7話 『タダより美味いものはない』
食堂へ入ると、温かい空気と一緒に料理の匂いが流れてきた。昼にも来た場所だが、夕食時の食堂は雰囲気が少し違っていた。窓の外が暗くなり始めているせいか、天井から下がった魔法灯の明かりが昼間よりも強く感じられる。夕食の時間にはまだ少し早い。席は半分ほど空いていたが、入口からは次々と生徒が入ってきている。
「早めに来て正解だったな」
花田は満足そうに言うと、入口の脇に積まれていた盆を一枚取った。食堂は、自分で好きな料理を選ぶ形式になっている。壁際には長い料理台が並び、主食、肉料理、魚料理、野菜、スープの順に分けられていた。料理台の下には魔法陣が刻まれており、湯気の立つ料理は温かいまま、果物や飲み物は冷えたまま保たれている。昼よりも料理の種類が多い。焼いた肉に魚の煮込み、香草の入った鶏肉、野菜の炒め物。大きな鍋には二種類のスープが用意され、その先にはパンや米が並んでいる。端の台には、果物や小さな焼き菓子まで置かれていた。
「結構あるな」
花田が料理台を見渡す。
「ああ」
寮の食堂だから、もっと簡単なものを想像していた。だが、並んでいる料理はどれもきちんと作られている。これらはすべて無料だった。正確には、星陵魔法学園に在籍している生徒の食費は国が負担しているらしい。料理を取るたびに金を支払う必要はない。どれだけ食べても同じだ。
オレは空いている皿を盆に載せ、料理台に沿って進んだ。まず肉料理を取る。その隣にあった魚も悪くなさそうだったので、別の皿に取った。野菜も必要だろう。スープを選び、米を盛り、その横にパンも置く。少し考えてから、焼き菓子も一つ取った。
「お前、まだ取るのか?」
先を歩いていた花田が振り返る。
「せっかくだからな」
「何がせっかくなんだよ」
答える代わりに、オレはもう一品だけ小皿へ取った。花田も人のことを言える量ではなかった。大皿には肉が多めに盛られ、パンも二つ載っている。料理を取り終える頃には、食堂に入った時よりも生徒が増えていた。オレたちは盆を持ち、空いている席を探す。
「窓際が空いてるぞ」
花田が奥を指した。そちらへ向かおうとしたところで、少し離れた席から手が上がった。
「桐原くん、花田くん。こっち」
橘だった。二見と向かい合って座っており、その隣の席が二つ空いている。
「二人とも早いな」
花田がそう言いながら、迷わずそちらへ向かった。
「混む前に来た方がいいと思ったので」
橘が隣の椅子を軽く引く。
「昼の混み方を見たら、早めに来ようと思うでしょ」
二見は当然のように言った。
「同じこと考えてたんだな」
花田が橘の隣へ盆を置いたので、オレは二見の隣に座る。食堂の中には、さっきよりも話し声が増えていた。入口から入ってくる生徒も途切れず、空いていた席が少しずつ埋まっていく。早めに来たのは正解だったらしい。
「先生との話、早く終わったんですね」
橘がオレを見る。
「ああ。少し前に」
「寮までは一人で行ったんですか?」
「そうなった」
雨宮先生から道順は聞いていたし、特に困ることもなかった。ただ、橘は少し気にしていたらしい。
「迷わなかったですか?」
「ああ」
「それならよかったです」
橘はほっとしたように笑い、それから箸を取った。
「それじゃあ、いただきます」
花田も両手を合わせる。二見も小さく「いただきます」と続き、箸を持ったまま軽く頭を下げた。オレも料理に向けて一度だけ頭を下げ、肉料理へ箸を伸ばす。表面には焼き目がついているが、中は柔らかい。少し濃いめの味つけで、米にもよく合った。続けて魚料理を口へ運び、間にスープを挟む。どれも寮の食事として想像していたものより、ずっとまともだった。
しばらく食べていると、隣から視線を感じた。二見が箸を止め、オレの盆を見ている。
「あんた、よく食べるわね」
二見の視線が、オレの盆の上を順にたどる。肉料理に魚料理、山盛りの米、スープ、パン。それに小皿が二枚。すでにいくらか減っているが、それでも他の三人より明らかに多かった。
「そうか?」
「そうかって量じゃないでしょ。肉も魚も取って、その上パンまであるじゃない」
「種類が多かったからな」
「だからって、全部取る必要はないでしょ」
どれか一つに絞ることも考えた。だが、どれも食べてみたかったのだから仕方がない。それに、ここではどれだけ取っても金はかからない。
「タダより美味いものはない」
「タダより高いものはないとも言うけどね」
二見がすぐに返す。オレは少し考え、残っていた肉を口へ運んだ。
「今のところ、何も請求されてない」
「そういう意味じゃないわよ」
二見は呆れたように息を吐いた。
向かいに座る花田が、オレの盆を見たあと、自分の盆へ目を落とす。
「俺も結構取ったつもりだったんだけどな」
「十分多いでしょ」
「朔也の隣に置くと普通に見える」
「比べる相手を間違えてるのよ」
二見に言われ、花田は改めてオレの盆を見る。
その間にも、オレは米を口へ運んだ。濃いめに味つけされた肉とよく合う。パンまで取ったのは少し多かったかもしれないが、残すほどではない。
「桐原くん、食べるのも早いんですね」
橘に言われ、盆へ目を落とす。肉料理はほとんど残っていない。魚もあと二口ほどで、山盛りだった米もすでに半分を切っていた。
「普通に食べてるだけなんだけどな」
「それでその速さなのがすごいのよ」
二見はまだ納得していないようだった。
オレは残っていた魚を口へ運び、間にスープを挟む。どれも悪くない。タダだということを抜きにしても、十分うまかった。
「これなら、寮生活も何とかなりそうだな」
「判断基準が食事なの?」
二見が眉を寄せる。
「毎日のことだから大事だろ」
「それはそうだけど……」
少し考えたあと、二見はそれ以上何も言わなかった。
食堂の中は、いつの間にかほとんどの席が埋まっていた。入口から入ってくる生徒は途切れず、料理台の前にも列ができ始めている。早めに来たのは正解だったらしい。
「そういえば、明日から授業だよな」
花田がパンをちぎりながら言った。
「当たり前でしょ。何のために入学したのよ」
「入学した次の日くらい休ませてくれてもいいだろ」
「今日、ほとんど授業してないじゃない」
二見と花田のやり取りを聞きながら、残っていた米を食べ終える。盆の上には、パンと小皿が一枚残っていた。思っていたより、早くなくなりそうだった。
「で、最初の授業って何だっけ?」
花田がパンを口へ放り込みながら、橘を見る。
「基礎魔法理論だったと思います。そのあとは実技ですね」
「いきなり実技か」
花田の顔が分かりやすく明るくなる。測定でA評価を出したばかりだ。早く魔法を使いたくて仕方がないのだろう。
「何やるんだろうな」
「最初なら、それぞれの実力を見るんじゃない?」
二見が答える。
「入学試験でも見られただろ」
「試験と授業は別でしょ。先生だって、実際に教える生徒のことは知っておきたいでしょうし」
「それもそうか」
花田は納得したように頷き、パンを一口かじった。
「威力だけじゃなくて、精度とか発動の速さも見るかもしれませんね」
橘が言うと、花田の口元がさらに緩んだ。
「面白そうだな」
この学園にいるのは、オリジナルを持つ者か、基礎魔法の腕を認められた者ばかりだ。同じ魔法を使っても、かなり差が出るのだろう。
「朔也は、何が得意なんだ?」
花田がこちらを見る。
「基礎魔法なら一通り使える」
「そうじゃなくて、一番得意な系統」
「特にないな」
二見が箸を止めた。
「得意なものがないってこと?」
「苦手なものもない」
「ずいぶん器用なのね」
火が必要なら火を使い、水が必要なら水を使う。得意かどうかより、使えるかどうかの方が大事だった。
「明日見れば分かるだろ」
「自分のことなのに、ずいぶん他人事ね」
「今ここで魔法を使うわけにもいかないからな」
「それはそうだけど」
二見はまだ少し納得していない様子だったが、それ以上は聞かず、食事へ戻った。
その横で、橘が小さく笑っている。
「桐原くんらしいですね」
「今日会ったばかりだろ」
「それでも、何となく分かります」
何が分かったのか聞こうとしたが、その前に花田が身を乗り出した。
「じゃあ、俺がどんなやつかも分かる?」
橘は少し考えるように花田を見る。
「明るい人だと思います」
「お、いいじゃん」
「あと、勢いで何とかしようとする人」
「それ、褒めてる?」
二見が吹き出しそうになり、慌てて口元を手で隠した。
「今、笑っただろ」
「笑ってない」
「絶対笑ったって」
「気のせいよ」
二人のやり取りを横目に、最後に残っていたパンを食べる。これで盆の上から料理がなくなった。まだ少し食べられそうだったが、ここで席を立てば、また何か言われる気がする。
料理台へ目を向ける。さっきよりも列が長くなっていた。わざわざ並び直すのも面倒だ。今日はこれでいいか。
「もう食べ終わったんですか?」
橘が空になった盆を見る。
「ああ」
「本当に全部食べたのね……」
二見も箸を止め、自分の皿とオレの盆を見比べた。
「残す理由がないからな」
「もう少し苦しそうにしてもいい量だったけど」
「まだ食べられるぞ」
「聞かなかったことにするわ」
二見はすぐに視線を戻した。それからしばらくして、三人も食事を終えた。食器を返却口へ運び、四人で食堂を出る。
外へ出ると、空はすっかり暗くなっていた。道沿いの魔法灯が淡い光を落とし、その下を生徒たちが寮へ向かって歩いている。昼間には遠くまで見えていた校舎も、今は窓の明かりだけが暗闇の中に浮かんでいた。話しながら歩いているうちに、噴水広場へ戻ってきた。
「じゃあ、ここで別れるわね」
二見が女子寮の方へ身体を向ける。
「また明日ですね」
橘が笑顔で小さく手を振った。
「そうだな」
オレがそう返すと、橘の手が止まった。その隣で、二見がため息をつく。
「あんた、そういう意味じゃないでしょ」
「他に意味があるのか?」
「分からないなら、もういいわ」
二見は呆れたように首を振り、女子寮へ歩き出した。
「それじゃあね」
橘も困ったように笑い、二見のあとを追っていく。
「朔也」
隣から花田が声をかけてくる。
「たぶん今のは、『また明日』って返すところだぞ」
なるほど。
「また明日」
「もういないって」
花田は呆れたように笑い、男子寮へ向かって歩き始めた。オレもその隣に並ぶ。視線の向こうでは二人の姿が女子寮の中へ消え、扉がゆっくりと閉じていった。
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