6.こころ
30日あるといっても長いようで短い。ぐるぐる考えていたらあっという間である。旭がしばらく一人にしてくれたので、葵は白い家を散歩することにした。
中庭が見える回廊まで来たとき、中庭の向こうから、人がトコトコと駆けてきた。
「葵さーん!お久しぶりです」
螢十だった。相変わらずにこにこしている。
「お久しぶりです」
「あれ、お顔が優れませんね。せっかくの美人さんがもったいないです」
葵は力なく笑って見せた。螢十は、あ、そうだ、と言ってポンと手を打った。
「よかったら、案内課の厩舎に行きませんか」
「厩舎?」
「ほら、葵さんもこの家に来るときに、大きな鳥に乗ったでしょう?ほかにも花やら馬やら虎やらいるんですよ」
「見せてもらってもいいんですか?」
「ぜひ。かわいいですよ」
螢十が言った通り、厩舎には様々な動物がいて、それぞれ世話係がついていた。
「私の相棒の鳥は、今日は天気がいいので外にいるんです。見えますか?あの岩の上にいる白に瑠璃色が入った鳥です。たま、というんです」
陽の光に反射して白がまぶしく見える。綺麗に手入れされていることが遠目にもわかった。他にも犬や猫、ウサギなどありとあらゆる動物がいてどれも人が乗れるほど大きかった。
「綺麗ですね」
「でしょう?案内課の者は一人一頭、相棒がいて葵さんのような方をお迎えに上がるんです」
「お世話とか大変じゃないですか?」
「そんなことありませんよ。最初は慣れなくてつらいと思うこともありましたけど、もう180年もやっていると習慣になって、逆に相棒たちに触れ合っていない方が負担になるんですよ」
「180年!」
葵は目をむいた。
「ええ、ここにいる人たちは皆、見かけと実年齢が一致しないんですよ。葵さんの担当の旭さんは確かまだ40年くらいだったと思いますが。外見が変わらないから、中身もなかなか成長しないみたいでしてね、勉強の日々でなかなか楽しいですよ」
「はあ・・・」
突拍子もない話に、葵はぽかんとする。
「私はね、葵さん。ここにいて、動物たちをお世話して、触れ合って、葵さんのような方たちを乗せてここまでご案内して、今日もありがとう、と相棒に言うことが一番好きなんですよ」
「きっと、好きなことだから180年も続くんですね」
「ええ、そうなのだと思います。何より、そうしていることで心が満ち足りるんです。ああ、幸せだなあって思うんです」
幸せ、と葵は口のなかで転がした。
「相談課の風音さんに、あなたにとっての幸せってなにかと聞かれました」
「なんとも哲学的ですね。なんと答えたんですか?」
「何も答えられませんでした。幸せってなんなのか考えれば考えるほど、わからなくなります」
螢十は柵にもたれた。
「葵さん、数えられるとしたら、幸せはいくつあると思いますか?」
「え?」
「幸せっていうのは、いっぱいあるんですよ。ご飯がおいしいとか、新しい服を着るとか、たまが今日も元気だとか、たくさんあるんです。葵さんは、今、幸せを一つだけ選ぼうとしているんですよ。だから、わからなくなってしまうんだと思います」
軽く吹いた風に目を細め、螢十は近寄ってきた羊をなでた。
「幸せは選ぶものじゃないと私は思います。自分の隣にあるちょっといいことに気づくことです。そのことに気づいたら、気づけたことが幸せなんじゃないでしょうか」
「でも、私はここにいる以上は選ばなくてはいけません」
うつむいた葵に、そうか、と螢十はうなずいた。
「葵さんは来世を選べなくて困っているんですね」
「はい」
葵はただ肯定する。
「葵さんは、お母様との思い出に幸せを感じているんです。素敵なことです」
螢十の変わらぬ微笑みに、ふいに目の奥が熱くなって目が潤んだ。これ以上はため込めない、というところまで我慢したら、一気に涙が頬を伝った。
「来世でその記憶が消えてしまうのが怖いんです」
「そうでしょうとも」
「どうすればいいかわからないんです」
「時間はたくさんあります。いざとなったら、ここで一生働いてください。歓迎しますよ」
顎まで伝って手のひらに落ちた雫を、寄ってきたやたらでっかい犬がぺろりとなめた。涙の止め方が分からなかった。




