地神噛み付き火治を野次①
世界は球体の内側にある―――幽かに昇っていく海の水平線と、澄み渡った日に見えてくる名も知らぬ遠くの国。
しかし、世界の果てなど誰も知らない。真っ直ぐと東に向かって行けば、同じ地点に戻れるか?と試した奴が凱旋帰還した事もない。
この世界は果てしなく広いが、その広さを堪能するには皆の足は短く、体力がないし、その神秘を知るには皆の脳味噌が小さく、想像力がない。そして、理不尽と弱肉強食が常におまけで付いてくる。
「何で はあ 俺 は 古人よりも 弱いんだああああああ!!!!」
「来世に強く逞しく生まれたまえ
覚悟ッ!」
川で泳いでいた人語を話す大きな魚を小虫で釣り上げ、息も絶え絶えに魚から卑下されたその古人女は、容赦なく刃で魚を黙らせた。
腸を取り除き、落ちていた枝で魚肉を突き刺し、焚火で炙る。芳醇な脂が熱に溶け、咲くように白身が花開く。白濁した目からはこの世を恨むような旨味の涙が落ち、ジュッ、と音を立てて殺魚した古人の鼻をくすぐった。
さっきまで罵詈雑言を叫んでいた生きのいい魚が不味い訳がない。
例え、切れ味最悪な折り畳みナイフで切り刻んだとしても。苦い腸が残っていたとしても。
「苦ッ あー・・・そろそろウォロが作ったご飯が食べたいなあ」
その古人女は丸い輪郭をしていた。太っている訳ではないが、少なくとも痩せてはいないし、身長といえば古人の平均よりも少し小さい。肩まで伸びるぐらいのくすんだ金髪を後ろに束ね、オールバックからはみ出た数本の前髪が風にふらふらと靡いている。
古人女の様相は顕著に地味だった。日に焼けた緑の羽織と地面色のニッカズボン、泥で汚れ、半金属の底板が毛羽立った足袋靴―――誰もしようと思わないファッションだが――――道端で生えた草木をいちいち目に止めたりはしないように、彼女は通りすがる誰の記憶の端にも残りづらい。
「・・・おい魔女」
「お、聞いた事ある大地の声」
しかしながら、彼女は魔女だった。
有名どころの組織から最高位に当たる三つの名前を与えられた存在でありながら、自らの意志で無職になったその古人女の前で、大地が盛り上がった。
「お前・・・任された仕事を完遂したにも関わらず一向に皇国に戻らないというのはどういう了見だ・・・ふざけているのか?」
「ふざけるも何もねぇ、全ては成り行きなんだよ。アストン君」
土の身体を持つ一つ目な魔族の様相を呈している、大地の精霊種は小さな枯れ木色の古人を大きな一つ目で睨みつけた。
「クインルからの依頼さえ覚えていないんじゃないか?」
「クインル?・・・ああ、皇国の、サングリアのギルド長・・・。
ああ、そうそう。私たち、行方をくらませているそのギルド長を探していたんだ」
「このクソ古人が・・・」
「まあまあ、魚食べる?」
アストンは古人女の焼き魚を全力で拒み、自分の身体の一部をもぎ取って砕き、粉になったそれを大地に播いた。
すると、それが地面を素材に寄せ集まっていき、瞬く間に人の形を作った。
「お、そんな事も出来るんだ」
「ウォルファロさん、今、お話できますか?」
アストンの力で形成された土人形は、徐々に特定の古人の姿に化けていき―――「ん」意識が本人と同調したようだ。
身長こそ古人女とさほど変わらないが、壁のような重厚感を纏う体格、色の抜けた短い白髪と、黒一色のゴツゴツした肌、瞳の小さい目付きの悪さは、古人と呼ぶにはそぐわない無骨さがあった。
刃で傷一つつけられないのだろう太く厚い指を、アストンの目の前でリン、と立てると、モノトーンな男は静かに目を細めた。
「・・・少し待ってろ。
家に虫が入った」
「あ、すみません」
「はは、何、お取り込み中なの?」
向こうの様子は反映されない為、皆目見当もつかないが、ウォルファロの目がゆっくりと、しかし確実に狙いを定めていき ゴギャ!―――土人形の腕が本体の速度に追いつかず自壊する―――拳が放たれ、それでも同調を続けている砕けた右腕が、彼の体内に煮え滾っている高温の熱で汚れを消し炭にしたようだった。
「・・・ずいぶんと殺人的な現場を見た気がするんだけど」
「何の用だ」
「ウォルファロさん、俺たちは今、火殿国に来ています」
皇国地域の南、皇国と同じくらいの領土を持ち、長く皇国と敵対し続けている国。
「そうか。
なら、ヴォルカ火山の溶岩石を取って来てくれ。」
「・・・・・」
「あの国は皇国と断絶していて、なかなか手に入らないからな」
「ウォルファロさん・・・その、えーっとですね」
「溶岩焼きが有名な国だが、舌を失くしたくなければ炭焼きで我慢しろよ、魔女」
「そうなの?
だけど、炭焼きも美味そうね」
「あの」
「アストン、お前も食うと良い。お前なら溶岩焼きも食」
「俺がまた『あの野郎』に負けると思っているんですか!?」
アストンは唐突に感情的になって声を荒げたが、ウォルファロの顔は固まったまま、瞬き一つしなかった。
そして、彼はアストンから視線を古人女に向けた。
「イヴァルノン」
「ん?」
「お前は俺に勝てるか?」
話の脈絡を吹っ飛ばしているかのような彼の言葉に、イヴァルノンと呼ばれた古人女はしばらく考えた後で、こう言った。
「勝つ手段はあると思うよ。
それがどういう意味かさっぱり分からないけど」
「そうか」
「馬鹿な―――勝てる訳がない! こんな奴が・・・」
「アストン、お前は『俺』に勝てるか?」
アストンは何かを言おうとしたが、口を閉ざして俯いてしまった。
「魔女、俺がお前に言う事は何もない。
ただ、強いて言えば」
わざわざ言う必要もないが、と前置きをした後で、ウォルファロは言った。
「火殿国を心行くまで観光して来るがいい。」
火殿国の中心都市へ向かって山道を下っていくイヴァルノンを見下ろしながら、アストンはウォルファロにぼやいた。
「あなたにとって俺は、そんなに弱く見えますか・・・?
こうしている間にも―――」
「魔女は好きに泳がせておけ。
肥えるには時間がかかるものだ。」
「・・・・・」
「お前も外に出て楽しんできたらどうだ?
昔のように」
「そんなこと―――あの野郎の火元で出来る訳ないじゃないですか!
それに、俺が弱かったせいで・・・あなたは」
「俺は砕けん。
例えバルドにもな」
そう言う彼の身体にヒビが入っているのを、アストンは分かっていた。
「溶岩石を、ちゃんと持って帰って来い、アストン。
食い損ねたら俺が作ってやる」




