのではないですか? バンディック家を恨んでいる輩は、星の数ほどいるでしょう」
「でも、僕個人としては、そこまで人に恨まれるような心当たりはないよ。みんなに優しくしてきたつもりだし……」
「――それはどうでしょうか」
マリーゴールドが掃除用具を片付け、出口へと向かう。その足取りは優雅だが、背負っている空気はひどく重い。
「え?」
「ご主人様を恨んでいる人間……。それは案外、貴方のすぐ近くにいるかもしれませんよ?」
「え、それって……マリーゴールド、どういう意味……!?」
フリードが慌てて顔を上げたが、彼女は振り返らなかった。
「私は囚われの身です。命続く限りご主人様への奉仕を義務付けられ、そして、ご主人様が命を落とせば、私も死ぬ。これほどの無情があるでしょうか………」
「あの、マリーゴールドさん………?」
「お掃除は終わりました。それでは、失礼します」
扉が、冷たく、容赦のない音を立てて閉まった。
「おーい! なんでそんな怖いこと言うんだよー! 戻って来てよ、マリーゴールドー!!」
情けない嘆きの声が豪奢な部屋の中から響く。それを背中に聞きながら歩くマリーゴールドは深い笑みを浮かべていた。
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