逃げ恥の爺④
「なんてこった!あんたがやったのか!!大したもんだな!!!」
「俺なんて鼻をへし折られたってのに!無傷かよ!すげぇな古人の姉ちゃん!」
野次馬たちに混じっていたらしい、じーさんに追い返されたギルド員の面々は、じーさんを寝かし倒したイヴァルノンを称賛した。
しかし、無表情のままイヴァルノンは戻ってきた野次馬たちを一瞥した後、口を開いた。
「この国に長くいる野次馬いる?
少し話を聞きたいんだけど」
『呆れた男だな、イェンヤン』
聞こえてきたのは相変わらず、相手をからかっているような、鼻につく声だった。
『来い。お前に死地をくれてやる』
ディグデン・レパック・カッパート。
奴が将校となる前までは、数少ない友であった。
ディグデンは昔馴染みの『河童』だった。
獣人にも魚人にも分けられず、魔人に分類された天辺禿げだった。
頭の鏡面が放つ『神々しさ』と、肌理の細かい鱗が織りなす七色の体色を、保つために潤いを欠かさない禿げだった。
一緒の学び舎を抜け、軍に入るときも同期だった。軍帽が支給されるとアイツは『神々しさ』をその下に隠した。
ただ、いつ頃からか思い出せないが、昔馴染みのひたむきに真面目さから距離を取るようになった。
振り返る程の経歴もなくて、印象に残る日々もない。寿命を甲斐なく減らすわしをよそに、アイツは出世して将校になった。軍帽を被ったままでも神々しく見えた。
アイツを尊敬して将校と呼んだ。上っ面の感情で。その面の下で不意に舌打ちをするような嫉妬心を、アイツを見上げて初めて、わしは自覚した。
それから、わしは酒を飲むようになった。
木の酒樽から『肉の酒樽』へ移し替えるように飲んだ。飲んでいなければ、わしの凡才に釣り合わないプライドで押し潰されそうだった。
酒を断て、と皆に言われた。
それでも酒にしがみ付き続けた。
そして・・・二度目の皇国省将ジェヴィーガンの侵攻。
将校は酒場に居座るわしを死地へと呼びこんだ。
だが、結局。
わしは惨めに生き残った。
あの死地から生還してしまった事を、今もまだ生き続けている事を
・・・恥ずかしく思う。
じーさんはぼんやりと目を覚ました。
そして、どことなく身軽に身体を起こした。
「・・・・聞いて、なかったな・・・あんたの名前」
ベッドの横にある木椅子に踏ん反り返っていたイヴァルノンは、じーさんの目を無表情に見続けた後で、机の上にあるガラスの水差しをコツコツと指先で弾いた。
「水ならたんまりとあるよ。トイレなら部屋を出て右。モーニングサービスは頼んでないから朝食はなし。臭いタンクトップは洗濯中。部屋着は宿屋所有のものだから着て帰らない様に。ああ、着替えの服はないから洗濯終わるまでそのままでね」
「・・・・・」
「そして大事なお知らせ。
この宿代はじーさん持ち、私は一文たりとも払いませんから」
早口に説明を言い切ると、イヴァルノンは立ち上がって締め切った厚手のカーテンを開いた。
穏やかな朝日が外の活気と共に入って来て、頬を撫でる様な風が薄水色のレースをひらつかせる。
ボンチララ、ボンチララと演奏が遠くから聞こえてくる。慰霊祭は、今日が最終日なのだとか。
じーさんはしばらく俯いて黙っていた。しかし窓の外を眺めているイヴァルノンから声を掛けてくる様子はなかった。
「世話を・・・焼いたな・・・」
「別に。私は泥酔したじーさんを寝かしただけだもの。謝罪も感謝も要らないよ。報酬の為に関わったに過ぎないし。
迷惑を掛けたと自覚しているんだったら、実際に迷惑を掛けた人たちの前に行って謝って来るべきだ、とは思うけど・・・謝罪の仕方はじーさんが考えることだ」
「・・・・・」
「私がまだ此処に居るのは、アフターケアを頼まれたからじゃない。個人的な興味でじーさんに聞きたいことがあったから」
「聞きたい事・・?」
「じーさんは『黒王』に遭ったことがあるんでしょう?」
じーさんは目を丸め、口元を震わせた。
何故そんなことを訊くのだ?と、彼は怯えた目でイヴァルノンを凝視した。
「じーさんが寝ている間に野次馬たちから大雑把に聞いたの。
じーさんの若い頃とか、盆国が皇国に侵略された当時の事とか色々。
その中で、じーさんが黒王に出くわして生き残った奇跡の―――」
「奇跡なんかではない!!」
素面に張り上げた怒号はよく響き、朝日に透ける水差しの水が波立った。
「あれは・・・奇跡なんかではない・・・。断じて・・・。
奇跡というのはな・・・、・・・助かるに見合った奴が生き残った、ときだけに・・・言うのじゃ。
生き残るべき奴を差し置いてわしは死ねんかった・・・これは、恥ずべきことなのじゃ」
「ふーん。けど、他の人から聞く限りでは、誰もじーさんを批難している感じはなかったよ。」
反論が頭の中で渦巻いて言葉にならないのか、じーさんは口をわなわなと動かすだけだった。
「じーさんが言いたくないなら別にいいや。
無理強いしたい訳じゃないし。」
「あんたは・・・・・」
立ち上がろうとしたイヴァルノンを呼び止めた後、長い溜めを挟んで、じーさんはしかめ面を上げた。
「何故、黒王の事を知りたいのじゃ・・・?」
「100%の興味本位」
信じられない・・・と読み取れる表情をじーさんは浮かべた。
「そんなことで首を突っ込むべきではない・・・」
そうは言ったものの、「だが、あんたがわしより強いということは確かじゃ・・・」じーさんは自分に言い聞かせるように小さくぼやいた後、大きな溜息を吐いた。
「・・・この国が皇国の土足に踏みつけられたその日、わしは黒王の力を目にした。」
話し始めると同時に、じーさんの手は震えた。
無意識に、水差しに手を伸ばそうとしたが、それが水だと思い出したのか、震える手をゆっくりと膝の上に置いた。
「わしらはずっと・・・黒王など皇国が作った迷信だと思っていた・・・。
黒王などという奴が、他国の侵略に現れたことなど今までなかったからだ・・・。」
「その日は、雨の予報だった。前日から厚い黒雲が風上におった。まだ肌寒い季節で・・・雪が、降るかもしれないとも言われていた。
だが、その日は曇天などなかった。日は高く上り、兜の中が汗で蒸し風呂のようだった。
皇国軍が現れる筈だったキリマ山の麓には、何もない、ひび割れた荒野だけが広がっていた。吹き付ける風は熱風で、臭う筈もない硫黄臭が僅かにした。
様子がおかしいと、わしらが思った・・・そのとき、背筋に沿ってヒリつく熱線が走り、振り返った・・・。
地震じゃ。
大きな地震じゃった。
すぐに土砂崩れが起きた。木々さえ堪えられずに幹から折れた。遠くに見える家屋が崩れ落ち・・・黒煙が上がった。
わしらがいた大地はバラバラになった。その裂け目からは溶岩と黒煙が噴き出した。激しい硫黄の臭いが立ちこめた。
数分経って・・・ようやく揺れが収まったとき、わしらの半数は溶岩に呑まれてしまっていた。
そして、呆然と立ち尽くすわしらの前に、黒い・・・岩の、ような奴が・・・突然、現れたのじゃ。
お、大きな、二つの角、四つの腕、四つの足・・・光を呑み込むような・・・黒い石像の様だった。
奴は何一言も言葉を発しなかった・・・ギィギィキリキリと・・・耳にこびり付く不快な・・・金属同士の甲高い摩擦音だけが、聞こえていた。
あれは黒王だと、一人が口にした。それを一人が否定した。それは皇国の迷信だと。
将校は奴を、敵とみなして・・・一斉攻撃の命を下した。数多の魔力が奴に向かって放たれた。
奴は身動ぎ一つしなかった。避ける素振りなども見せなかった。攻撃は全て当たった。数万の兵士の攻撃がだ。土煙が立ちこめた。
煙が晴れると、何事もなかった、身動ぎ一つしないままの奴が立っていた。
そして、奴は両腕を振り上げた。それだけじゃ。それ以外に何も・・・それ以上に、わしの記憶の中の奴は・・・動かなかった」
じーさんは僅かに顔を赤らめて、膝を握りしめた。
「数秒後、再び激しい、小刻みな横揺れが来た。皆は地面にしがみついた。だが、揺れは途端に大きくなり、溢れかえる溶岩で浮かび上がった細切れの地面が、溶岩の起こす波に引かれて一気に―――激突した!
大地の津波じゃ!!
わしらは瞬く間に溶岩に呑まれ、地面に押し潰されていった!
一度きりの大地の波がぶつかり合うと、何事もなかったかのように大地は動かなくなった。ピタリ、とも動かなくなった。溶岩はわしらを呑み込んだまま、すぐに冷え固まった。」
「じーさんはどうやって生き残れたの?」
「・・・わしは、溶岩に飲み込まれる瞬間、目を瞑ったのじゃ。もう終わりだ・・・わしは死ぬのだと。
じゃが、目を覚ますとわしは死んでおらんかった。ただ、暗くてよく見えんかった。身動きも取れん。もがいて、魔力をなんとか取り込んで、魔性を使ってこじ開けた。
光の下に出た後、盆国軍は、壊滅状態となっていた・・・、わしは、冷めた溶岩の中から、這い出て落ちた。
仲間の・・・見知った友人たちが・・・ああ、皆・・・が、将校・・・ディグデンまでも・・・」
じーさんは涙をこらえて鼻を啜った。
「振り返ると、黒王は既におらんかった。
わしは一人、何が起きたのか分からず、しばらく立ち尽くした。自然と涙が溢れてきて・・・鼻水が止まらなくなった。
ようやく事態を理解したとき、わしは・・・あまりの恐怖で崩れ落ちた。友人たちの名を叫んだ。何度も。赤子のように泣き叫んだ。返事は待てども・・・来なかった」
堪えていた涙が一粒こぼれると、嗚咽と共にわーわー湧き出てきた。シーツの染みが広がっていく。
「わしは・・・首都へ、走った。生きた心地などなかった・・・独りで、ずっと・・・数十キロを・・・ひたすら走った。
後ろから・・・わしを、・・・恥曝しな敗走を、嘲る声が聞こえた気がして・・・わしは、ただ・・・惨めで・・・恥ずかしくて弱くて、胸が苦しくて、呻きながら走った・・・爪が剥がれ、肉が削げ、血豆を潰し、骨を割ってまで、無我夢中で・・・全力で逃げた。
そして、わしは・・・惨めな格好で、王に伝えた。
どう足掻いても勝てぬ・・・負けを認めて、犠牲をこれ以上・・・出してはならんと・・・言うた・・・わしは、それしか、しておらんのじゃ・・・」
知っている事などそれだけじゃ、じーさんはそう言って水差しを握り、直接口へ水を注いだ。
「王様はじーさんの話を聞き入れてくれた?」
「・・・わし以外誰も・・・帰って来なかったからの・・・。
盆国は降伏した・・・その後のことなど、わしは覚えておらんよ・・・。
・・・わしはな、若いの・・・ずっと、あの場で死ねなかったわしが、わし自身が、許せなんだ・・・もっと生き残るべき奴はいくらでもいたのに、そう思うと何も出来なくなった・・・忘れたかった・・・昔のことだけ思い出して・・・それで・・・、・・・それから・・・・・・。」
「・・・・・。」
じーさんは無意識に酒を探すように目を泳がせた。しかし、じーっと見てくるイヴァルノンの視線に気付くと、彼はおどおどしながら自分の膝に目を落とした。
その様を見て、イヴァルノンは項を掻いて溜息を吐いた。
「他人ってね、私たちが思うほど私たちに興味なんて無いよ。じーさんは自分に厳しいだけ。」
イヴァルノンは、穏やかな口調でそう言った。
「自分のしたいようにすればいいさ。
せっかく生きているんだから」
「・・・・・」
腰を上げたイヴァルノンが立て掛けていた杖を手に取ると、それを肩に乗せた。
「少し散歩しない?
祭は今日までらしいし」
「・・・慰霊祭、か・・・。
だが、最終日は・・・、・・・何処へ、行くつもりなんじゃ?」
「墓参り。」




