飛んで火に入る虫の母④
「無倣者、俺の話をちゃんと理解したか?」
皆皆出払ってガラガラな自警団本部の中、腰かけていたテーブルの上を迸る粘液でぬちゃぬちゃにしながら、魔族のビウゼンはイヴァルノンへ問いかけた。
「ロトルが出張って来る程の事態だから、遠方からわざわざ応援しに来てやったのに、国のトップから圧がかかって魔協会権限でもろくな捜査が出来ない。それなのに本部から解決を急かされる板挟みでふて腐れているって事でしょ?
魔協会なんて抜けちゃえば?」
「はあ、これだから独り身は・・・。
いいか!?『息子』の養育費はこれからもっとかかっていく!『妻』にも苦労をかけたくないのだ!
お前のように勝手気まま無責任な身の振り方など出来んのだ!俺は!」
「そっすか」
「・・・なあ」
イヴァルノンの頭の上でずっと話を聞いていたオセットが申し訳なさそうに口を挟んだ
「ちょっと聞きてえんだけどさ、魔族の多くは生殖機能がないから、分裂や魔性の他に個体を増やせないって聞いた事あんだけど」
「よくぞ聞いてくれた!小さいの・・・ん?何だ、無倣者。従士を連れて行くようになったのか」
ビウゼンは珍しそうに、また、囃し立てるように言った。
「ペットだよ」と、イヴァルノンが返したものの、ビウゼンは歯を二度鳴らした。
「イイか、『従士』くん。魔族の多くは『出来損ない』だ。
生き物として形になる前に、フライングして世界に出てきたからな。だから、多くは子孫を増やす事が難しい。
だが!俺にも奇跡が舞い降りた!
鍵と鍵穴の如く相性抜群の妻がいたのだ!―――まあ、それは結果論なんだが、不可能に近い確率を潜り抜けて息子が出来たのは紛れもない奇跡なのだッ」
そう言いかまして、ビウゼンはズタ袋ズボンのポケットから取り出した手帳に挟んだ写真を見せつけた。
「おお!すげえ似てる!!」
パパ似の粘液質とママ似の甲羅が合わさった小さい子が、丈夫そうな肉厚の歯を見せて笑っている。
「そうだろうそうだろう?
この歯は俺に似ているだろう?ああ声も俺に似てるぞ。それに妻の甲殻も持っているからな、俺より天候に左右されない身体でな。優秀なんだなあこれが!
つい先日な!甲羅に籠る事が出来たんだ!あの波立つ側足の可愛さが堪らないのだ!ちょっと前まで水の中に入れておかないといけなかったが、今は水陸両用の心肺機能がしっかりと出来上がっている!生命の神秘を感じるよな!」
「あ、ああ、そうっすか・・」
「もっと記録を残したりしておきたいのだが、俺には『目』がない。正直、視覚拡張手術を受けようか悩んでいるんだ。もう少し稼ぎがあればすぐにでもやりたいんだが」
「そういうのは家庭でじっくり話し合ってくれる?」
止め処もなく溢れて来る粘液と自慢な妻と息子の話を無理矢理に言葉で遮った。
「ああ、俺は一生をかけて二人を守り続ける・・・、おお、愛しのフィラ、コイン・・・父さんの身体が昂ぶる熱で液状化してしまうぞ―――・・・会いたい―――。
そ・れ・な・の・に―――タコ野郎めッ!」
妻と息子の話がようやく終わると、ビウゼンは浮き上がっていた身体をべっちょりとテーブルの上に降ろし、一呼吸を置いて何事もなかったように話し始めた。
「あのタコ野郎の思い通りにさせていたらこの国はおろか、皇国地域全土で魔協会とロトルの衝突が起きかねない。ダゴはロトルを過小評価しているのだ。前線でロトルと戦ったことなど一度もないくせに、だ。」
「ただ、組織と組織の板挟みを取っ払って自由に動けるほど無責任にはなれない、と」
「まさにお前の『無法』が存分に発揮出来ると言う訳だ。」
「それなら自由と言って欲しいな。」
「ニュアンスの違いだけだろ」
「気持ちの、問題だよ」
そう言って、イヴァルノンは人差し指で下に向けた。
「暇なんでしょ?
昼間の獣の死体安置所に案内してくれない?
引き取り手の子を連れて来るから」
外気よりも寒いその場所は、足裏を浸す程度の水で満たされていた。
四方を小さな凹凸がある石に囲まれた無機質な造りの空間を、薄く張った水がちょろちょろと小刻みに蠢いている。壁から湧き出ているところを見ると、恐らくは湧き水を利用しているのだろう。
室内を照らす青みがかった光は無機質な造りを更にぶっきらぼうに染め上げており、足下から体温を奪う水にも増して、訪れる者の吐息を白く目立たせる。
「 あ・・・・・ 」
簀の子の様な物の上に横たわる、布で隠された身体。少しはみ出た尾の、しんなりした毛並みを見ただけで、ミガラは小さく声を漏らした。ただ、この空間は小さな声でも反響するようで、その後に跳ね上がった鼓動と息遣いさえ、後ろをついていくイヴァルノンたちにも聞こえていた。
それから数歩、ミガラは足を前に、前に、と動かしたものの、触れる距離には入れなかった。彼は膝からピチャリ、と崩れ落ちて、しばらく放心していた。
「 」
族の言葉を同伴する誰も理解できないが、彼の発している声が嗚咽に等しい事だけは分かった。
水に弱い足袋靴を手に持ち、素足で歩いてきたイヴァルノンがミガラの横に立つと、彼はゆっくりと彼女の方に涙を止められない無表情を向けた。
「どうしたらいいのか・・・分からないままなんだ・・・。
なんて、声を・・・かけたらいいかも・・・分からない・・・。」
「彼は友達だったんだよね」
「・・・、・・・うん・・・友達だった・・・・。
森の学校で、一緒のクラスで・・・親が厳しい同士で・・・、・・・一緒に・・・ 」
「・・・そっか」
「・・・実感が、湧かないんだ・・・ついこの間まで、話していたんだ・・・笑って」
「うん」
「冗談とか言ったり・・・バイト先の愚痴とか・・・人の社会ってそんなに怖くないよねって・・・とか、さ・・・。」
涙が口に入り、ごしごしと手で顔を拭うと無表情が剥がれて、口元を歪ませて泣き喚いた。そして動かない友の元に駆け寄り、抱き着いて何度も何度も謝った。
「ごめん、ごめんよ・・・ぼくが、ぼくがこんなことに誘ったから―――うわあああああ!」
イヴァルノンはミガラを後ろで見守りながら目を細め、大きく息を吸った。
そして、彼女はゆっくりと背を向けると来た道をそっくりそのまま引き返していき、出入り口のところで待っているビウゼンを連れて扉を開けたまま外に出た。
「どうにも・・・こういうのは、堪えられないわ・・・」
「・・・・・」
「話が通じるかは分からないけど、彼だけで森に帰す訳にもいかないから、私もついていくつもり。どのみち、彼の話を聞く限り、犯行グループも森を拠点にしているらしいし」
「・・・そうだな」
「ねえ、ビウゼン。知っていたら教えて欲しいんだけど・・・。
モヒート、最近会ったりしてない?」
ビウゼンの仮面が絶妙にピクリと動いた。
「ときどき古人を見て『吻が疼くわ』って冗談を言っていた彼女なら、この事件を根本から解決できる魔性を持っている。
それに、私の記憶では、彼女は皇国地域の配属だった筈だし」
そう言うと、ビウゼンは俯いて、ゴロゴロと歯を磨り合わせた。
そして、言い辛そうに、彼は口を開き始めた。
「・・・・・数か月程、前になるが・・・妻が、アイツから魔協会の産休育休の制度や補助金の申請とかの相談相手になって欲しい、と言われて、お茶したらしい。それ以降も何度か連絡を取り合っていたが・・・・最近は全く連絡が取れていない。魔協会からの連絡にも応じていないらしい。
・・・それが意味する事を、悪い意味として俺は察したが、お前は、どう思う?」
ビウゼンは言葉を選びながら、わざわざ回りくどい言い方をした。
イヴァルノンはごそごそと前腕を掻きつつ、深呼吸をした。その後で、短く返した。
「いいよ、分かった。」
敢えて会話の繋がりを切り離すように応えるイヴァルノンに突っ掛かることはせず、ビウゼンは小さな溜息を吐いた。
「お前、まだテレディーの遠隔通話出来る魔性を覚えているよな?
非常時は呼んでくれ。尻拭いならしてやる。」
「やる気を出してくれて嬉しいよ。」
「・・・はあ、確かに・・・気持ちの問題は、大きいな」




