6話 『初めての寮と、二つ隣の友人』
魔力測定が終わると、夕食までの間に一度寮へ向かうことになっていた。先生からは、自分の部屋を確認し、荷物を整理しておくようにと今朝の時点であらかじめ言われていた。雨宮先生との話を終え、中央魔力観測堂を出ようとしたところで、背後から声をかけられた。
「あ、そうそう。みんなは他の先生が寮まで案内したんだけど、桐原くんは私が呼び止めちゃったから、自分で向かってもらうことになるわね」
「寮へ行くくらいなら問題ないです」
「そう? うちの学園、結構広いわよ。初日から迷う子、毎年いるし」
確かに、今朝校門から見ただけでも、校舎のほかに寮や食堂、商店街まであった。あれだけ建物と道があれば、目的地を探しているうちに迷う生徒がいてもおかしくはない。
「なら、先生が案内してくれません?」
「引き止めた手前、申し訳ないんだけどね。まだ仕事が残ってるの」
「教師って大変ですね」
「分かってくれる?」
「いえ、あまり」
雨宮先生は一瞬だけ目を丸くし、それから小さく笑った。
「君って、本当に素直だね~」
「よく言われます」
「それ、褒められてない時もあると思うけど」
雨宮先生はそう言って、校舎の出口の方を指さした。
「観測堂を出たら、正面玄関まで戻って。校舎を出たら右に進むと、噴水のある広場に出るから、そこを奥へ抜ければ寮が見えるわ。男子寮と女子寮が並んでるから、間違えないようにね」
「分かりました」
「本当に?」
「観測堂を出る。正面玄関まで戻る。校舎を出たら右。噴水のある広場を奥へ抜ける。男子寮と女子寮を間違えない」
「よろしい」
そうしてオレは、他の生徒たちから少し遅れて寮へ向かうことになった。地下から階段を上がり、正面玄関から校舎の外へ出る。地下にいたせいか、外の光が少しまぶしかった。日はまだ沈んでいない。空は青さを残していたが、西の端はうっすらと黄色くなり始めている。校舎の影は長く伸び、昼間は白く見えた石畳も、今は少し灰色がかって見えた。
朝からずっと校舎の中を移動していたせいで、学園の全体像はいまだによく分からない。正門から校舎まで歩き、掲示板を見て、教室へ行った。講堂にも入り、地下の観測堂にも降りた。だが、それぞれの場所が頭の中でうまくつながっていない。広すぎる。学校というより、小さな町に近かった。
正面玄関を出て、雨宮先生に言われた通り右へ進む。校舎の外壁に沿って石畳の道が伸びていたが、すぐにいくつかの道へ分かれていた。庭園へ続く道。別棟へ向かう渡り廊下。校舎の裏手へ回り込む細い道。右と言われたところで、右にも種類がある。オレはその場で少し立ち止まった。なるほど。初日から迷う生徒が毎年いるという話は、あながち冗談ではないらしい。とはいえ、戻って雨宮先生に聞き直すのもなんだか恥ずかしい。オレは校舎の外壁に最も近い道を選び、そのまま進んだ。
校舎から離れるにつれ、周囲の音が少しずつ変わっていく。さきほどまで校舎から聞こえていた上級生の声が遠ざかり、代わりに風が木の葉を揺らす音が近くなった。道の両脇には低い植え込みが続き、その奥には細い水路が流れている。透明な水が音もなく流れ、夕方の光を水面にちらちらと反射させていた。水路の底には、小さな魔法陣が等間隔に刻まれている。水の流れや水質を保つためのものだろう。普通なら詰まったり濁ったりしそうなものだが、水は妙に澄んでいた。学園内の設備は、こんな細かいところまで魔法で管理されているらしい。水路一つにまで魔法を使っているあたり、設備にはかなり金をかけているのだろう。
しばらく進むと、道の先が開けた。中央に大きな噴水のある広場だった。周囲には、石畳の道が円を描くように伸びている。どうやら、選んだ道は間違っていなかったらしい。ここまで来れば、あとは広場を奥へ抜けるだけだ。噴水の縁には花壇が作られ、色とりどりの春の花が植えられていた。名前は分からないが、きちんと手入れされていることだけは分かる。噴水の水は、ただ上へ噴き上がっているわけではなかった。宙に浮かんだ水が弧を描き、細い糸のようにほどけ、再び一つにまとまって落ちていく。水属性の魔法が使われているのだろう。見せるためのものなのか、何か設備としての役割があるのかは分からない。
広場を奥へ抜けると、大きな建物が二棟並んでいた。片方が男子寮で、もう片方が女子寮らしい。造りはほとんど同じで、どちらも四階建てだった。赤茶色の屋根に灰色の石壁。縦に細長い窓が、等間隔に並んでいる。校舎ほどの威圧感はないが、普通の寮と呼ぶには大きすぎる。それぞれの玄関の上には、木の看板が掛かっていた。
《男子寮》
《女子寮》
雨宮先生は間違えないようにと言っていたが、さすがにこれなら間違えようがない。オレは看板に従って男子寮へ向かった。玄関前には、何人かの生徒が集まっていた。測定を終えた連中だろう。部屋番号を確認している者もいれば、魔力量評価について話している者もいた。
「九条のS、すごかったな」
「その後のAが普通に見えたもんな」
「俺はBだったが、平均なら十分だろ」
「Cって、何人いたっけ?」
聞こえてきた声に、足がわずかに鈍った。さっき石板に浮かんだ文字が、頭の中によみがえる。C。評価そのものを気にしているわけではない。ただ、あの瞬間に流れた小さな沈黙だけは、頭から離れてくれなかった。オレは一度鈍った足を元に戻し、そのまま玄関へ向かった。
扉の横には、黒い石板が埋め込まれている。前の生徒が学生証をかざすと、石板に青白い文字が浮かび、扉の鍵が外れた。寮の出入りは、学生証で管理されているらしい。夜に勝手に外へ出れば、おそらく記録が残る。自由な学園生活。ただし、管理つき。オレも学生証をかざした。短い音が鳴り、扉の鍵が開く。
中へ入ると、外より少しだけ空気が冷たかった。玄関ホールは広く、床には磨かれた石が敷かれている。正面には受付のようなカウンターがあり、その奥には管理人室と書かれた扉があった。壁際には生徒ごとの郵便受けが並び、隣には寮の規則が貼られている。消灯は十時。外出は届け出制。他室への無断侵入は禁止。室内および廊下での攻撃魔法は禁止。浴場での魔法使用も禁止。一階には談話室、洗濯室、大浴場、管理人室があるらしい。二階から四階が生徒の部屋になっている。談話室の方からは、すでに笑い声が聞こえていた。入学初日から、よくそんなに話せるものだ。いや、オレも花田に話しかけられている時点で、人のことは言えないかもしれない。
階段の横に部屋割りの一覧が貼られていた。桐原朔也。四階、四〇七号室。廊下の端に近い部屋だった。悪くない。人の出入りが多い場所より、少し外れているくらいがちょうどいい。
階段を上がると、廊下は思ったより静かだった。まだ全員が戻っているわけではないのだろう。窓の外には、先ほど通った広場が見える。噴水の向こうには女子寮があり、そのさらに奥には、学園を囲む森が広がっていた。森の色は昼よりも少し濃くなっている。空がまだ明るい分、その暗さが目立って見えた。廊下の壁は厚く、部屋の扉も頑丈そうだった。ただの木製ではない。扉の縁には、細い魔力が流れている。その流れは扉の四辺を巡っていた。攻撃を防げるほど強いものではない。おそらく、防音のための魔法だろう。
四〇七号室の前で足を止める。扉には小さな金属板が取りつけられ、オレの名前が刻まれていた。学生証をかざすと、扉を巡っていた魔力がわずかに揺れ、鍵が開いた。中は思っていたよりまともだった。六畳ほどの個室に、ベッド、引き出しのついた机、椅子、衣装棚。それに小さな本棚が置かれている。入口の脇には簡単な洗面台があり、その隣にはトイレも備えつけられていた。天井の隅には換気用らしき魔法陣が刻まれ、室内の空気をゆっくりと循環させている。朝に預けた荷物は、すでに机の横へ運び込まれていた。勝手に中を開けられた様子はない。そこは少し安心した。
オレは鞄を床へ置き、窓を開ける。四月の風が部屋に流れ込んできた。冷たいというほどではなく、閉め切られていた部屋の空気をゆっくりと押し出していく。窓の外には、長い影の伸びた石畳と、広場を行き交う生徒たちが見えた。遠くには校舎の尖塔がそびえ、その向こうには学園を囲む森が広がっている。
今日からここで暮らす。そう考えてみても、まだ実感は湧かなかった。部屋があり、荷物も届いている。生活に必要なものは、一通り揃っていた。それでも、まだここを自分の部屋だとは思えない。必要なものが置かれているだけで、馴染みのない場所であることに変わりはなかった。
オレはベッドに腰を下ろした。硬すぎるわけではないが、沈み込みは浅い。学生寮のベッドとしては、こんなものだろう。机の上には、小さな冊子が置かれていた。寮生活の手引き。今は読む気になれず、そのままベッドへ仰向けに倒れ込んだ。
天井を見上げる。二見と出会い、教室では花田や橘と話した。入学式では学園長を見て、午後には地下の観測堂で魔力測定を受けた。朝に正門をくぐってから、ずいぶん多くのことがあった。オレは小さく息を吐く。
その時、廊下から足音が近づいてきた。足音は部屋の前で止まり、続いて扉が叩かれた。
「朔也、いるか?」
聞き覚えのある声だった。花田だ。オレはベッドから身体を起こし、扉を開ける。
「飯、行こうぜ」
顔を見るなり、花田はそう言った。
「もう行くのか」
「早めに行った方がいいだろ。昼も結構混んでたし――って、お前、荷物そのままじゃん」
花田はオレの横を抜け、断りもなく部屋へ入ってきた。机の脇に置かれた荷物は、運び込まれた時のままだ。紐すらほどいていない。
「今からやろうとしてたとこだ」
「ほんとかよ。じゃあ、終わるまで待ってる」
花田はそう言うと、近くの椅子を引いた。本当に待つつもりらしい。荷物を開けて、服やら何やらを片づける。できないことはないが、今から始めたいかと言われれば、始めたくはなかった。
「やっぱり夕食のあとでいい」
「はい、先延ばし」
花田は呆れたように笑い、引いたばかりの椅子を元へ戻した。
「まあいいや。早く行こうぜ」
扉へ戻ろうとする花田の背中に、オレは声をかける。
「お前の部屋は片づいたのか?」
花田の足が止まった。
「……食堂、混むぞ」
花田は振り返らなかった。
「片づいてないんだな」
「細かいこと気にするなって」
どうやら、荷物を放置していたのはオレだけではなかったらしい。オレは机の上に置いていた学生証を取り、部屋の外へ出た。扉を閉めると、縁を巡っていた魔力の流れがつながる。短い音が鳴り、自動で鍵がかかった。
「そういえば、お前の部屋はどこなんだ?」
「四〇五。二つ隣」
花田が顎で廊下の先を示す。少し離れた扉には、花田恵と刻まれた金属板が取りつけられていた。
「近いな」
「だろ。何かあったらいつでも来ていいぞ」
「まずは人を呼べる部屋にしてから言え」
「夕食のあとに片づけるって」
「さっき聞いた気がするな」
「それ、朔也が言ってたからな」
それを言われると返す言葉がない。オレたちは並んで廊下を歩き、階段へ向かった。
さっき来た時より、寮の中はずいぶん騒がしくなっている。開いた扉の向こうから話し声が聞こえ、廊下では荷物を抱えた生徒たちが行き来していた。部屋番号を確認しながら歩く者もいれば、すでに隣室の生徒と話し込んでいる者もいる。入学してまだ一日も経っていないというのに、馴染むのが早い。
「部屋に戻ってからずっと一人だったのか?」
階段を下りながら、花田が聞いてきた。
「まあな」
「じゃあ、呼びに来て正解だったな」
花田は前を向いたまま言った。一人で食事をすることに抵抗はない。ただ、こうして誘われるのも悪くはなかった。
一階まで下りると、談話室から大きな笑い声が聞こえてきた。入口の近くには何人かの生徒が集まり、椅子を寄せて話している。ここからでは学年章までは見えない。一年生だけでなく、上級生も混じっているのかもしれない。花田が歩きながら、談話室の中へ目を向ける。
「飯のあと、あそこ覗いてみるか?」
「オレはいい」
「行かないのか?」
「知らない相手の輪に入っていくほど興味はない」
「じゃあ、俺だけ行ってくるわ」
花田なら、相手が上級生だろうと気にせず話しかけるのだろう。オレには真似できないというより、真似する気がなかった。
玄関ホールでは、食堂へ向かう生徒たちが次々と外へ出ていた。オレたちもその流れに混ざり、寮を出る。扉が開くと、夕方の冷えた空気が中へ流れ込んできた。外は先ほどよりも暗くなっていた。空にはまだ青さが残っているが、西の端にあった黄色はほとんど消え、寮や校舎の窓には明かりが灯り始めている。噴水の周りにも魔法灯がともり、流れ落ちる水を照らしていた。昼間に見た時とは違い、水そのものが淡い光を帯びているように見える。
広場を横切る生徒の多くが、同じ方向へ歩いていた。オレたちもそのあとに続く。道沿いには魔法灯が並び、足元だけでなく、並木や建物の外壁まで明るく照らしている。朝からいくつもの場所を歩いたが、夕方になると学園全体が少し違って見えた。オレは花田と並び、生徒たちの流れに混ざって食堂へ向かった。
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