飛んで火に入る虫の母②
多種族人種が蔓延るこの世界には、分類学という研究分野がある。
しかし、人種族の分類方法は有識者の間でも意見の相違が多く、確立された分け方は未だにない。
数少ない、決められているルールがあるとすれば―――
人の血が入っていれば~人と呼び、人の血を持たなければ~族と呼ぶ事と
現存の分類学では当て嵌められない人種族を、『魔』と呼ぶ事だけである。
白昼堂々と鳴り響いた喧騒は、待ち構えていたかのよう即座に駆けつけてきた自警団たちによってスムーズに鎮静化された。
それから間もなく、古人女イノン・イヴァーン・イヴァルノンは野次馬をしに戻ってきた。先程まで座っていた場所など見当もつかなくなってしまった、テラスのある飲食店の周囲には赤い規制線が張られ、瓦礫と化した店のオーナーだろう―――呆然と口が開いたままになっている―――中年太りで人の良さそうな獣人が自警団たちと話しをしていた。
イヴァルノンと同様に戻って来た野次馬たちの包囲網を掻き分けながら、その前線にひょっこり顔を出してみると、自警団に打ち倒された少し歪な骨格をしている獣の死体が転がっていた。その獣のごわごわした毛並みにこびりついている破れた服の切れ端には、記憶新しい見覚えがあった。
「・・・・・、さっきの新人君だ」
そう呟くと、イヴァルノンの頭に乗った小さな竜人オセットは首を傾げた。
「どういうことだ?さっきまで獣人だったよな?『獣族』だったのか?」
「獣族が獣人化の魔性を持っていて、且つ、人の社会でアルバイトしていたってこと?
人の血が入るなんて死んでもお断りってプライドの塊が、そんなことする?」
「さっきお前、新人君が獣臭くね?とか言ってたじゃないか。」
「まあ、確かに言ったけど・・・、まさか本当に獣だったとは」
基本的に、魔性は当人の死後も続くことはない。
新人君が魔性によって獣族化したとすれば、彼の死後に魔性は解かれ、転がっている死体は獣人に戻る筈だ。しかし、そこにあるのはイヴァルノンを丸呑みできるだろう巨大な顎を持つ―――人の血を持たない、獣だ。
自警団たちが野次馬払いをし始め、散り散りになっていく流れに混じってその場を離れたイヴァルノンは
「ん?」
その中におどおどとした若い獣人が路地裏へ走っていくのを横目で見た。周りが見えていない程に急いでいるのか、路地裏のゴミ箱に足で蹴り飛ばし、飛び散った生ごみを踏みつけて転びそうになった。しかし、振り返る事無く走り去っていく。
「なんだイノン、首を突っ込む気か?」
「彼があのままトイレに駆け込むつもりなら、さっさと出て行くよ」
イヴァルノンはそう言って、若い獣人の後を、尾行するような静けさで追っていった。若い獣人は大通りの路地裏から陰湿な店通りに入った。
「トイレじゃあ、なさそうだな」
低い位置にぶら下がっている油ぎった照明とカビの生えた洗濯物、焦げた暖簾の蔦を掻い潜った先、若い獣人は息を荒げて立ち止まった。
そこには怪しげな赤い看板が立てられており、〈ねずみとり〉と書かれていた。外見だけで言えば、居酒屋のように思えた。中を伺う事の出来ない厚い曇りガラスをはめ込んだ入口の引き戸はぴしゃりと閉じられており、準備中の札が張り付けてあった。
「開けてくれ!いるんだろ?」
若い獣人は引き戸にしがみ付く様に叩き、中に声を響かせるように怒鳴った。
しかし、何度彼が呼びかけようとも当然のように引き戸が開けられることはなく、曇りガラスの向こうで何かが動く様子も見受けられない。
「あんなことになるなんて何も聞いてない!ぼくらを騙したのか?どうなんだ、教えてくれ・・・説明してくれよ・・・」
最初は殴り込みに行く気迫を言葉に含んでいたものの、沈黙を貫く店の中を見つめているうちに悲痛のような喉奥から絞り出した声を漏らした。
「どうしたの」
「!?」
背後で突っ立っている事が居た堪れなくなり、イヴァルノンが近くに来て声を出すと、若い獣人は毛を逆立てて飛び上がった。
整えられた白い毛並みと中肉中背、ほんのりと赤い円らな眼をしていて、あどけなさと顔のそばかすがマッチして体格以上に幼く見える。抜け毛の引っ掛かりが気にならないさっぱりとした生地のシャツとズボン、ふんわりと垂れる尾は膝裏まである。特に手持ちの荷物はないようで、小銭をポケットに突っ込んでいるような膨らみだけが目に入る。
「な、なん、なんでもない・・・関わらないで・・・近付かないでくれ」
「そう、何でもないなら帰るけど?」
イヴァルノンは風変りな木の杖を乗せたままの肩を竦め、尋ねるように言った。
若い獣人はしばらく困惑した顔で口を噤んでいた。イヴァルノンの丸々と小柄な輪郭に不釣り合いな、頼り甲斐に化けているドヤ顔を数秒見つめた後、若い獣人は震えた口を開いた。
「ぼ、ぼくは・・・、信じられないかもしれないけど・・・。
獣族なんだ・・・。」
イヴァルノンは顔色を変えないまま大きく息を吸い、頭の上から肩に降りてきたオセットと顔を合わせた。その後に正面を向くと、頭のいかれた若者だと嘲笑されて、結局帰って行くに違いないと若い獣人は思っていたのだろうか――――彼は拳を作って俯いたままイヴァルノンの返答を待っている様だった。
「なんか飲む?安いのなら驕るよ」
「・・・、・・え?」
予想出来る筈もない話の脱線に驚いて顔を上げた若い『獣』に、イヴァルノンは笑みを浮かべた。
「化けた時は、止めてあげるからさ」
どの街でも見かけるファストフード店の二番目に小さい果実ジュースを、公園のベンチに落ち着かない様子で腰かける若い『獣』にイヴァルノンは差し出した。
「ぼくは(らョИb)―――ミガラだ。白狼ロガの三男、キリバスの森から来たんだ」
人の社会で聞き慣れない発音が正しい名前なのだろうが、彼は言い直してミガラと名乗った。
イヴァルノンはオセットも合わせて簡単に名乗った後、「獣ってことは体質じゃないから、君は今、魔性で獣人化しているの?」と単刀直入に切り出した。
「いや・・・これは・・・、血、なんだ」
「血?」
しばらくイヴァルノンは首を傾げていたが、何かに気付いたのか、目を丸めて口を開いた。
「まさかとは思うけど、古人の血を『入れた』の?」
俯くミガラの、否定しない沈黙をみつめた後、イヴァルノンは手で顔を覆って大きな溜息を吐いた。
「あー・・・、・・・それが、『犯罪』って事は、知ってた?」
「・・・・知って、ました」
「分かっていてどうして?」
「・・・、・・・働き、たかったんだ。」
彼は俯いたまま喋った。
「働いて、お金を得て、そのお金で・・・。森を直したかったんだ・・・。」
「族の社会で人の通貨が使えるの?」
「ぼ、ぼくらではどうしようもなくなっていたんだ・・・だから、その、人を雇って・・・、・・・・森に来ていた人が・・・地盤沈下?っていうのを止める工事とかをすれば、どうにか出来るって言っていたから・・・。
だけど、長老たちは人の力に頼りたくないって言うくせ何もしようとしないし、・・・毎日、藁に祈ってばっかりで・・・そんなことしても何も変わらないって分かってくれないんだ・・・。」
「・・・人の技術で住処の森を直したいから、直せる人を雇えるお金が欲しかった、と。
若いのに偉いねえ」
ミガラは、素直に褒められているような顔をしなかった。
「古人の血の入手ルートは?
さっき、居酒屋みたいなところに殴り込みに行ってたけど、あそこ?」
「・・・森に来ていた人が教えてくれたんだ・・・一時的に、人になれる方法があるって。
それで・・・、さっきの・・・、・・・友達だった(ム℞さJ)と一緒に・・・、あの場所に行ったんだ・・・あそこ、町の外から入れる地下通路があったから・・・獣族のぼくらも、すんなりと入れて・・・。
そこには三人組の獣人がいて・・・自分たちも獣族だから、安心してくれって言われて・・・信じて・・・」
「・・・・。」
イヴァルノンは頭を掻いて、再び溜息を吐いた。
「そいつらから、例えば、こんな風に言われた?
一時的な効果しかないから、定期的に来るように。
お金は次から払ってくれればいい。
普通は違法だけど、うちは特殊ルートで調達していて、国から認可を受けているから捕まる事はない、とか。」
図星、と書かれたテンプレートな驚きと不安で立ち上がったミガラの肩に手を置き、眉間に皺をよせたイヴァルノンは彼を座らせた。
「私みたいにそこら辺をほっつき歩いている古人の血は大抵、族を人に化けさせるような能力なんてないの。
大人だから。
だけど、子供の血にはある。まだ魔性を発現していない10歳前後までの子供と、ロトルには、その力がある。
そして、その影響をもろに受け易いのも・・・年端のいかない子供だけ」
ミガラは目をしばたき、下唇を噛む口元を震わせた。
「ミガラ君、今何歳?」
多種族人種、平均寿命は当然のように皆違う。
だが、成体であるか否かについては、どんな人種族でもある程度共通した見分け方がある。
「魔性、持っている?」
ミガラはついに涙ぐみ、鼻を啜り、何度も首を横に振った。
「ごめんなさい・・・」
小さく泣き声を漏らし、ミガラは縮こまった。
「森の生活が、嫌だったんだ・・・父さんはいつも兄さんたちのことばかりで、誰もぼくのことを認めてくれなくて・・・。
時々森に来てくれる人たちの方が頭良くて、カッコ良く見えて・・・だから・・・ぼくらも、そう・・なりたかったんだ・・・・森の事なんて、本当は、どうでもよくて・・・・父さんたちを見返してやりたくて・・・ただ、それだけなんだ・・・それだけだったんだ
それなのに――――(ム℞さJ)があんなことになって・・・ぼく、どうしたらいいのか、分からなくなって・・・怖くて・・・帰ろうにも帰れなくて・・・。」
止め処もなくミガラの本音が溢れ出し、程なく声を上げて泣き出した。
イヴァルノンはしばらく黙ったままミガラが落ち着くのを待ち、彼の赤くなった鼻が上がってから声を掛けた。
「先ずは、亡くなった彼を引き取りに行こうか。
きっと身元が分からないままだろうし」
「・・・ぼくは、つ、捕まるん、だよね・・・。」
「この国の自警団には、多分、『知り合い』がいる。そいつに掛けあってみるよ。今日の異様に迅速な対応を見ても、きっとこの国も窮地に立たされているだろうからね。
この国の司法がどうなっているかまでは知らないけど、この事態の収束に積極的に協力する姿勢があれば、すぐに捕まる事も、重い刑罰を課されることもないと思うよ。」
「・・・・どうして、・・・そこまで、してくれるの?
ついさっき・・偶然、会っただけなのに・・・。」
泣き腫らした顔を引きずるミガラの頭にぽんぽんと手を置き、イヴァルノンは言った。
「私は『大人の対応』をしているの。
だから、君が大きくなった時は、そうしてあげられる側になりなよ。
いいね?」
鼻を啜り、小刻みに何度も頷くミガラを連れて、イヴァルノンは自警団の本部へと足を運んだ。




