3話 『星冠の学園長』
「Cクラスー。移動するよー」
教室のざわめきが少しずつ収まり、生徒たちはそれぞれ席を立ち始めた。オレたちも流れに乗って廊下へ出る。外には、すでに他のクラスの生徒たちが並び始めていた。
教師の後を追い、校舎の中央へ向かう。途中で通った回廊は、教室棟よりも明らかに古かった。白い石壁には細かな彫刻が施され、窓の上には、火、水、風、土、光、闇を象った六つの紋章が並んでいる。壁に取り付けられた灯りも、火を使っているわけではないらしい。硝子の器の中で、淡い光だけが静かに揺れていた。
「すごいですね」
橘が小さく言った。
「名門って感じだな」
花田が天井を見上げたまま答える。
「あなたでも、そういう感想出るのね」
二見が言う。
「どういう意味だよ」
「床が高そうとかそういう感想かと思った」
「それも思った」
花田は少しだけ足元を見る。
「だって傷つけたら怒られそうだろ」
「普通に歩けば傷つかないわよ」
「歩くのって、意外とむずいんだな」
橘が口元を押さえて笑った。その声も、すぐに回廊の静けさへ紛れていく。
回廊を抜けた先にある扉は、校舎のものとは思えないほど大きかった。黒い木で作られた両開きの扉には、六属性を象った紋章が刻まれている。その前には教師だけでなく、見慣れない礼装を着た大人たちも立っていた。胸元に魔法省の徽章をつけた者もいる。
入学式にしては、ずいぶんと大げさだ。
「来賓までいるんだ」
花田が、今度は少し声を抑えて言った。
「星陵魔法学園だもの。来るでしょ」
二見はそう言ったが、彼女も扉の前に並ぶ大人たちを見ていた。
「魔法省の人までいるな」
オレが言うと、二見が小さくうなずく。
「じゃあ、寝たらまずいな」
「来賓を見て最初に心配するのがそれ?」
「ほら、あんたたち。静かにしなさい」
雨宮先生が振り返った。
「特に花田くん」
「なんで俺なんですか!」
花田の声が、静かな回廊によく響いた。扉の前にいた大人たちが、一斉にこちらを見る。
「……静かにします」
今度は誰にも言われず、花田は声を落とした。
係の教師が大扉を開く。中へ入った途端、それまで聞こえていた話し声が一段低くなった。
講堂は、これまで見た校舎のどの部屋よりも広かった。高い天井からは大きな魔法灯が吊り下げられ、柔らかな光が、幾百もの座席を照らしている。正面には一段高い壇上があり、その後ろには国旗と学園の紋章旗が並んでいた。
壇上の中央には演台がある。その左右には、教師と来賓のための席が並んでいた。魔法省の徽章をつけた職員らしい者、魔術師らしい長衣を着た者、格式のありそうな年配の男女。さっき扉の前にいた大人たちが、順に席へ着いていく。
生徒用の席に、在校生の姿はない。いるのは、オレたちと同じ新入生だけだった。
教師に従い、Cクラスの席へ向かう。席まで歩くだけでも、講堂の広さがよく分かった。さっきまで歩いていた回廊も十分大きかったはずなのに、ここから見れば入口へ続く通路の一つでしかない。前方には、AクラスとBクラスの生徒たちがすでに並んでいた。後ろを振り返れば、まだ入場していない生徒たちの姿が大扉の向こうに見える。
話し声はある。けれど、教室にいた時のような騒がしさではない。来賓席の大人たちが、直接こちらを見ているわけではなかった。それでも、余計なことをすればすぐに目立つくらいの距離にはいる。花田も珍しく、何も言わなかった。
やがて、最後の生徒たちが席へ着く。講堂の扉が閉じられた。重い音が、広い空間に響く。それを合図にしたように、壇上の横にいた教師の一人が前へ出た。
「これより、星陵魔法学園入学式を執り行います」
その声と同時に、講堂の空気がさらに静まる。
「新入生、起立」
椅子が一斉に鳴った。
「学園長、入場」
オレたちが立ち上がると、壇上の奥にある扉が開いた。先に数人の教師が入ってくる。その後ろから、一人の女性が姿を現した。
艶のある黒髪を背中まで流し、深い藍色の着物をまとっている。銀白と灰紫の花が控えめに散らされた生地に、暗い臙脂の帯。髪には、小さな銀の簪が一本だけ差されていた。女性は背筋を伸ばしたまま壇上の中央まで進み、演台の前で足を止めた。
「学園長式辞」
司会を務める教師の声が響く。その姿を見て、隣にいた花田が小さく息を呑んだ。
「……御影紫苑だ」
「知ってるのか」
「知らないわけないだろ。《星冠》だぞ」
「星冠?」
花田に、お前は本気で言っているのか、という顔で見られた。こいつにそんな顔で見られるのは癪だが、オレが世情に疎いのも事実だった。
「国内最高位の魔術師に与えられる称号だ。今、それを持ってるのは三人しかいない」
「そんな人が、学園長をやってるのか」
「だからすごいんだろ」
「説明はあとにしなさい」
二見が前を向いたまま、小声で言った。
オレはもう一度、壇上を見る。御影紫苑は、まだ何も話していない。それでも、講堂に残っていたわずかな私語まで、いつの間にか消えていた。
ゆっくりと、御影紫苑が口を開く。
「入学、おめでとう」
飾りのない言葉だった。祝いの場らしい柔らかさも、これから始まる学園生活への期待を煽るような口調もない。ただ、言葉だけがまっすぐに講堂へ落ちた。
「諸君は今日より、この星陵魔法学園の生徒だ」
御影紫苑は、前列から最後列までを順に見渡した。
「だが、魔法を使えることと、魔術師であることは同じではない」
隣で、花田がわずかに姿勢を正した。
「生まれ持った魔力量。家名。固有魔法。教わる環境。努力だけでは埋まらぬ差は、確かにある」
その言葉に、誰かが小さく息を呑んだ。入学式で言うようなことではない、とオレは思った。普通なら、ここで努力がどうとか、仲間がどうとか、もう少し都合のいい話をするはずだ。
だが、御影紫苑は続けた。
「その差を、わしは否定せぬ」
凛とした声だった。
「才ある者は、その才を誇ってよい。家名を背負う者は、その責任を自覚すればよい。固有魔法を持たぬ者も、己を恥じる必要はない」
御影紫苑は、少しも声を強めなかった。それなのに、聞き逃してはいけない気がした。
「ただし、一つだけ覚えておけ」
彼女の視線が、まっすぐこちらへ向く。もちろん、オレ一人を見たわけではない。それでも、一瞬だけ自分が見られたような気がした。
「才能は、傲慢の許可証ではない」
講堂が静まる。
「力ある者が、力のない者を踏みにじる。家名ある者が、それを盾に責任から逃れる。固有魔法を持つ者が、自分は特別だと思い上がる」
一つずつ、言い聞かせるように。
「そのような者を、わしは魔術師とは呼ばぬ」
言葉は厳しい。けれど、誰かを脅しているようには聞こえなかった。これだけは絶対に譲らないと、静かに告げているようだった。
「この学園では、強い者ほど多くを求められる。弱い者ほど、学ぶことをやめてはならん」
御影紫苑は、一度だけ目を伏せた。
「いずれ諸君は、自分の力ではどうにもならぬ場面に立つだろう。救いたいものを救えず、守るべきものを守れず、自らの無力を思い知る日が来るかもしれぬ」
その声には、不思議なくらい重みがあった。誰かから借りてきた言葉ではない。そう思わせるだけの何かがあった。
「だから、ここで学べ」
御影紫苑は顔を上げる。
「魔法を使うためだけではない。力を持った時、自分が何をする人間なのか。それを決めるために」
そこで初めて、ほんの少しだけ表情がやわらいだ。
「諸君の入学を歓迎する」
沈黙が落ちた。誰もすぐには拍手をしなかった。入学式らしい言葉を聞いたはずなのに、胸の奥に残ったのは、歓迎されたという気持ちよりも、試されているような感覚だった。
やがて、どこかで拍手が起こる。それが広がり、講堂全体を満たしていく。隣を見ると、花田は珍しく何も言わずに壇上を見ていた。オレも、もう一度だけ御影紫苑を見る。
国内に三人しかいない《星冠》。その称号がどれほどのものなのか、まだオレには分からない。ただ、肩書きだけでこの場を黙らせているわけではないらしい。
「新入生、着席」
司会を務める教師の声に、オレたちは一斉に腰を下ろした。
その後の式は、驚くほどつつがなく進んだ。政府から派遣されたという文官が、祝辞を述べる。星陵魔法学園が、長いあいだ多くの魔術師を世に送り出してきたこと。卒業生の中には、首都で働く者も、地方で人々の暮らしを支える者も、研究の道へ進む者もいること。そして今日ここにいるオレたちもまた、いずれこの国を支える人材になるのだということ。
言っていることは立派だった。立派すぎて、どこで話が終わるのか分からなくなるくらいには。
一度、男の声が締めくくるように低くなった。花田の両手が膝から浮く。オレもつられて手を動かしかけたが、男はそこで一呼吸置いただけで、何事もなかったように次の話題へ入った。
花田の手が、拍手になる寸前で止まる。二見が横目で見る。花田は何もなかったように制服の袖を直し、両手を膝へ戻した。
危うく、入学初日に来賓の祝辞を強制終了させるところだった。
次に壇上へ出てきたのは、魔法省の代表だった。こちらは、魔術師の役目について話し始めた。魔術は、戦うためだけのものではない。畑を耕し、水を引き、病を癒やし、道を切り開き、ときには災害から人を守るために使われる。
それもまた、正しい話なのだろう。ただ、御影紫苑の言葉のあとに聞くには、少しだけ整いすぎていた。あの人の言葉は、聞いているだけで自分まで試されているような気がした。けれど今壇上に立っている男の話は、正しいことを言っているはずなのに、どこか遠かった。
「続いて、魔法省から寄せられた告辞を代読します。新入生、起立」
またか。
椅子が一斉に鳴る。オレたちは立ち上がった。壇上へ出てきた別の文官が、手にした文書を開き、形式ばった言葉を読み始めた。
立ったまま聞く必要があるのだろうか。座らせてくれたっていいだろう。式典だから、ということなのかもしれない。そんなことを考えているうちに、文官の声が少しずつ遠くなっていった。
気づけば、周囲から拍手が起こっていた。オレも遅れて手を叩く。告辞の内容は、ほとんど覚えていない。たぶん、国のために頑張れという話だったと思う。
その後、学園の校歌らしいものが演奏された。歌詞を知らない新入生たちは、流れてくる荘厳な旋律を黙って聞いている。曲が終わると、司会を務める教師が再び演台の前へ立った。
「これにて、星陵魔法学園入学式を閉式します」
講堂のあちこちで、張り詰めていた空気がほどけた。椅子を引く音と、抑えられていた話し声が一斉に広がる。
「……あんた、立ちながら寝るなんて器用なやつね」
後ろから、二見の声がした。
「いつだ?」
「告辞のとき」
「考え事をしてただけだ」
「来賓がいるから寝たらまずいって、自分で言ってたわよね」
「だから寝てない」
「何を考えてたのよ」
「立ったまま話を聞く必要があるのかって」
二見は一度だけ黙った。
「それを考えた結果、寝たの?」
「寝てない」
横から、花田がこちらを見る。
「途中、首が落ちてたぞ」
「落ちてない」
「いや、落ちてたって」
「それはたぶん、告辞の重みだ」
「何よ、その言い訳」
橘が口元を押さえながら、小さく笑った。
「次があったら、もう少しちゃんと聞いた方がいいですよ」
「次があったらな」
「入学式は一回で済ませなさいよ」
二見の言葉に、今度は花田まで笑った。
その後、オレたちは教師に促されて席を立つ。講堂の大扉が開くと、外から春の光が差し込んできた。
入学式は終わった。だが、星陵魔法学園での一日は、まだ始まったばかりだった。
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