■第二話 村長になった俺、村を発展させる
人口三十七人。
それが、俺が村長になったアルバ村の全人口だった。
村長になった翌朝。
俺は村を歩いていた。
畑。
家。
井戸。
倉庫。
川。
どこを見ても、これといって珍しいものはない。
一見すれば、どこにでもある小さな農村だ。
だが。
前世で会社員をしていた俺には、どうしても気になるところがあった。
いや。
気になるところだらけだった。
「……やっぱり、まずここだな」
俺が足を止めたのは――井戸だった。
井戸のすぐ近く。
そこには、汚れた水が溜まっている。
そして、そのさらに奥には。
村人が使っている簡易的な便所があった。
俺はしばらく、その光景を眺めた。
「……これはダメだ」
前世なら、一発で衛生問題になる。
水と排泄物。
その距離が近すぎる。
もし病気が流行れば。
三十七人しかいないこの村なんて、一瞬で壊滅する。
「村長」
背後から声がした。
振り返る。
そこにいたのは、前の村長だった老人だった。
「どうした?」
「朝から井戸を見つめて、何を考えている?」
俺は井戸を指差した。
「便所を作る」
「……便所?」
「ああ」
俺は即答した。
「今の場所じゃない。井戸や川から離れた場所に作る」
老人は困ったような顔をした。
「しかし……今までこれで困ったことは……」
「病気になってからでは遅い」
俺は老人を見る。
「病気は、起きてから対策するんじゃない」
一拍置く。
「起きないようにするんだ」
それが。
俺が村長になって最初に行った改革だった。
村の端。
井戸や川から十分に離れた場所に、共同便所を作る。
穴を掘る。
雨水が入りにくい構造にする。
その上に簡単な小屋を建てる。
排泄物が溜まったら、一定期間を置いて堆肥化する。
ただし、生のまま畑に撒かない。
衛生面を考えて、十分に腐熟させる。
さらに、灰を置いた。
「用を足したら、灰をかける」
「灰を?」
「臭いを抑える。虫も減る」
村人たちは半信半疑だった。
だが。
数日後。
「……臭いが全然違う」
「虫も少ないぞ」
「本当に?」
少しずつ。
村人たちの表情が変わっていった。
そして俺は、便所の横に小さな水場を作った。
「用を足したら手を洗う」
「そこまでやるのか?」
「そこまでやる」
さらに石鹸のようなものも作る。
木灰や油脂などを利用して、簡単な洗浄剤を作った。
「こんなもので汚れが落ちるのか?」
「やってみれば分かる」
村人たちが手を洗う。
「……おお」
「手がさっぱりする」
「臭いも取れるな」
小さな変化だった。
だが。
俺は思う。
こういう小さな変化が。
村全体を変えていく。
衛生。
水。
食料。
この三つが村を守る。
ならば。
ここから始める。
だが。
俺には、まだ気になる場所があった。
「次は道路だ」
アルバ村の道はひどかった。
雨が降れば泥。
荷車は沈む。
人は転ぶ。
商品を運ぶ商人にとっては最悪だ。
そこで村人を集めた。
「道の両側に溝を掘る」
「溝?」
「雨水を逃がすためだ」
さらに石を敷き、低い場所を埋める。
川に近い場所には、簡単な橋も作った。
そして雨が降った。
翌朝。
村人たちが道に出てくる。
「……村長」
一人の農民が呟いた。
「雨が降ったのに、道を歩ける」
「当たり前だろ」
俺が答える。
すると農民は苦笑した。
「いや……今までなら当たり前じゃなかった」
俺は、その言葉を聞いて笑った。
そうだ。
村を発展させるというのは。
派手なものを作ることじゃない。
「今まで当たり前じゃなかったものを、当たり前にすることだ」
そう考えると。
やることはいくらでもあった。
「歩きやすい」
「荷車も通れるぞ」
「これなら市場まで荷物を運びやすいな」
次に、荷車に目をつけた。
もっと増やせないか?
木製の車輪を改良し、荷車を作る。
農作物を一度に大量に運べるようになった。
村人たちの仕事が少し楽になる。
そして次に手を付けたのは農具だった。
「この鍬、重すぎる」
「昔からこれだ」
「だから変える」
柄の長さを調整する。
刃の形を変える。
土を起こしやすくする。
さらに牛に引かせる鋤を改良した。
最初は村人たちも半信半疑だった。
だが。
「……一人で耕すより速い」
「当たり前だ。牛に働いてもらっているんだから」
さらに種をまく道具も作った。
一定の間隔で種を落とす。
すると「これなら種を無駄にしない」
「芽が出る場所も揃っている」
畑の見た目まで変わっていった。
そして俺は。
また次の問題に気づいた。
「収穫した作物はどこに置いてる?」
「家だ」
「全部?」
「全部」
「……それは危ないな」
火事になったら全滅する。
ネズミに食われても終わる。
湿気れば腐る。
そこで共同倉庫を作った。
壁を厚くする。
床を地面から少し上げる。
換気用の小窓を設置する。
作物には収穫日を書いた札を付ける。
さらに帳簿を作った。
「小麦、何袋?」
「二十七」
「豆は?」
「十三」
「干し肉は?」
「六箱」
「じゃあ記録しておいて」
「村長……そんなことまで必要なのか?」
「必要だ」
俺は帳簿を指差した。
「食料は、村の命そのものだからな」
そして食料が余り始めた。
これは嬉しい問題だった。
だが。
俺は売ってしまうだけでは駄目だと思った。
「全部売るな」
「え?」
「村で使う分を確保する」
収穫量。
備蓄量。
販売量。
種として残す量。
それぞれを分ける。
それだけで。
村の安定性は大きく変わった。
さらに俺は、村の中に小さな工房を作った。
鍛冶屋。
木工所。
荷車を作る工房。
桶や樽を作る職人。
最初は一人ずつしかいなかった。
だが。
仕事が増える。
注文が増える。
そして人が増える。
村の中で物を作れるようになると、わざわざ町まで買いに行く必要がなくなった。
さらに「これ、売れるんじゃないか?」
余った作物と、村人が作った蜂蜜を売るために、近くの町へ向かった。
「これだけ売れるのか?」
商人が目を丸くした。
「麦と豆、それから保存食です」
「この量を、この小さな村で?」
「ええ」
商人はしばらく考えた。
そして「また持ってきてくれ」
「買ってくれるんですか?」
「これだけ品質が揃っているなら、いくらでも買う」
俺は笑った。
「分かりました」
売れた。
保存豆も売れた。
燻製肉も売れた。
小麦も売れた。
こうして。
村に初めて、まとまった現金が入ってきた。
俺はその金を村人に分配しようとした。
すると「村長、それは村の金にしてくれ」
「いいのか?」
「ああ」
「何に使う?」
村人たちは顔を見合わせた。
そして「もっと畑を増やそう」
「水路も広げたい」
「家も直したい」
「道も作ろう」
「井戸も、もう一つ欲しい」
俺は思わず笑った。
村人たちは。
変わり始めていた。
そして取引を何度も繰り返すうちに。
今度は町から商人が来るようになった。
「アルバ村の村長さん」
「なんだ?」
「もっと商品を用意できませんか?」
「何が欲しい?」
「蜂蜜です」
「どれくらい?」
商人は答えた。
「今の十倍」
俺は思わず笑った。
「十倍?」
「はい」
村人たちは顔を見合わせた。
蜂蜜が。
十倍売れる。
ならば。
「蜂を増やせばいい」
養蜂箱を増やした。
花を植えた。
果樹も植えた。
蜜蜂が増えた。
蜂蜜が増えた。
果樹の受粉も増えた。
収穫量まで増えた。
「……蜂ってすごいな」
村人が呟いた。
「だから大事にしろ」
蜂蜜だけじゃない。
蜂の巣から蝋が取れる。
蝋はろうそくになる。
ろうそくは夜の明かりになる。
つまり。
一つの養蜂箱から。
蜂蜜。
蝋。
農作物の受粉。
三つの利益が生まれる。
村人たちは、次第に理解し始めた。
「一つのものから、いくつも利益を出せるんだ」
「そういうこと」
そして俺は村に水車を作った。
川の流れを利用して、穀物を挽く。
今まで人が何時間もかけていた作業が。
水車を回せば、勝手に進む。
「……動いてる」
村人たちが水車を見つめる。
「当たり前だ」
俺は笑った。
「水が働いてくれてるんだから」
次は風だった。
風車を作った。
粉ひき。
送風。
簡単な動力。
使えるものは何でも使う。
そして村には、少しずつ変化が現れ始めた。
夜になると明かりが灯る。
道には石が敷かれる。
倉庫には食料が並ぶ。
市場では商人が商品を買う。
鍛冶屋から金属を叩く音が聞こえる。
木工所では荷車が作られる。
学校では子供たちが文字を学ぶ。
診療所では怪我人や病人を診る。
火事に備えて、消火用の水桶を置く。
夜には見回りをする。
村の入口では外から来た人間を記録する。
気づけば。
アルバ村は、以前とはまるで違う場所になっていた。
そんなある日。
俺のところに、老人がやってきた。
「村長」
「何?」
老人は、しばらく村を眺めていた。
道。
家。
畑。
倉庫。
工房。
市場。
水車。
風車。
そしてそこで暮らす人々。
やがて老人は、ぽつりと言った。
「やりすぎじゃないか?」
俺は首を傾げた。
「何が?」
老人は村を指差した。
「ここまでやったら……もう普通の村じゃない」




