番外編 『笑わせないと出られない部屋2』
「ここ、どこだ?」
花田が周囲を見回す。
「分からない。倉庫じゃないのは確かだけど」
二見が近くの壁へ歩み寄り、手のひらで表面に触れた。継ぎ目のない白い壁が続いている。押しても叩いても変化はなかった。
高橋と大野も別の壁を調べ始める。
「扉がないぞ」
大野が壁を押しながら横へ移動する。高橋は床と壁の境目まで確認していたが、出口らしいものは見つからなかった。
「花田。そっちに何かあるか?」
「何もない。全部壁だ」
五人で部屋を一周しても、結果は同じだった。
「魔法で壊せないか試してみるわ」
二見が壁から少し離れ、右手を上げた。指先へ魔力を集めようとする。だが、火は現れなかった。
「……使えない」
「魔力が切れたのか?」
「そんなわけないでしょ。術式が作れないのよ」
花田と大野も魔法を試した。どちらも発動しない。
オレも身体の中の魔力を動かしてみたが、術式へ流そうとしたところで何かに塞がれた。
「おい、あれ」
高橋が正面の壁を指した。さっきまで何もなかった白い壁に、黒い文字が浮かび上がっている。
『他者を笑わせた者一名を、元の場所へ戻す』
書かれているのは、それだけだった。結界の解除方法らしいものは、どこにもない。
「誰かを笑わせれば、倉庫に戻れるってことか?」
花田が壁の文字を読み返す。
「そうみたいね」
「それなら簡単だろ。順番に面白い話をして、一人ずつ出ればいい」
大野も少し安心したようだった。
高橋は何も言わず、もう一度ルールを読んでいる。
「待て」
高橋は四人の顔を順番に見た。
「四人が出たあと、最後に残った一人はどうなるんだ?」
誰も答えなかった。花田の顔から笑みが消える。大野もようやく問題に気づき、白い壁を見回した。
「ここには出口がない。外から助けてもらえるかも分からないわね」
二見が壁に触れたまま答えた。
雨宮先生が倉庫へ戻れば、床に落ちた円盤を見つけるだろう。ただし、それだけでオレたちがこの部屋にいると気づけるかは分からない。最悪、オレたちみたいに雨宮先生がこの部屋に来る可能性もある。
「俺は最後まで残るつもりはない」
高橋が壁から離れた。
「俺もだ」
大野がすぐに続く。
「俺だって嫌だぞ」
花田も二人の近くへ移動した。
誰かを笑わせれば、自分だけが元の場所へ戻れる。反対に、誰かの話で笑えば、その相手を結界の外へ逃がすことになる。
そう分かった途端、オレたちは互いの顔を窺い始めた。
「俺が最初に話す」
高橋が言った。
「待て。俺が先だ」
大野が高橋の前へ出る。
「俺も先がいい」
花田まで手を上げた。
「オレもだ」
先に話した人間が誰かを笑わせれば、その時点で一人減る。これを繰り返せば、後ろの順番ほど笑わせる相手は少なくなる。最悪、自分の番が来るころには誰も残っていない。
「全員で言い争っても決まらないでしょ。じゃんけんにしましょう」
二見の提案に、オレたち四人はすぐに同意した。じゃんけんなら公平だ。
だが、じゃんけんに負けて最後になるのは困る。念のため、一人は気絶させておいたほうがいい。
五人は互いに向き合い、右手を中央へ出せる距離に立った。
「いくわよ。最初はグー」
二見の声に合わせて、全員が右手を握る。
「じゃんけん――」
「「「「死ね!」」」」
四人の声が重なった。
オレは隣にいた高橋へ拳を振るう。同時に、高橋は大野へ。大野は花田へ。花田はオレへ拳を突き出していた。
全員が殴るために動いたせいで、狙われた側もその場からいなくなっている。四つの拳は、それぞれ相手の顔の横を通り過ぎた。
二見だけが一歩も動かず、中央へチョキを出していた。
「……何やってんのよ、あんたたち」
「「「「手が滑った」」」」
「いつからじゃんけんの掛け声が死ねになったのかしら?」
誰も答えなかった。
二見はオレたちの間へ入り、それぞれを少しずつ離した。
「次に同じことをした人は、一番最後にするから。今度はその場から動かないで」
二度目は、全員が普通にじゃんけんをした。
何度か勝ち負けを繰り返した結果、最初に話すのは二見になった。
二番目がオレ。三番目が大野。四番目が高橋。最後が花田。
「なんで俺が最後なんだよ!」
「じゃんけんで負けたからでしょ」
二見はそう言うと、白い壁の前まで進み、オレたちの方へ向き直った。
「それじゃあ、始めるわ。先に言っておくけど、作り話じゃないからね。本当に私に起きたことだから」
念を押してから、少し考えるように視線を上げる。
残る四人は、二見の話を待っていた。
誰かの話で笑えば、そいつだけを先に元の場所へ帰すことになる。 二見が何を話しても笑わない。 全員が同じことを考えているのが、顔を見れば分かった。
「この前、お店でスープを頼んだの。席に座って食べようとしたら、スプーンが見当たらなかったのよ」
二見はそこで一度言葉を切った。
「それで店員さんを呼んで、『すみません、スプーンがないんですけど』って言ったの。そうしたら、その人が何も言わずに私の右手を見てて」
二見はそこで言葉を切った。
オレたちは黙って続きを待つ。
「私、最初からスプーンを持ってたのよ」
白い部屋に沈黙が落ちる。
「……終わりか?」
高橋が確認した。
「終わりよ」
誰も笑わなかった。我慢しているわけではない。
高橋も大野も、何か反応するべきか迷っているような顔で二見を見ていた。
「定番だな」
オレが言うと、二見がこちらを睨んだ。
「でも、少しくらい笑いそうになったでしょ」
「なってない」
「ちょっとくらいは我慢したんじゃないの?」
「してない」
二見はほかの三人にも目を向けた。
全員が黙って、オレに同意するように頷く。
「……本当に誰も笑わないのね」
二見は納得していない様子だったが、その場を離れた。
二見が消えなかったことに、オレたち四人は少しだけ安心した。誰かを笑わせるだけなら、もっと簡単に一人目が抜けると思っていた。だが実際には、誰一人として笑うどころか、こらえる必要すらなかった。
二見の話が悪かっただけかもしれないが、思ったより、この部屋は厄介かもしれない。
「次はオレか」
二見と入れ替わり、四人の前へ出る。
面白い失敗談なら、いくつか思い当たる。だが、学園に来る前の話題はできるだけ避けたい。しかし学園に来てからだと、そのほとんどには花田たちが関わっている。知らない一人を狙い打ちしてもいいが、話の途中で他の奴にオチを言われる可能性もある。
それなら、エピソードトークよりも単純な話術で勝負したほうがよさそうだ。
「オレは卵を片手で割れる」
「それのどこが面白いのよ」
「黙って聞け。オレはな、卵を片手で割れるんだよ。片手でな、卵が割れるぞ、オレは。いいか? よく聞け。オレはな、片手で卵が割れるぞ。すごいだろ? なあ? 片手でな、卵が割れるんだよ。おい、お前ら。人の話は最後まで聞けよ? 片手でな、卵が割れるぞオレは」
四人とも黙っていた。
「まあ、そんなことより」
四人の視線が再びオレへ集まる。
ようやく別の話へ移ると思ったのだろう。
「両手でも割れるぞオレは」
「もういい!」
二見の声が白い部屋に響いた。
仕方がないので、卵の話はここまでにする。
「睡眠用の音楽ってあるだろ?」
「……あるけど」
「あれな、寝てたら聞こえないぞ」
「……」
再び沈黙が落ちる。
高橋は目を閉じ、大野は白い天井を見上げていた。花田だけは何か考えているようだったが、笑いそうな様子はない。
「駄目か」
「今ので笑わせられると思ったの?」
二見が呆れたように聞く。
「少なくとも、お前の話よりは可能性があると思った」
「同じくらいよ」
二見とオレは、これで一度ずつ失敗した。
次の順番だった大野が、オレたちの前へ出る。
「二人とも、そこで見てろ。今から本当に面白い話をしてやる」
大野は自信たっぷりに胸を張った。
「俺は毎年、夫婦円満のお守りを買っている」
「相手もいないのに?」
二見がすぐに聞き返す。
「これからできるんだよ」
「できてから買えばいいじゃない」
「急にできたら、用意が間に合わないだろ」
大野はそのまま続けた。
「そのお守り、二つで一組なんだよ。一つは俺が持って、もう一つは彼女に渡す」
「いつから買ってるんだ?」
高橋が尋ねた。
「四年前からだ」
「じゃあ、相手に渡す方は四つあるのか?」
「ああ。全部、箱に入れて取ってある」
花田はしばらく大野の顔を見た。
「大野、お前ちょっと気持ち悪いな」
二見が吹き出した。
「なんでだよ!」
大野が言い返した直後、花田の身体が白い光に包まれた。
「え、俺?」
「待て! なんでお前が出るんだ! 今のは俺の話だろ!」
「ラッキー! サンキュー、大野!」
「ふざけんな、戻ってこい!」
花田は笑ったまま、光の中へ消えていった。
さっきまで花田が立っていた場所には、何も残っていない。最初に元の場所へ戻ったのは、順番が最後だった花田だった。
大野はしばらく何もない場所を睨んでいた。
「……あいつ、俺の話で出やがった」
声からも、納得していないことが伝わってくる。
「まだ俺の話は終わってないからな」
誰も口を挟まなかった。
「彼女ができたら、その年に買ったお守りを渡す。古い三つも捨てずに取っておいて、全部見せるつもりだ」
「全部見せるのか?」
「ああ。俺が何年も待ってたことが分かるだろ」
大野は本気だった。
高橋が笑わないよう口元を固くしたまま、大野を見る。
「だが、その相手も急にお守りを何個も見せられて驚くだろ」
「ああ。だからそれを見せた時に言う言葉はもう決めてある」
「何だ?」
大野は真剣な顔で答えた。
「遅かったな」
高橋が吹き出した。
笑った直後、高橋は口を押さえたが、もう遅かった。今度は大野の身体が白い光に包まれる。
「よし!」
大野は嬉しそうに拳を握り、そのまま元の場所へ戻っていった。
残ったのは、オレと二見と高橋の三人になった。
「次は俺だな」
高橋がオレたちの前へ出る。
「俺の話は短い。この前、食堂で女の子と一緒に飯を食べたときの話だ」
高橋は少し間を置いてから続けた。
「最初は一人で食べてたんだが、女の子が俺のところに来たんだ。制服の紋章からして、同じ一年生だった。それで、『ここの席、空いてますか?』って聞いてきた」
「何て答えたの?」
二見が尋ねる。
「『空いてますよ。どうぞ』って答えた。急に話しかけられて驚いたけど、できるだけ紳士的にな。その瞬間、思ったよ。俺にも、ついに春が来たってな」
「気が早くない?」
「女の子の方から話しかけてきたんだ。期待くらいするだろ」
「それで、その子は?」
「笑顔で『ありがとうございます』って言ってくれたよ。その笑顔がすごく眩しくてさ」
「それで、そのあとどうなったんだ?」
それまで黙って聞いていたオレも、気づけば高橋に続きを促していた。
高橋はすぐには答えなかった。しばらく黙ったあと、遠くを見るように目を細める。
「好きな男と一緒にいる女の子の笑顔って、どうしてあんなに眩しいんだろうな……」
「どういう意味だ?」
「彼氏がいたらしくてさ。俺の向かいにあった椅子を持って、その男のところへ行ったよ」
穏やかな口調で語る高橋の目は死んでいた。
「最初に、女の子と一緒に飯を食べたって言わなかったか?」
「ああ。同じ時間に、食堂でな」
「それは一緒にとは言わないんじゃない?」
二見が呆れたように言う。
「ああ、そうだな……」
高橋は力なく答え、そのまま俯いた。さっきまで話していたときの勢いはすっかり消え、床の一点を見つめたまま動かない。
何も言えない。高橋があまりにも気の毒で、笑うに笑えなかった。
だが、ここで笑えば高橋は元の場所へ戻れる。それなら、いっそ笑ってやる方が本人のためになるのかもしれない。
そう迷っているうちに、二見が小さく吹き出した。
「ご、ごめん」
二見は申し訳なさそうに口元を押さえたが、一度こぼれた笑いを止めることはできなかった。
高橋の身体が白い光に包まれる。
脱出できるというのに、高橋の顔には喜びの欠片もなかった。顔をわずかに伏せたまま、目だけを上げる。深く寄った眉間の下から、笑った二見をじっと見据えていた。
二見の笑いが止まる。
高橋は瞬き一つしなかった。身体が光の中へ消えていく間も、その視線だけは二見から離れなかった。
やがて光が消え、白い部屋が静かになる。
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