逃げ恥の爺⑤
盆国の慰霊祭は年に2度、3日間ずつ行われる。
1度目の祭りで死者を迎え、2度目の祭りで死者を帰す。そのため、この国ではかなりの日数を死者と寄り添い生きている。
迎えられた死者は夜や影の中にいるとされ、人々はお互いの影を踏まないように小さな緋色の提灯を携える。手元で操る光で優雅に影を逸らし、踊る様は祭りのメインを彩る。
今日は2度目の慰霊祭。迎えられた死者が帰る日だ。
その日は主に、不要な外出をしない。
帰りゆく死者について行かない為に。
「もう日が落ちてしまうぞ・・・」
首都のタンペイから数十キロ南下すると、皇国との国境を阻む険しい山脈が壁のように見えてくる。その山脈から盆国方面に枝分かれしたキリマ山は、裾の長いなだらかな山だ。
遠目で見れば丘と呼べそうな様相だが、キリマ山は誰でも気軽に入れるような、優しい作りをしていない。
山の入り口に辿り着くには、どこも急勾配な崖から始まるのだ。
イェンヤンは息を荒げ、重い足を引き上げて登っていた。その様をイヴァルノンは見下ろしながらポケットに手を突っ込んで待っていた。
「日が暮れる?それは私の台詞だね。」
「ハア・・・ハア、年寄りに、気を遣わんか・・・」
「敬うけど配慮はしないの。」
手すりにしがみつき、腕の力で体を持ち上げていくイェンヤンはイヴァルノンが待つ場所まで来ると、膝から崩れ落ちて弱音を吐いた。
「もう無理じゃ・・・足が・・・動かん・・・。」
「だらしないなぁ。まあ、多分ここでいいと思うんだけどさ」
そう言われてイェンヤンが汗に濡れた顔を上げると、目を細めて、大きな溜息を吐いた。
「随分と・・・様変わりしたのぅ・・・」
キリマ山の麓。かつて黒王が盆国軍を壊滅させた大地には、丈の短い青い緑が繁茂していた。細切れに千切れ、激突した凸凹の大地の隙間には雪解け水の小川が流れ、苔と雫がこびりついている。
「あれは・・・」
冷え固まった溶岩はバラバラに砕かれ、その瓦礫の近くに建てられた灰色の碑を見ると、イェンヤンは駆け寄った。そして、刻まれている無数の名前を指の腹でなぞる。
「こんなになっちまったのか・・・お前らよぅ・・・」
イェンヤンは涙を流しはしなかった。僅かに頬と、泣き腫らした目下を赤らめて、額を碑に当てた。
キリマ山にかかっていた雲が風に流され、香炉の火が燻って来た―――辺りが暗くなり始めた頃。
「じーさんに酒を断てってギルドに依頼があったから、私たち出しゃばってきたんだけど」
イヴァルノンは唐突に言った。
「依頼主ね、じーさんのことを『旧友』って呼んでたの」
「旧友・・・?」
「どうやら依頼主側に『不手際』があったみたいで」
「・・・・・」
「普通、依頼はギルドに手数料を払わないと、掲示板や依頼窓口で取り扱ってくれないの。
ただ、今回の依頼はあまりにじーさんの飲んだくれが有名だったから、お節介たちが依頼の情報をよく確認しないで来ちゃったんだけど」
「・・なんじゃ・・・何を、言いたいんじゃ?」
「依頼が成功したとしても、依頼主を見つけないと報酬が貰えないの。
じーさんを旧友って呼ぶ人、心当たりない?」
じーさんはしばらく呆けて、パチパチと瞬きをしながらイヴァルノンを見ていた。
しばらくするとその視線がゆっくりと下がっていき、視界の端に映る碑へ顔を向けた。
「そんな奴は・・・、・・・一人しかおらんよ。
だが、そんな訳があるまいて・・・。
そんな訳・・・・・、のぅ・・・」
「そっか。まあいいよ。
代わりにじーさんの奥さんから手土産分けて貰ったし。」
「・・・、・・・なんじゃって?」
「言ってなかったっけ?じーさんの飲んだくれに堪えられなくて実家に帰った奥さんが慰霊祭に参加しに戻って来ているって」
「何も言うとらんわ!!リーヂラが帰ってきたのか!?いつ!?わしの事は何か言っておったのか!?」
「さあ。何も」
「なあんて無責任な」
「自己責任でしょ?自分で聞きに行けばいいじゃない」
「―――分かっとる!じゃが・・・もう夜に」
日が遠く小さくなっていき、影が薄く、視界の明るさは失せていく。あと数時間で夜になるだろう。闇飛ばしのランタンは揺らせば消耗が早くなるため、ランタンを翳しながら走る事は極力控える必要がある。
「・・・いや、夜ぐらい振り切って帰るわい」
そう言ってイェンヤンは辺りの魔力を取り込み始めた。シュゥゥ、と音を立てながら徐々に体が膨らみ、赤みを帯びだした、そのときだ。
「何をするんじゃ」
イヴァルノンはイェンヤンの体に触れた。
「酒は楽しむ程度にね」
イェンヤンの魔力が高まっていくのと同時にイヴァルノンの魔力も膨らみ出していた。
『相手を寝かせるような魔性』で何をするつもりか分からない不安と、勘に等しい期待で落ち着かないイェンヤンは、そのまま魔力の取り込みを続けた。
徐々に高温になっていく身体に触れ続け、焼ける様な焦げ臭さを嗅いで「おい!」声を上げた―――その直後だ。
「んんん!?!」
何度も瞬きをした。幻想的な淡い光が泳ぎ、シャンシャンと綺麗に響く鈴の音が聞こえる。空腹を呼ぶ香しさに紛れる線香の煙が鼻先を掠った。
「・・・・・これは、あの・・・夢か?」
また再び寝かされたのか?イェンヤンは辺りを見渡したが、そこは見慣れたタンペイの町並みだった。ちょうど、盆踊り会場が見える飲食店。その外野席に、立っていた。
「あんた・・・」
「・・・・リーヂラ?」
懐かしい声がして振り返ると、そこにはかつての妻がいた。記憶よりも年老いた彼女も呆気に取られて言葉が出ない様だった。
「わしは・・・夢を、見ているのか?」
「・・・何を言ってるんだい・・・私は、・・・小さい、こっれぐらいの竜人と、話していたんだよ?それがどうして・・・あんたになるんだ?」
リーヂラは指を広げてその竜人のサイズを見せて来た。恐らく、古人女にくっついていたチビ竜人の事だろう。
「・・・・わ、悪かった・・・今まで」
急に何を言い出すかと思えば、リーヂラはそうぼやき、早々に立ち上がろうとした。だが、何かを思い出したか、腰を落として溜息を吐いた。
「人様に、ひっどい迷惑をかけたそうじゃない・・・ほんと・・・。」
「・・・・・すまん・・・すまん、もう・・・酒は飲まん・・・。」
「あんた、それを何度、私に言ったの。
何度、それを破ったの?覚えてる?」
「・・・・・すまん」
イェンヤンは赤く巨大化した身体を小さく縮こまって謝った。その様をしばらく見上げた後、リーヂラは言った。
「私は・・・あんたが敵から逃げ帰って来たって事よりも、断っ然、酒に溺れて人様に迷惑かけてきた日々の方が恥ずかしい事だと思うよ。
ねえ、どうするんだい?これから・・・。あんたは、生きているんだからさ」
「・・・わしに、出来る事を・・・する」
「例えば?」
「め、迷惑かけてきた・・・奴らに、の、為になる事を・・・する。」
「え?それだけ?」
「お、お前にも・・・その・・・家事とか・・何でも、手伝う。」
恐縮しきっている様が面白いのか、情けないわね、と呟き、リーヂラは笑い出した。
ひとしきり笑った後、困惑した顔で妻の反応を待つ夫に声を掛けた。
「取り敢えず・・・何か食べない?」
「瞬間移動ってさ、思わず『ひょっ』ってならねぇ?」
「ふ、ちょっとわかる」
草に紛れる程、小さく白い竜人はイヴァルノンを見上げて身震いした。
「突然現れたじーさんのせいで修羅場になってやしまいか、俺様はひやひやするぜ」
「どうにかなるよ、多分」
イヴァルノンはゆっくりとキリマ山を下った。その後ろを、筋肉質なオセットがドコスカついていく。
「そういうもんなのでしょ。夫婦ってのは」
「・・・羨ましいとか思ったりしねぇのか?」
「お生憎様、そういった感情と無縁なのよね。」
「人生で一人ぐらいいるだろ~」
「ドキドキは息切れと過呼吸のサインよ」
「じゃあ俺様が初めの一人になってみようか!」と、オセットが格好良く二頭筋を盛り上げて見せたが、イヴァルノンは鼻で笑った。
「一万年早いぜ。現実見てから出直しな」
「ひっで!」
「・・ドキドキした?」
「してない」
「嘘つかなくたっ「し て ま せ ん」」
「ちぇー」
慰霊祭が終わり、無事に死者たちが還って行った次の日の朝。
「どういう事なんだ!?」
盆国のギルドの受付窓口で難癖をつけている中年の獣人が声を荒げていた。
「依頼を出したのに誰も来てくれないじゃないか!!おかげでアイツは幼馴染にフラれちまったじゃねぇかよ!!」
「申し訳ありませんが、ご依頼された際にお渡しした依頼№は分かりますか?」
「そんなもん貰ってねえよ!どういうことだ!」
「では、ご依頼内容をお教えいただけますか?お調べいたします」
「旧友の酒断ちを手伝ってくれって!たったそれだけの依頼だったんだよ!!
それだけなのになんで誰も俺んとこ来てくれねぇんだよ!どういう訳か教えて貰おうじゃねえか!」
「ああ、なるほど・・・、それですか。
申し訳ありませんが、ギルドにご依頼をされる際、手数料をいただかなければご依頼は受注できないのです。「はあ!?」依頼を出した、と仰っておられますが、押し付けた・・・というだけではギルドでは取り扱いいたしませんので、ご了承ください。」
獣人はしばらく呆然と口を開いたまま、依頼を出す際の注意事項の書かれた文書を丸い目で見つめていた。
「ちなみに、再度、ご依頼なさいますか?」
「す る 訳 ね え だ ろ ! ! !」




