3 特別な場所
それから数週間が過ぎても、森で目撃したあの塔の光景は、片時もディランの頭から離れなかった。
祈りの時間も、過酷な訓練の間も、そして食事時でさえ、彼の心を占めるのはあの石造りの壁と、扉のように大きな窓のことばかり。心ここにあらずといった様子でありながら、剣を握れば彼に打ち勝てる者は一人もいなかった。
ある日のこと。午前の訓練を終え、汗を拭いながら食堂へ向かおうとするディランを、ルイ隊長が呼び止めた。
「待て、ディラン。貴公は食堂へ行く必要はない。先日の件で、今すぐ森の西側の様子を確認してこい」
ディランが足を止めると、いつも同じテーブルを囲んでいる同期の青年騎士も、少し離れたところで歩みを止めてこちらを伺っている。
「……はっ、直ちに向かいます」
短く応じたディランに、ルイ隊長は一歩歩み寄り、周囲に聞こえないよう声を潜めた。
「九刻の日課までに戻れ。他の連中には、おまえに特別なしごきを与えたと言っておく。馬袋に配給のパンを一つ入れておいた。それを持って行け」
ディランは胸に手を当てて一礼し、その場を後にした。
「悪いな。聞いた通り、昼飯は抜きになってしまった」
同期の男のもとへ駆け寄ると、ディランは苦笑混じりに小声で告げた。同期の騎士は、若き天才の受難に同情の眼差しを向ける。
「ルイ閣下のお気に入りというのも楽じゃないな。お前の分、飯を取っておいてやろうか?」
「いや、いいよ。どれくらいかかるか分からないし、先に食べててくれ」
ディランは軽く首を振って断った。自分への勝手な施しが知れれば、この優しい同期までが罰を受けかねない。そんな彼らしい配慮だった。
入団当初こそ、異例の若さで騎士となった彼を快く思わない者も多かったが、二年間共に汗を流し、同じ釜の飯を食ってきた仲間たちは、今では彼を頼もしい後輩として受け入れていた。
午後の訓練が始まる時間まで戻るつもりはなかったため、適当な理由をつけて同期と別れると、ディランは世話を受け持っている馬を一頭連れ出し、禁忌の森へと馬首を向けた。
しばらく馬を走らせると、例の巨木の麓に辿り着いた。
そこには相変わらず、二十人分もの高さを誇る圧倒的な古木が鎮座している。大きく広がった枝葉の隙間からは柔らかな木漏れ日が降り注ぎ、草や土の上で静かに揺れていた。
「つい、また来てしまったけれど……。さて、どうしたものか」
馬の鼻先を撫でながら、ディランは独りごちた。
「本当に、立派な木だな……」
見上げるほど巨大なその幹を前に、彼は再び、あの「違和感」の正体を探るように目を細めた。
結局のところ、その日のディランがしたことと言えば、巨木の根元に腰を下ろして配給の硬いパンを齧り、ぬるくなったワインでそれを胃に流し込むことくらいだった。
あるいは、ごつごつした幹に背中を預け、首が痛くなるほど高い木の梢をぼんやりと眺めたり。時折、今日あった他愛もない出来事を、目の前の巨木に報告したりもした。
もし見回りの騎士に聞かれれば不審がられるため、報告は囁くような小声だったが、ディランは不思議と「誰かが自分の言葉に耳を傾けてくれている」ような温かな感覚を抱いていた。
九刻の日課が始まる前、ディランは王領の神殿へと戻り、ルイ隊長の執務室の門を叩いた。実際には何も起きていないため、報告すべきことはほとんどなかったのだが。
「……巨木の周辺を観察しましたが、小動物の動きにも異変はありませんでした。以上です」
直立不動の姿勢で報告を締めくくったディランに、椅子に深く座り直したルイ隊長が、射抜くような視線を向けて問いかける。
「そうか。ディラン、おまえはあの塔……いや、あの巨木について、本当はどう思っている?」
「はっ。確かに底知れぬ不思議なものを感じます。ですが、あまりに気配が澄んでいるため、それが何であるのか、今の私にはまだ分かりません」
「……分かった。引き続き、貴公に巨木の調査を命じる。毎週、今日と同じ時間に三刻ほどの外出を許可しよう。表向きには、あの気性の荒い馬を調整しに行くと伝えておく。そのつもりでいろ」
「はっ!」
鋭く礼をしたディランに、ルイ隊長はふっと声のトーンを落とし、手招きをして彼を近くへ寄せた。
「あの奇妙な塔のことも気になるが……。俺にとっては、おまえの身の方が大事だ。自分を追い詰めすぎるな。そこでゆっくり、羽を休めてくるといい」
隊長の意外な言葉に、ディランは一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を和らげた。
こうしてディランは、毎週金曜日の正午から午後の訓練が始まるまでの間、大手を振ってあの森へ通えるようになったのである。




