逃げ恥の爺①
「役所がうるさくて、出入国の管理が厳しくなっ・・・え、ギルド組合発行の通行証?じゃあ問題ない。
ようこそ盆国へ。
ちなみに来た目的は―――ああ、あんたもイェンヤンの酒抜きを手伝いに?ハハ、是非とも宜しく頼むよ。
死なない程度にな。」
見渡す限りの若草色と、何処までも平らに続く黄土色。空気が澄んでいる故に遠くの風景までうっすらと見える広い澄んだ青、存在感の薄い白。髪を撫でる穏やかな風に揺れる畑、その間を流れる小川で遊ぶ子供たち、藁帽子の日焼けがどこか愛おしい。
きっと多くの生物が思い描く、穏やかで快適な『余生』を過ごせる場を具現化したのがこの国なのだろう。
トコトコトコ、木の車輪をゆっくりと回す牛車の荷台に寝転び、カーキ色を混ぜた薄緑の羽織が藁塗れになっている古人女は呑気に欠伸をした。
僅かに黄色みを帯びたベージュの髪と、その色をくすませた様なニッカズボン。動きやすさを重視し、ファッションや色彩バランスを気にする感性を持ち合わせていない、と言わんばかりだ。
そんな古人女がタダ乗りしているとは露知らず、牛車の手綱を引く中年太りの獣人は陽気に鼻歌を奏でている。気に入っているのだろうそれはいつも同じ民謡調で、横に置いた果実酒を啜る音まででワンフレーズだった。
見かける度に駆け込むトイレ休憩、その間に誰かが藁の中に飛び込み乗車しても、安堵した顔の彼が変化に気付くことはなかった。
牛車はゆっくりと時間をかけて、夜となる前に町に着いた。
酒と酔いを失くした獣人が藁の凹みに気付いたときには、そこには何も残っていなかった。
イノン・イヴァーン・イヴァルノンは元・魔女だ。
慢性的な金欠であった彼女は最近、無職からアルバイトに転身した。
ギルドと仮契約したのだ。
これによって契約したギルドのある国への出入国は非常時以外顔パスとなり、依頼目的であれば契約ギルドのある地域の国へは大概行き易くなった。
そして今回、彼女はとある依頼で盆国の首都、タンペイへ来た。
「イェンヤンのいる酒場なら、あの広場を抜けて右の階段を上って真っ直ぐだ。すぐ分かるよ。」
腹ごしらえをした店主に道を聞き、その通りに向かってみると、確かに、すぐに分かる荒れ具合だった。
「酒臭ぇ・・・」
イヴァルノンのペット、小さな竜人は小さな鼻を手で覆って顔をしかめた。
赤に照っている木造の柱は複雑に折れていて、瓦屋根が飛び散り、天蓋の一部が地上に接している。最早、瓦礫と呼んで差し支えないだろう。
その瓦礫の中に、一際異質な空間がぽっかりと空いている。床と椅子とカウンターと酒の並ぶ棚が、そこにある。必要最低限に酒場として成り立つワンセットのみが恣意的に残されている。
そして、恐らくは彼であろう―――老いぼれた丸い背中が見えた。彼は一人で酒瓶を逆さにしてジョッキに突き刺した。
「ねえ、あんた」
イヴァルノンに声を掛けたのは、不快さが顕わな木人だった。
「あんたもギルドの依頼だとかで来た一人?」
「もしかして、あの酒場の所有者?」
バーテンダー、という格好ではなかったが、酒に溺れた彼を『旧友』と呼ぶ依頼者の顔とも思えなかったし、彼の酒を断つ意気込みもまるでなかった。
案の定、木人は頷く代わりに項垂れた。
「タンペイの酒場の半分は彼のせいで廃業も同然よ」
「此処だけじゃねぇのか・・・」
「国は個人の問題には動いてくれないし、兵士たちは昔の彼を英雄視して話にならない。
ギルドに誰かさんが依頼を出したらしいけど、大御所は安い報酬に目もくれない。」
あんたも中小ギルドの使いなんでしょう?―――本音が溜息に乗って鼻に届く。この木人もやけくそになったのだろう。
「近づいたら腹を立てて暴れる感じ?」
「話にならないのよ。それ以上の表現なんて思いつかないわ。
私の言う意味が分かる?お嬢ちゃん。
あの爺、痴呆なの」




