飛んで火に入る虫の母⑦
大きな木の根元にぽっかりと空いた場所をイノベーションした一室に、イヴァルノンたちは通された。
木の根のでこぼこを整えて作った棚、光る虫を集める樹液の蝋や、毛編みのテーブルクロス。壁の根から大きく突き出した部分を腰掛けにして、隅の丸い石を机にしている。
しかしながら、先程の大きな地震のせいだろう、棚に置いていた物は床に散乱していた。
「いたずら好きな風よ、お片付けの時間ですよ」
ミリアムがそう囁くと、外からそよ風が部屋の中に入って来て、床に落ちていたものを軽々と持ち上げた。そして、あっという間に部屋の中は客人を通せる空間が出来た。とはいえ、おおよそ二人用の一室に三人と小さなペットが入ったため、少し窮屈な感じは否めない。
「良ければどうぞ。ハーブティーに花蜜を混ぜたお茶ですよ」
ミリアムはそう言って小さな溜池(と思っていた)から葉の器でお茶を汲んだ。澄んだ薄緑色の少し粘り気のある水で、鼻にすーっと風が通る香りがした。
しかしまあ、葉の器には取っ手もなく、平べったい形で、横にいたミガラが顔を近づけて舐める様を見る限り、イヴァルノンも顔を下に向けて肺活量で啜るのが正しい作法のようだ。
「げっほ!ごほっ、むせ、た・・げほ」
寒くなるほどの清涼感が喉を通り抜け、思わずイヴァルノンは咳き込んだ。
「ふふ、あなたも風に好かれていますね。」
「いじめられているって言い方が近い――、ごほ、思うけどね」
「俺も飲んでみるぜ」と、オセットも身を乗り出して器のハーブティーに口を近づけた「うわ」その直後、イヴァルノンが指先でオセットの尻尾を弾き、オセットはハーブティーの池に落ちた。
「何すん―――ひょぇえ!?!」
「ワタシオシテナイヨ」
「白々しい!」
「ふふ、面白い方々ですね。
このタイミングで現れたのが、あなた方で安心しました。」
白い下地に褪せた茶色の混じるお下げ髪を撫でたミリアムは、手元の骨飾りのステッキでカラコロカラと音を鳴らし、ゆっくりと腰を降ろした。
「この国は昔から、人と族の争いが絶えない地域でした。
それ故に、人の血を浴びた効果が、世代を通して意図せぬ形で現れてしまう一族もいました。私の様に。」
「この森の族らが意外にバイリンガルなのは、そういうことなの」
「しかし、当然のように、獣の多くは人の姿を忌み嫌っています。
人の姿を得てしまった者たちは掟に反したとされ、孤独に生きるか、外で生きるかの選択を強いられていました。」
そう言うと、ミリアムは棚の上に置いてある変わった木彫りの像に目をやった。
「人化してしまった者たちにとっての唯一の救いは、縋りつく神がいたことでした。」
それは女性の古人像に近いもので、両眼を閉じて両手を合わせ祈っている。しかし、その両手は牙の様な物で貫かれており、流れ落ちる一本の線が盆に貯まっていく、といった像だった。
「古人であるあなたにこれを見せてしまうのは、甚だ失礼な事だとは思いますが」
「気にしないで。誰が何を信じるかは自由だもの」
少し強張っていたミリアムの表情が和らぐと、小さく頷き、笑みを浮かべた。
「人血の智神ニッヂ、導く獣に知恵を授ける神。
この森の奥にも、人化したことで、族社会を追放された獣たちがこの神を密かに崇め生きる教会があります。
風の噂に聞く、あなた方の抱く問いの答えは、そこにあるでしょう。」
本当に風の噂なのかは定かではないが、イヴァルノンは口を尖らせた後、小さく息を吐いた。
「森の意志としては、人化した者たちを追い出すつもりはないのね」
「あくまでも族の社会を維持する為の掟です。そうでなくては、私もこの森にいる事は出来ませんから。」
「ばあちゃんは例外なのか?」
「族の社会とはいえ、人の社会との関わりを完全に断つことは出来ないのですよ。」
小首を傾げるオセットにイヴァルノンは囁いた。
(魔協会と繋がっているのよ、この獣人)
(マジかよ)
(協力者でもなければ、私を無倣者だなんて呼ばないよ)
(・・・確かに)
「その教会って簡単に外界と接触できる場所にあるの?」
「いえ、あの教会は森の最奥にあります。そして、森の意志によって隠されている。
あちら側の者が招かない限り、誤って迷い込むようなことはあり得ません。」
「教会の人たちに付いて行ったこともあるけど・・・僕も辿り着いたことはないよ」
「・・・ということは、当然、私も辿り着けない?」
「ええ。葉と霧に覆われ、遂には外に追い出されてしまうでしょう。そうならないためにも、森の許しは必要です。」
「人社会も族社会もどのみち許可制なのねぇ」
「森の許しってどうやったら貰えるんだ?」
「二つのやり方があります。
一つはこの森の長老たちが許しを与えること。これが最も簡便な方法ですが」
「この森の長老の一人は・・・父さんなんだ」
尻尾で殴って来たあの白狼の許しとは何か、イヴァルノンは思わず清涼感で乾ききった鼻で笑った。
「もう一つは?」
「あなたがシャーマンとして『優秀』ならば可能な方法です。」
イヴァルノンは「んんんんんん」と唸って頭を抱えたまま天井を仰いだ。
「つまり・・・、・・・どういうことだ?」
「この森に直接、許しを乞えばいい、ということです。
私は森の声を聞くことが出来ませんので、悪しからず」
「イノン、出来そうか?」
「・・・・・初めてだけど、やってはみるわ」
「・・・僕、父さんに」
ミガラが控えめに口を出したが、イヴァルノンは首を横に振った。
「此処から先は私自身の問題だから、君を巻き込むつもりはないよ。」
「だけど、あなたたちを巻き込んだのは僕で」
「巻き込まれに行ったんだって」
「だけど・・・この森の、問題でも、あると・・・思うから」
握りしめる拳を小さく震わせながら、下唇を飲んだ。
「僕も・・・何か、出来る事があるのなら、やりたいんだ・・・」
「・・・・・」
イヴァルノンは一度ミリアムと顔を合わせた後、誰の耳にも届かない声で話しかけた。しばらくして、ミリアムは小さく何度も頷いた。
「正直なところ、森に帰ってくれば君の家族は君を温かく迎えてくれるだろうって、勝手に思っていたんだ。ごめんね。考えが安直だったよ。」
「・・・・・」
「一つ、私が出来る提案があるの。
これを選ぶかどうかは、君の自由だし、それだけであのお父さんと仲直り出来るか保証できないのだけれど」
「提案、ですか・・・?」
少しの間を置いて、イヴァルノンは言った。
「魔性を―――君にあげる。」
『あの魔女はきっと魔協会が派遣した奴だ・・・人社会との衝突が目先に迫っているときに――私情を挟んでいる場合ではないだろ、ロガ』
一匹の赤熊が白狼にそう話しかけた。
しかし、白狼は湖に映る自分の姿を見下ろしているばかりで、赤熊の方へ目をやる事はなかった。
『人化した奴らとの接触を森の掟で禁じてしまった我々には、あの教会へ向かう事は出来ない。だが、恐らく魔女は事情を把握した上で此処に来たはずだ』
『あのバカを連れて帰る必要などなかっただろ』
『それはお前たち家族の問題だ。我々全員の未来がかかっている重大な話を――』
『そんな事は百も承知だ!首を突っ込むなポラ!』
赤熊ポラは顔をしかめて白狼ロガを睨みつけ、歯を見せつけた。
『次の長老議会でお前を降ろす事になるだろうな。バカ息子の愚行程度で冷静な判断も出来ん奴が』
『貴様』
『それに必然だっただけではないのか?
お前は先の戦争で数百の人を噛み殺し、その息子たちには人化の兆候が見られていたのだから』
グルルルル、喉奥から怒りの籠った唸り声と共に白狼の牙が盛り上がり、赤熊を睨む目が血走った。
『唯一兆候のなかったバカ息子が自ら人化した、遂にお前の子孫は絶えるのだ、ロガ。
老齢となったお前が今から跡継ぎを作るとしても、人化するガキしか出さんお前の番になる物好きなどいやしまい!』
ズン、踏みつける前足が地面を抉り、前傾姿勢になった白狼の前で、赤熊は大きく後ろ足二本で立ち上がった。
『悪い事は言わん。もう諦めろ。諦めてこの森の為に尽力しろ。』
『森の為にと戦って来たこの俺から!森の為にと何もかもを奪うのか!
許さん!許すものか!!』
『父さん!』
一触即発の状況に、聞き慣れたバカ息子の声に振り返る
『!?』
怒れる白狼の目に、先程まで見ていた自分と同じ姿をした者が映った。
『どういうことだ・・・お前、何をした』
『・・・魔性を、くれたんだ。
獣族化する魔性を・・・あの人が』
ロガは沸き立つ怒りをそのままに口から放った。ビクッ、と驚き、震える小さな白狼はそれでもロガの前に立ち続けた。
『父さん、ごめん・・・僕は、森の掟を破って・・・父さんたちの言いつけを破った・・・。この姿だって、まだ、うまく制御できなくて、短時間しか続けられない・・・だけど、もっと上手く使えるように』
『ふざけるな!!よりにもよってあの魔女の―――古人の、魔性で―――このッ、恥知らずが!!』
『ロガ!』
ロガはミガラに飛び掛かった。牙を立てて喉元を噛みつこうとした。
しかし、牙はミガラの喉に触れるだけで止まり、ロガの荒い息がミガラの鼻先を湿らせた。
『森の掟は・・・人の姿を、禁じていた・・・人の、血を、禁じていた訳じゃない・・。
父さん・・・僕、この姿で、ずっと・・・いられるように・・・頑張るから・・・だから』
『――――』
『イリスを死なせてしまった責任を、僕だって取らなきゃいけないから・・・・このまま、外になんて出て行けないよ!』
ロガはミガラから離れ、荒い息のまましどろもどろに呟きながら頭を横に振った。
『あの人に教会へ行ける許しを出して、父さん・・・。
あの人は、父さんが言う様な・・・父さんたちが戦って来た、僕らを蔑む人じゃないんだよ・・・』
『・・・・・・』
『僕に声を掛けてくれたんだ。ただ、通りかかっただけなのに、困っていたってだけで此処まで来てくれたんだよ・・・・・僕が獣だって伝えても、人の血を・・・不法に、摂取しても・・・僕を、突き放したりしなかったよ・・・。
父さん・・・、・・・一度だけでいいよ・・・僕を、信じて、欲しい・・・・・。』
『・・・・ 』
燻り続けるロガを、赤熊ががっしりと掴み、容赦なく湖に放り投げた。
『え、え・・ポラ爺?!?』
『獣族化・・・確かに、その魔性を常時維持できるとすれば掟に反しない。
なんて逃げ方を思いついたものだ・・・いや、魔女の悪知恵か』
赤熊はそう呟いてミガラを鼻先で助け起こした。
それから間もなく、湖からびしょ濡れのロガが這い上がって来て、恨めしく睨みつけてくるロガに、赤熊は笑いかけた。
『ロガ、いいな?』
ロガはもう、何も言わなかった。




