7. 進路
泣くというのは体力をかなり消費するらしい。窓から草原を眺めていたはずなのにいつの間にか寝てしまっていた。時計を見ると日付を超えて朝の8時だった。
旭と連絡をとり食堂へ向かう(白い家は広くどこに行くにしても必ず迷子になってしまうので、ついてきてもらうようにしていた)。確か朝は8時半までだったはずだ。遅い時間だからか、食堂にはほとんど人がいなかった。
「今日は、かつおのたたき茶漬けだよ」
献立表をみていた葵の横に立ったのは、厨房の管理栄養課の人のようだ。50は超えているようにみえる太り気味の男性と、短く髪を整えている若い男性が葵の顔を覗く。若い方がバシンと旭の肩を叩く。
「よう。担当の女の子を泣かして風音にどやされたんだって?」
「おたくの厨房ではずいぶんご立派な尾ひれがついた魚を飼っていらっしゃるようだな」
2人は笑いあった。
「こいつは同期なんだ。夕暉という。お隣は満宵さん。二人とも管理栄養課の料理人だ」
どうも、と笑った夕暉は、旭ほど背は高くなくすらりとしている。すっきりとした一重に薄い唇も相まってはかなげな印象を与える。
ひょっとすると女性にも見えるが、料理人らしい逞しい手や落ち着いた低音を出す喉がそれを拒んでいる。
「お嬢さん、あなたが最後だから、茄子のお漬物、ちょっと多めにあげるね」
「ありがとうございます」
葵は優しい言葉に素直にうなずいた。夕暉が厨房に戻り、満宵は葵たちと一緒に座った。
食事が出てくるまでの間、葵は何を話したらよいかわからなくて黙っていたが、満宵が勝手にべらべら話してくれたので助かった。
「嬢ちゃん、来世を選ばなきゃいけないんだろ?大変だなあ。旭じゃ頼りねえだろ」
「いえ、そんなことは」
「いやあ、あるね。こいつは昔から朴念仁で人の役に立つような男じゃなかった。使いどころはもっとほかにあらぁね」
旭は苦笑いするだけで否定しなかった。
「向いてねぇことをするのは負担だ。本人にも、周りにもな」
「僕はそうは思いませんよ」
夕暉が、お待ちどうさま、という言葉とともに大きめの器に盛られたお茶漬けを持ってきてくれた。茄子も酢に染まって綺麗な色が出ている。
ここでは厨房の人が料理を運ぶなど普段はない。本当に閉店の間際なのだ。葵はズズズ、とかきこんだ。
「はは、急がなくていいよ。味わって」
夕暉が笑う。満宵がじろりと後輩をにらんだ。
「で?そうは思わないって?」
「ああ、ええと、僕は向いてないことをするのもたまにはいいんじゃないかなって思いますよ。そのうち慣れてきて自分で自分をフォローできるようになることもあります」
「どうかねえ」
旭も腕を組んで考え込む。葵は、この人たちにも自分の話を聞いてもらいたくなった。こんなことは初めてだ。誰かに自分のことを相談しようなんて考えたこともない。別に言う必要もないと思っていた。
悩みは自分で押し殺して消化するのが一番だと思っていたのに。これでは個人情報がダダ漏れではないか。それでも、口は勝手に開く。
「私は、来世を選ぶのが向いてないみたいなんです」
「ああ、もしかしてそれで泣いていたのか?」
葵は恥ずかしくなってうつむいた。小さく頷く。
「そうだなぁ。俺はずっと厨房だからそういうことはわからんが、嬢ちゃん、自分のことをちゃんと考えてみたことあるのかい」
「自分のこと?」
「そう。あんたはいっつも誰のことばっかり考えていたんだろ。自分のことがわからなきゃ次の自分だってわからないんじゃないかね」
そういわれてみると、そうだったかもしれない。勉強も家事も、母さんに振り向いてもらいたい一心でやっていた。夕暉も頷く。
「なんだかんだいって一番自分のことを考えてやれるのは自分ですからね」
「だろ?今のままじゃ、次の嬢ちゃんに失礼だ」
「でも私は、来世を選びたくないんです」
葵は螢十にした話をもう一度した。
「そうかい。そりゃ難儀だね」
「僕は、葵さんがなんで悩んでいるのか、わからないな」
「へ?」
葵は夕暉の率直な言葉に、思わず間の抜けた返事をした。旭も眉をひそめて夕暉に解説を求める。
「だって、来世を選びたくないのなら選ばずここで働けばいいよ。別に、絶対に選ばないといけないっていう決まりはないんでしょ?」
夕暉は旭を見て、確認するように片眉を上げる。
「まあ、そうだが・・・」
「なんだ、出来ない理由でもあんのか」
歯切れの悪い旭に、満宵がドスの効いた声で応戦する。
「ないが、そういう場合はちょっと面倒なことになるぞ」
「面倒でもいいです」
葵もここぞとばかりに食いつく。ここで逃したら、案外頭の固い旭のことだ。「前にその話はダメだと言っただろう」の一言で一蹴されて終わってしまいそうである。
「そういう面倒なことをやるのが俺たちの仕事だろ」
勝手したたる様子でお茶漬けのお椀とやってきたのは陽向である。いただきます、と言ってガガガとかきこんだ。勢いがつきすぎてポタポタと汁をこぼす陽向に顔をしかめ、旭が紙ナプキンを渡す。
葵も多めにもらった漬物の小皿を差し出した。
「悠李はどうした」
「部屋で寝込んでる」
陽向はんぐっと喉を鳴らして飲み込んで、ひょいっと肩をすくめた。
「葵さんは、どう?一夜明けてみて」
「今、その話をしていたところなんです。来世を選ばずここで働こうと思ってるんですけど」
「ほう。まあ、いいんじゃないか。そう思ったならそうすればいいよ。何度も言うようだけど、ここは葵さんたちの希望を叶えるためにあるんだからな」
一見、冷たく聞こえるが、陽向は葵の意思を受け止めてくれているように、葵には感じられた。
「嬢ちゃん、働くなら管理栄養課にきてくれよ」
満宵が冗談か本気かわからない声色で言った。陽向がお箸を左右に振った。
「勧誘はダメですよ。本人の希望と適性を見て研修期間を経てから配属が決まりますから」
「知ってらぁね。俺だって昔そうしたんだからな」
「葵さんの場合はもっと厳しくみるんだ。相談課の全職員と面談したりものすごい量の書類を書かされたりするぞ」
陽向の言葉にうなずいて、旭が付け加える。
「まあ、あと30日はどっちみち考える期間だから、おとなしくしてもらうがな」




