第4話 最初に価値を認めたのは現場だった
ルミナスの中央区画にある行政庁舎は、石造りの重厚な建物だった。
王宮の無駄にきらびやかな装飾とは違い、実用性を重視した作りだ。廊下を行き交う文官たちの足早な様子や、どこからか聞こえてくる羊皮紙をめくる音、インクの匂い。
活気というよりは、常に何かの納期に追われているような、ヒリヒリとした忙しなさが漂っている。
俺は案内された応接室で、一人の若い文官と向かい合っていた。
「遠路はるばるご苦労様です、真鍋修司殿。私はこのルミナスで代官補佐を務めております、セルアス・レインと申します」
セルアスと名乗った男は、二十代後半ほどの年齢に見えた。
整った顔立ちには疲労の色が滲んでおり、几帳面さを思わせる銀縁の眼鏡の奥で、値踏みするような視線が俺に向けられていた。
彼の手元には、王宮から送られてきたであろう俺の処遇に関する書類が置かれている。
「王都からの通達は読んでいます。『勇者召喚に巻き込まれたが、戦闘能力を持たないため、地方の行政雑務へ回す』と」
「ええ。言われた通り、ただの雑務係です。力仕事はともかく、書類整理くらいなら手伝えますよ」
俺が素直に答えると、セルアスは眼鏡の位置を押し上げ、小さく息を吐いた。
「……本来であれば、あなたには資料室の古文書整理でもお願いするつもりでした。王宮からの『厄介払い』だと、私も思っていましたから」
「本来であれば?」
「ええ。ですが、つい先ほど、城門の門番隊長であるガルドから早馬で報告が届きましてね。……修司殿。あなたは城門の魔導認証機の不具合を、一目見ただけで解決したそうですね」
セルアスの言葉に、俺は少し驚いた。
あのガルドという隊長、現場で怒鳴り散らすだけの男かと思えば、報連相のスピードがやたらと早い。優秀な現場責任者だ。
「解決というほど大げさなものじゃありません。古い検疫の読み取り設定が残ったまま、新しい通行証を処理しようとしてシステムが引っかかっていただけです。応急処置として、読み取り部を指で隠してスキップさせたに過ぎません」
「だとしてもです。あの認証機は、王都から派遣された魔導技師すら『魔力溜まりのせいだ』と誤魔化して逃げ帰った代物ですよ。それを、魔力を持たないあなたが、いとも容易く原因を特定した。ガルドは『あいつは現場で使える。ただの雑務に回すな』と、珍しく強い言葉で推挙してきました」
セルアスは書類の束をトン、と机で揃え、まっすぐに俺を見た。
「王宮のエリートたちは、魔物を倒す力がないあなたを『無価値』と判定したのでしょう。ですが、我々地方の現場が求めているのは、魔王を倒す英雄よりも、今まさに滞っている目の前の業務を回してくれる人間です」
「……買い被りすぎですよ。俺には戦闘力も、政治的な権力もありません。ただ、少しだけ『物事のズレ』が見えやすいだけです」
「その『ズレを見抜く力』を、ルミナスは高く評価します」
セルアスはきっぱりと言い切った。
王宮での冷ややかな視線とは正反対の、実務能力に対する純粋な期待。
彼らが求めているのは俺という人間そのものというより、「このトラブルだらけの街をどうにかする手腕」なのだろう。だが、それでいい。無能な厄介者として扱われるより、余程働きがいがある。
「分かりました。それで、俺に何をさせたいんですか?」
俺の問いに、セルアスは少しだけ表情を曇らせた。
「冒険者ギルドへ向かっていただきたいのです」
「ギルド、ですか」
「ええ。冒険者たちが請け負う魔物討伐や素材採集の依頼を管理し、報酬の支払いなどを行う組織です。現在、そのギルドで深刻な『処理遅延』が発生していましてね」
(なるほど。ファンタジーの定番組織だが、やってることは要するに現場仕事の元請けや、派遣業の管理部門みたいなものか)
俺が内心で納得していると、セルアスは眉間を揉みながら続けた。
「依頼の受付、達成報告、報酬の支払い……あらゆる手続きが異常なほど滞り、処理待ちの案件が山積みになっているのです」
冒険者たちは「ギルドが故意に報酬の支払いを渋っている」と怒り、ギルド側は「冒険者の書類の書き方が悪い」と反発している。互いに責任を押し付け合い、現場の空気は最悪。
行政側から監査を入れたくても、ギルドは独立性が高く、下手に介入すれば冒険者たちの暴動に繋がりかねないという。
「修司殿には、代官所からの『臨時監査役』ではなく、あくまで『業務補助の雑務係』という名目でギルドに入っていただきます。そして、一体何が原因で処理が詰まっているのか……そのズレを見極めてほしいのです」
なるほど。
要するに、潜入での現状分析とボトルネックの特定(業務監査)だ。
俺の前職でのメイン業務そのものじゃないか。
「引き受けましょう。ただし、原因が分かったとしても、俺一人で制度を変える権限はありません。解決策を実行する時は、代官所からのバックアップをお願いしますよ」
「もちろんです。期待していますよ、修司殿」
* * *
行政庁舎を出た俺は、教えられた道を辿り、ルミナスの冒険者ギルドへと足を運んだ。
街の中心部にあるその建物は、周囲の商店よりも一回り大きく、重厚な造りをしていた。
だが、扉を開けた瞬間に飛び込んできたのは、威厳とは程遠い、耳をつんざくような怒号と喧騒だった。
「だから! 先週提出したゴブリン討伐の達成報告はどうなってんだって聞いてんだよ!」
「申し訳ございません! 現在、魔導記録台帳との照合に時間がかかっておりまして……っ!」
「昨日も同じこと言ってたじゃねえか! こっちは武具の修繕費も払えねえんだぞ!」
むせ返るような汗と革鎧の匂い。
ロビーには数十人の柄の悪い冒険者たちがひしめき合い、五つある受付窓口のうち、開いている三つの窓口に殺到して文句を浴びせている。
俺は壁際に寄り、邪魔にならない位置からカウンターの様子を観察した。
最も激しく詰め寄られている中央の窓口。
そこで対応しているのは、二十代半ばほどの女性職員だった。
きっちりと結い上げられた亜麻色の髪。仕立ての良い制服。だが、その目元には色濃い隈が浮かび、書類を持つ手は疲労でかすかに震えている。
それでも彼女は、声を荒らげることなく、必死に冒険者たちをなだめ、手元の書類と背後にある水晶端末を何度も確認していた。
「有能で真面目。だからこそ、理不尽な現場の負荷を一番被っているタイプだな……」
俺は誰にともなく呟き、目を細めた。
城門を抜けた時から感じていた、この街全体を覆うインフラの歪み。
このギルドという組織の内部にも、それは間違いなく巣食っているはずだ。
俺は意識を集中し、カウンターの奥――受付嬢が必死に処理しようとしているシステム全体へと目を向けた。
『差分解析』
ふっと、視界が切り替わる。
そして、俺は思わず息を呑んだ。
受付嬢と冒険者、そして背後の魔導台帳を結ぶ、見えない処理のルート。
それが、幾重にも絡み合った「赤いエラー線」となって空中に浮かび上がっていた。
本来なら「受付→照合→支払い」と一本の線で進むべき処理が、途中で謎の例外ルールに弾かれ、別の部署へ回り、差し戻され、無限ループのような迷路を形成している。
(なんだこのイカれたワークフローは。これじゃ、どんなに優秀な人間が徹夜で回しても終わるわけがない)
処理遅延の原因は、冒険者のせいでも、受付嬢のせいでもない。
長年継ぎ足されてきた「ルールの肥大化」が、システムそのものを内側から食い破ろうとしているのだ。
怒号が飛び交うギルドの片隅で、俺は小さく口角を上げた。
魔物を倒すための剣は持っていない。だが、この最悪なスパゲティコードを解きほぐすための「メス」なら、俺の目の中にある。




