飛んで火に入る虫の母⑫
「あーあー・・・なんてことを」
「仕方ねえだろ・・・耳元であんな不快な音がしたらよお・・・全身の毛が逆立っちまうよ。」
犬型の獣人、コポはそう言って空に向かって立つ耳を指でぐにゃぐにゃと捏ねた。
ブウーン、と遺伝子から恐怖する羽音に思わず銃火器のトリガーを引き―――森にギリギリ当たっていないが、監視役だったのだろう魔女の『魔性』を滅却してしまった。
「絶対に魔女にばれましたね。」
「きっと族たちにも」
「一先ずここで記憶を残しといてくれ」「おうおうそうするそうする」
バックアーが本を開き、皆の一時記憶を保存した。これから数十分間は『リセット』の度に此処に戻って来ることになる。誰しもが臨戦態勢になって耳を澄まし始めた、その直後だった。
「あんたじゃない」
「!?!」
バックアーたちの視界に黒い点の集団が現れ、けたたましく不快な音を立てた。
「機人だった、私の羽根を抉ったロトルは」
だが、視界を高速で飛び回る黒い集団はモヒート本人の姿を現すことなく、目当てではないロトルの上空を旋回していた。
「お前がモヒート・モーフェンだな」
そう言って、バックアーは眼鏡を掛けた。
「釣れたロトルがちんちくりんで、生身で・・・おまけにクソガキだなんて、私も随分と舐められたものね。」
「何とでも言えよ。お前が魔女だと分かった時点で、僕にとっては処分の対象だ」
「ああ・・・・あんたたちはそうやって、私の子を特に理由もなく殺したんでしょうね。
殺してやる。」
バックアーは頭を殴られた様な痛みに襲われ、目を細めた。今まで遭遇して来た魔女魔男の中でも確実に上位に値する禍々しい魔力と圧迫感。常軌を逸している彼女の魔性によって空間が歪み、ひび割れる空気に触れて脳が理解に追いつかず悲鳴を上げる。
ロトルには魔性を封じる力がある、というのはあまりに簡便で、周知されたくない必要な工程を省略した説明だ。精確に言えば、『 ロストルール の支配下ではあり得ない現象を否定出来る ロジック を知っている事で 視界の範囲内 に起こるあり得ない現象を 封じ込む 』力なのだ。
そのロジックとは、いわば証明だ。何故、あり得ないのか。それをあらゆるロストルールの知識を総動員して否定する。
一般人が使うようなありふれた魔性の否定ロジックは、ロトル戦闘員の間で既に共有されているが、これが『魔女魔男』や『精霊種/精霊』という特殊なものになると勝手が変わってくる。
(バックアーがモヒートの魔性を封じきれていない・・・共有されていた情報からまた新たに魔性が変質しやがったのか)
特殊な魔性とロトルが認めるものは、『何が起きているのか』が理解できないものを指している。それを把握しなければ証明が出来ず、結果として魔性の発動を封じる事が出来ない。
おまけに、魔性は本人の成長や変化によって性質が変わって来る。バックアーが前以てロトル本部から取り寄せ記憶していたモヒートの否定ロジックは数年も前のもので、どうやら既に使い物にならなくなっていたようだ。
「だけど・・・あんたが私の子を殺しやがった機人を知っていて、そいつらの居場所を教えてくれるのなら見逃してやってもいいのよ・・・左手と右目を改造した機人を」
「仮に知っていたとしても、教えてやる義理はない。お前は此処で僕に殺されればいい」
「ああ、そう。」
ツッ、と全身を何かに引っ張られる様な感覚が現れ、バックアーが一度後退ると「!?」突然にあの羽音が耳元で聞こえて来て、思わずパチン、と羽音がした首の辺りを叩いた。
「ん―――」
次の瞬間、バックアーは突然に膝を着いて倒れ込んだ。首に触れた手の平に大量の血がこびり付き、地面にあっという間に血だまりが広がっていく。
(何が起きたんだ―――魔女は今何をしたんだ???)
羽音が聞こえてきただけだった。蚊に刺された?それだけで血が溢れて来たということか?
コポたちも次々に倒れていく音が聞こえる。バックアーたちは成す術もなかった。
血を失い過ぎて意識が朦朧として来たが、バックアーは辛うじて意識がまだあって、吸っても吸っても酸欠状態のままだが、生きては、いた。
「血を止めてやったわ、あんただけ。数分は生きられるでしょう?」
モヒートはようやくその姿を現した。
蚊型の虫人、すらりとした細身の身体と、隈の出来た鋭い視線に込められた、強い殺意。その細い足で地面に伏すバックアーの頭を踏んづけ、唾でも吐き付けるようにモヒートは彼を煽った。
「ねえ、今どんな気分かしら?
雑魚の古人のくせに知識だけで出しゃばって、使えない御守りに死なれて」
「だまれ」
「どうして機械化もせずに前線に立とうと思ったのかしら?負けないって驕り?
どうぞ殺して下さいって言わんばかりに無防備のくせに・・・バカみたい」
「その 言葉を・・・覚えていろよ・・・後悔 させて やるからな・・・」
「今に死ぬ奴が図に乗ってんじゃないわよ」
ぐしゃ、と今一度強く踏みつけた後で、モヒートはバックアーがかけていた眼鏡に視線を落とした。
(レンズが入っていない?ただの伊達眼鏡って事・・・なら何故かける必要があった?
それにコイツ・・・ロトルのくせに―――なんで魔力があるの)
モヒートは嫌な予感がして、魔性でバックアーの息の根を止めようとして
「――――」
魔性が使えない事に気付き、目を見開いた。
「はっ どう やら・・・当 た っ た な 」
失血死する寸前のくせに、バックアーは息を荒げたままモヒートの『図星』に対して不敵に、不快な笑みを浮かべた――――。
――――
「あんたじゃない」
視界に現れた二度目の黒い点の集団は、記憶にこびり付くほど不快な音を立てていた。
「機人だった、私の羽根を抉ったロトルは・・・・、・・・・。」
モヒートは鼻に付く違和感で言葉を閉じ「!?!」黒い点の集団は一気に霧散し、姿を消した。
「警戒心が強いな・・・一度でばれたのか?」
「・・・おい、バック。俺たち死んだか?」
「死んだ「マジか」全滅だ「うっわ」だけど、前情報から魔性の本質はさほど変わってなかった。」
そう言って、バックアーは伊達眼鏡をかけ、懐から散弾銃を取り出し、弾数を確認した。
「戦う気しかないな、ヒェッヒェッ!
当初の予定、バックよお、覚えてねえのか?」
「僕らはあの魔女に殺されたんだ。
もう殺すしかないだろ」
道理も何もない勝手な言い分に違いないが、その場にいる誰も、バックアーを止める言葉を口にする者はいなかった。
「効果が切れる前に記憶を残していくぞ。不意打ちを受ければひとたまりもないのは変わりない。
だけど・・・次に目の前に現れた時は必ず―――撃ち落としてやる」
(今の違和感は何!?時空を歪められたこの感覚、そうよ、パウロと同じだわ!
だけど―――それだけじゃない―――あいつはロトル・・・もしも記憶が残ったままで戻って来れるのだとしたら、あいつは既に魔性封じのロジックを立てられている可能性もある・・・。
本当にそうなら、もう・・・正面からじゃ太刀打ち出来るか分からない)
モヒートは教会から遠隔操作でロトルたちを出迎えていたが、その魔力を引っ込めて、一人で木に凭れ、息を荒げた。
(けど、どういうこと?
ロトルは魔性を使えないのよ?自分のロストルールによって封じてしまうから・・・・。
イヴァルノンの様にロストルールの効力を『代償にした』のならまだしも、ロトルの力と魔性を併用できるはずがないのに―――。)
「思惑通りにロトルが釣れたのに逃げて来たの?」
「!?!」
噂をすれば目の前にもう一人の魔女がしれっと現れた。
「まさか分身が負けたからチビッた?」
「はっ、まさか。戦略的撤退よ。」
「戦略?君に奇襲と不意打ち以外の戦略ってあるの?」
「ええ、そうよ。そうしたのよ、恐らくはね」
イヴァルノンは顔をしかめ、首を傾げた。
「イノン、一つ教えて・・・。
ロトルって魔性を使えると思う?」
「それは、私が答えにならない質問?」
「ロトルの力を併用しながら魔性を使えるのかどうかって聞いてんの」
「自由自在に記憶喪失になれるって言うのなら別だけど、普通、無理でしょ」
そう言いつつも、イヴァルノンはふと、何かを思い出したように「だけど」と呟いた。
「ロトルの力を魔性発動の『制限』として使えるのなら
ロトルの力を『制限』して、魔性を条件付きで発動する・・・ってのは、出来なくはないと思う」
「・・・魔性の発動条件」
「それより、さっきグラハムって獣人がモヒートを探していたよ。だけど見つからなくて。
さっきの爆発を何かと勘違いしたのか、なんか赤い小瓶を袋に詰めて、川上の方に走って行ったけど」
モヒートは恐らく、これからグラハムが何をしようとしているのかを察したのだろうが、小さく首を横に振って溜息を吐いた。
「・・・・それは、放っておきなさい。アイツ個人の復讐なんだから・・・。」
「また復讐・・・あっちもこっちもにっちもさっちも復讐、ねぇ・・・。」
イヴァルノンはそう呟いた後、ポケットに手を突っ込み、擦り切れた魔協会の会員証の裏側に納められた紐を伸ばし、彼女には少し不相応に大きなそれを首からぶら下げた。
「脱会時に返さないといけない筈じゃないの?」
「一度失くして再発行した後で、失くしたのが出て来たんだよね。そう、クリーニングに出したズボンのポッケの中から。」
「はっ、バカみたい・・・」
「ねえ、モヒート。
勝負しない?」
「はああ??」
何を言っているんだコイツ、と、この魔女の考えている事がわからないモヒートが声を裏返した。だが、イヴァルノンは珍しく、ふざけている様な表情には思えなかった。
「私が負けたら、気晴らしにとんでも美味いご飯をあんたに奢ってあげる。
私が勝ったら、気晴らしにあんたはビウゼン一家と一緒に旅行にでも行ってきて、美味いご飯を食べるの。
どう?」
「どうって」
「勝負の内容は、調子に乗ってるそのロトルをどっちが先にぶっ飛ばすか、だ。」
ゾッとする程、悪気もなく、自分勝手な都合を押し付けるかのように姑息な笑みを浮かべて、イヴァルノンは言った。
「ああ、だけど殺すのはダメだ。半殺し。周りのお付きも。
ロトルの戦闘員って大抵、記憶のバックアップをロトル本部に持っているから、生身を殺したら、機械になって戻って来るもの。機械になられたら、困るのはモヒートの方でしょう?」
「イヴァルノン・・・」
「嫌?
乗り気になってくれると思ったんだけど」
「半殺しにしていいの、あんたも含めていいのよね?」
「はは~ん、こぉ~んないたいけな古人を憂さ晴らしに虐めても良心が傷まない極悪非道な心を持っていて、返り討ちに遭っても逆ギレしない寛容さがあるっていうのならどうぞご勝手に」
「サイコー」
モヒートは瞬きの間に四散し「かーっ!言った傍から!」イヴァルノンの耳元に不快な羽音を響かせた。
イヴァルノンは手元の杖を回しながら変形させ、先の平たいスコップ状にすると器用に自分の周りをぐるり、と振り払った。
そのスコップ杖の先にびっしりとこびり付く『魔力で作られた数ミリサイズの蚊』の死骸を地面に払い落とした後、一足先にロトル潰しに向かったモヒートの気配を頼りに、イヴァルノンは風を切る速度を出して追っていった。




