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銀の乙女は愛されて  作者: リシエ
禁忌の森
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4 特別な場所2

 ディランが巨木の麓で無防備にまどろんだり、鼻歌を口ずさんだりしているその時。擬態した塔の内部――本来なら窓があるはずの場所の向こう側では、静かな変化が起きていた。

 ナタリーは、毎週やってくる栗色のふわふわとした髪の少年を、最初は冷ややかな目で見守っていた。追い払うことなど、彼女の魔法をもってすれば造作もない。だが、少年は決して剣を抜くことはなく、ただ穏やかな気配を纏ってそこに居座り続けている。

「また、あの子ね……」

 ナタリーの傍らで、リシエが無機質なオッドアイを塔の内壁へと向けていた。彼女にはまだ感情というものがなく、言葉を紡ぐこともない。

 けれど、週に一度、足元から響いてくる少年の楽しげな話し声や、馬が草を食むのどかな音。そして、彼が放つ屈託のない安心感は、リシエの心の深い淵に、小さな小さな波紋を投げかけていた。

 ナタリーは、リシエのわずかな変化を見逃さなかった。彼女は複雑な想いを瞳に宿しながら、石壁の向こう側でパンを頬張っているディランの、無邪気な頭のてっぺんを見つめ続けていた。

(――リシエに「心」を与えるのは、私であったはずなのに)

 ナタリーの胸の奥で、小さな嫉妬が火を灯す。

 禁忌の森の巨木と、そこへ通い詰める少年。この奇妙で静かな交流は、誰に知られることもなく、重なり合うように続いていった。


「私はね、リシエ。あなたを縛り付けたり、私だけの人形として扱うつもりなんてなかったの。……でもね、あなたの心が、あんなぽっと出の小僧に動かされるのを見ると、どうしようもなく寂しくなってしまうのよ」

 ナタリーは慈しむような手つきでリシエの髪を撫でた。語りかけているようでいて、それは自分自身に言い聞かせているかのような、微かな呟きだった。リシエに寄り添っているナタリーは、そのとき、リシエの瞳がわずかに震えたことには気づかない。

「もう、どれほどの時が流れたのかしら。パパとママが奇妙な病で死に絶えて……あの方が私にこの力を授けて。私は、あなたの顔を創り上げることで、必死に『彼』の面影を留めておこうとしたの」

 優しく、壊れ物を扱うように、ナタリーはリシエの銀髪を撫で続ける。リシエの横顔をなぞるたび、ナタリーの胸には鋭い痛みが走った。

「皮肉なものね。あなたを創って、やっと気づいたの。……私はもう、彼の本当の顔を思い出せなくなっている」

 ナタリーはリシエの頬に触れ、記憶の断片を懸命に繋ぎ合わせようとする。けれど、大好きだったはずの男の子の輪郭は、霧の向こう側へと溶けていくように曖昧だった。リシエの整った顔立ちはどこまでも彼に似ているはずなのに、それが「正解」なのかを確かめる術は、もう今のナタリーには残されていない。

「彼が人間に絶望したから、あなたももう感情を思い出せないのだと思っていたわ。……けれど、違ったのね」

 彼女は視線を、外に広がる「窓」の向こうへと落とした。


「あの小僧のせいで、私は自分の無力さを思い知らされたわ。やはり、魂を掬い上げることはできても、傷ついてしまった心までは私一人では癒せなかった。……私は、彼の代わりを創ったつもりで、ただ、自分の孤独を埋めるための空っぽな器を創ってしまっただけなのかしら」

 ナタリーは自嘲気味に呟き、リシエの横にひざまずき、その細い体を抱きしめ、祈るように彼女の肩へと額を預けた。

「あなたが望むものなら、何でも叶えてあげたい。そう願ってはいるけれど、あなた自身が『望み』を失ってしまったのなら、私にはもう、何もしてあげられない……」


 その時、リシエの膝の上に静かに置かれていた左手の指が、ぴくりと跳ねるように動いた。

 リシエの肩に顔を埋めていたナタリーは、額に伝わる微かな筋肉の律動に、思わず息を呑んだ。

 リシエの腕が、重力に抗うようにゆっくりともち上がる。

「えっ……」

 驚いて顔を上げたナタリーの焦げ茶色の髪の上に、リシエの白く細い指先がそっと触れた。リシエの首がわずかに傾き、その顔が、まるで慰めるかのようにナタリーの方へと向けられる。

「リシエ……?」

 ナタリーは、その異色の瞳の奥に灯ったはずの「光」を必死に探そうと、食い入るように覗き込んだ。

 しかし、金と灰色の双眸は、すでにただの硝子玉のように、静かにナタリーを映し出すだけの虚ろな器に戻っていた。

 やがてリシエの腕は、ふわりと力なく落ちて元の膝の上へと戻り、その顔もおもむろに正面を向く。

 先ほどまでの変化は、まるで陽炎のような一瞬の出来事だった。けれど、ナタリーの髪に触れたその柔らかな残熱は、凍てついた心を溶かすほどに、優しく、幸せな温かさに満ちていた。

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