番外編 『笑わせないと出られない部屋1』
放課後の教室には、まだ十人ほどの生徒が残っていた。窓から差し込む西日が、机と椅子の影を長く伸ばしている。教本を鞄へしまう者や、友人と話しながら教室を出ていく者の声に混じって、黒板の前から高橋の声が聞こえてきた。
「それじゃ、もう一回やるぞ。花田は女子役。大野は呼び出されたところから始めろ」
黒板には、高橋の字で『告白されたときの正しい対応』と書かれていた。どうしてこんなことになったのか。少し前、大野が「急に告白されたら、うまく返事ができないかもしれない」と言い出した。まだ一度も告白されたことはないらしいが、本人によれば、そういうことは何の前触れもなく起きるらしい。高橋はそれを聞き、「お前は絶対に失敗する」と言って練習を始めた。花田は面白そうだからという理由で女子役を引き受け、オレは帰ろうとしたところで採点係にされた。今のところ、オレはただ椅子に座って三人を見ている。
「大野君。ずっと前から言おうと思っていたことがあるんだ」
花田が大野の前に立った。女子役ではあるが、声も立ち方も普段と変わっていない。
「俺もだ。付き合おう」
「まだ何も言ってないだろ」
高橋がすぐに止めた。
「放課後に呼び出されて、ずっと前から言いたかったことがあると言われたんだぞ。ここまで来たら告白だろ」
「そうやって勝手に決めるから練習してるんだ。相手が話し終わるまで黙って聞け」
大野は納得していない様子だったが、元の位置へ戻った。
「花田、続けろ」
「おう。大野君、ずっと前から言おうと思っていたことがあるんだ」
花田は先ほどと全く同じ調子で話し始めた。大野が口を開きかけ、高橋に睨まれて閉じる。
「明日の掃除当番、代わってくれないか?」
「告白じゃないじゃねえか!」
「だから最後まで聞けと言っただろ」
「こんな呼び出し方で掃除を代わってもらおうとする奴がいるか?」
「いるかもしれない。今のうちに慣れておけ」
「何に慣れるんだよ」
練習の目的が少しずつ分からなくなってきた。大野がこちらを見る。
「桐原。今のは俺が悪いのか?」
「最後まで聞かなかったのは悪い」
「ほら見ろ」
高橋が得意そうに言った。
「ただ、掃除当番を頼むために放課後まで待たせた花田も悪い」
「俺もか?」
「これは練習だろ」
採点するなら、今のところ全員零点だった。
「次は本当に告白するからな」
花田が大野の前に立ち直す。
「最初からそうしろ」
「今度は最後まで聞けよ。大野君、ずっと前から好きでした」
大野は何も言わない。花田も黙っている。しばらく二人が向かい合ったままになった。
「返事をしろよ」
「まだ続きがあるかもしれないだろ」
「もう終わったぞ」
「終わったなら言え」
「告白のあとに『終わり』なんて言う女子はいないだろ」
「終わったか分からねえから待ってたんだろ!」
大野が高橋へ詰め寄る。高橋も引かず、相手が話し終わったかどうかは雰囲気で判断しろと言い返した。今度は雰囲気の読み方を練習する必要があるらしい。オレは鞄を持って立ち上がった。
「帰るのか?」
「ああ。採点も終わった」
「まだ点数を聞いてないぞ」
「全員零点だ」
「待て。俺は指導していただけだろ」
高橋が抗議してきたところで、教室の前の扉が開いた。雨宮先生が、書類の束と大きな鍵を持って立っていた。黒板の文字を読み、その前にいる三人を見る。最後に、帰ろうとしていたオレへ目を向けた。
「楽しそうなことしてるね」
「違います。オレは帰るところです」
「桐原も一応参加してました」
「余計なことを言うな」
雨宮先生は黒板をもう一度見てから、短く息を吐いた。
「ちょうどよかった。そこのバカ二人、ちょっと手伝いなさい」
その言葉を聞いた瞬間、オレたち四人は互いの顔を見た。最初に高橋が口を開いた。
「ほら、花田と大野。先生がお呼びだぞ」
「誰がバカだよ! 始めたのは高橋だろ。だったら高橋と大野じゃないか?」
「なんで俺だけ両方に入ってるんだ!」
大野が二人を見比べた後、こちらを見る。
「桐原も採点係だった。こいつも一応参加者だ」
「オレは帰ろうとしたところを巻き込まれただけだ」
「全員零点って採点してただろ」
「聞かれたから答えただけだ」
「それなら、女子役を進んで引き受けた花田も参加者だろ。言い出した高橋と二人で行けばいい」
「おい、俺に押しつけるなよ」
花田がすぐに顔をしかめた。
「オレは帰りたい」
「それは俺たちも同じだ」
今度は大野が割って入る。誰も譲る気はなかった。雨宮先生はしばらく待っていたが、やがて鍵を持った手を軽く上げた。
「もういい。四人とも来なさい」
「先生。ちなみに、最初に言ってた『バカ二人』って誰のことだったんですか?」
高橋が尋ねると、雨宮先生は四人を見回した。
「最初は二人だったんだけどね。増えたから、もう気にしなくていいよ」
雨宮先生はそれ以上答える気がないらしく、鍵を持った手をひらひらと振った。最初の二人が誰だったのかは分からないままだった。
「絶対、俺じゃなかったな」
高橋が確信したように言った。
「その自信はどこから来るんだよ」
花田が呆れたように返す。
「先生、急いでるの。ほら、行くよ」
「最初から四人とも連れていけばよかったんじゃないですか」
少し離れた所から二見の声がした。二見は開いていた教本を閉じると、呆れたようにこちらを見た。教室に残って勉強していたらしい。オレたちが騒いでいたせいで、ほとんど集中できなかっただろう。
「そうね。二見さんも一緒に来てくれる?」
「どうして私まで行くんですか?」
「四人だけだと心配だから。少し見ていてくれると助かるんだけど」
二見はオレたちを順番に見た。高橋、花田、大野の三人は、誰が一番関係なかったかをまだ言い争っている。二見はしばらくその様子を眺めたあと、小さく息を吐いた。
「……心配なのは分かりますけど、先生が見ていればいいじゃないですか」
「このあと職員室に呼ばれてるの。倉庫まで案内して、やることを説明したら、少し外すことになると思う」
「それなら戻ってきてからやればいいんじゃないですか?」
「今日中に終わらせないと、明日の授業に間に合わないのよ」
雨宮先生は書類の束を持ち直した。
「そんなに時間はかからないから。お願い」
二見はすぐには答えなかった。オレたち四人と雨宮先生を見比べたあと、諦めたように教本を鞄へ入れる。
「分かりました。それで、何をすればいいんですか?」
「魔道具倉庫の整理。書類に書かれた番号を確認して、指定された棚へ移してもらうだけ。壊れている物や、何に使うか分からない物があったら、触らずに置いておいて」
二見が立ち上がる。こうしてオレたちは、五人で魔道具倉庫の整理をすることになった。
教室を出ると、廊下に残っている生徒はほとんどいなかった。雨宮先生を先頭にして、オレたちはC棟の奥へ向かう。窓の外からは、訓練場に残っている生徒たちの掛け声が聞こえていた。校舎の中は静かで、六人分の足音が長い廊下に響いている。
「魔道具倉庫って、何が置いてあるんですか?」
花田が雨宮先生の隣まで歩いていった。
「授業で使う、魔力を流して動かす道具がほとんどよ。術式の練習に使う杖や、魔法を受け止める標的、結界を張るための古い器具なんかが置いてあるわ」
「使ってみてもいいですか?」
「今の説明を聞いて、どうしてそうなるのよ」
二見が後ろから言った。
「見るだけならいい?」
「整理するために見るのはいいけど、勝手に魔力を流したり、起動させたりしないでね。古い魔道具は、今の物と使い方が違うこともあるから」
雨宮先生が振り返り、オレたちの顔を一人ずつ確認する。
「特に赤い札がついている物には触らないこと。分からない物を見つけたら、私が戻るまでそのままにしておいて」
「赤い札ですね」
二見が確認した。
「そう。箱も勝手に開けないで。説明書が見当たらない物は後回しにしていいから」
花田と大野が頷いた。高橋も返事をしたが、どこまで聞いているのかは分からない。
廊下の突き当たりまで進み、階段を一階分下りる。そこから普段は使わない短い通路へ入ると、空気が少し冷たくなった。壁には窓がなく、一定の間隔で取りつけられた魔法灯だけが、石造りの通路を照らしている。通路の一番奥に、金属で補強された両開きの扉があった。扉の上には、黒い文字で『第三魔道具倉庫』と書かれている。
「ここよ」
雨宮先生が持っていた鍵を差し込んだ。重い音を立てて鍵が回り、扉がゆっくりと開く。
中には、天井近くまである棚が何列も並んでいた。棚には大きさの違う木箱や金属製の器具が隙間なく置かれ、その一つ一つに、名前や使用年代を書いた札が下がっている。奥の方には布をかけられた物もあり、入口からでは倉庫の全体が見えなかった。オレたちは扉の前で足を止めた。雨宮先生がオレたち四人だけでは心配だと言った理由が、ようやく分かった。
雨宮先生は倉庫へ入ると、入口の近くに置かれていた長机へ書類を下ろした。何枚かある用紙には、魔道具の名前と保管場所が細かく書かれている。棚にも同じ番号の札が下がっており、書類と見比べながら場所を確認するらしい。
「ついでに明日の授業で使う物を、入口側の棚へ移しておいて。壊れている物を見つけたら、この机の上に置いてね」
雨宮先生が書類を二見へ渡す。二見は一通り目を通してから、近くにあった箱の札を確認した。
「番号順に見ていけばいいんですね」
「うん。二見さんは書類を見ながら指示を出してもらえる? 重い物は男子に任せていいから」
「分かりました」
雨宮先生はそれぞれの棚を簡単に説明すると、入口で一度立ち止まった。
「さっきも言ったけど、赤い札がついている物には触らないこと。説明書が見当たらない物も、そのままにしておいてね」
「分かってます」
二見が答えた。その後ろで、花田と大野も頷いている。高橋は棚に並んだ魔道具を眺めていたが、聞いてはいるだろう。
「それじゃ、先生は職員室に行ってくるね。用事が済んだらすぐ戻るから」
雨宮先生が倉庫を出ていく。二見は書類の一枚目を確認し、オレたちを振り返った。
「まずは手前の棚から。花田と大野は下の箱を出して。高橋は箱についている番号を読んで。桐原は私と書類を確認して」
「オレは書類の確認でいいのか?」
「私一人で確認するより、二人で見た方が間違えにくいでしょ」
「花田と大野だけで足りるのか?」
「俺一人でも大丈夫だぞ」
花田が棚の前にしゃがみ込み、両腕で大きな木箱を抱えた。床に擦らないよう持ち上げ、そのまま入口側の棚へ運んでいく。
「こっちは三十二番だ」
高橋が札を読み上げる。二見が書類を指で追った。
「三十二番は入口側。次は三十三番を見て」
「これか?」
大野が隣の箱を引き出す。最初こそ不安だったが、作業そのものは難しくなかった。高橋が番号を読み、二見が移動先を指示する。花田と大野が箱を運び、オレは移動が終わった物に印をつけていく。十分ほど経つ頃には、入口側の棚へいくつもの箱が並んでいた。
「意外と早く終わりそうだな」
大野が額を拭いながら言った。
「俺たちに任せて正解だったな」
「まだ半分も終わってないわよ。休むなら全部終わってからにして」
二見に言われ、花田は次の棚へ向かった。奥へ進むにつれて、置かれている物も古くなっていった。木箱の表面には細かな傷があり、札の文字が消えかけている物もある。棚の隅には、何に使うのか分からない金属製の器具や、布で包まれた細長い物も置かれていた。
「次、四十七番」
二見が書類を確認する。
「四十七番は……これか?」
高橋が棚の一番下を指した。そこには、周囲の物より一回り大きな木箱が置かれていた。番号札のついた面が棚の奥を向いており、番号を確認できない。
「少し前に出して」
二見の指示で、花田が箱の両端に手をかけた。箱はかなり古いらしく、花田が持ち上げた途端、底板から嫌な音がした。
「あ」
底が抜けた。中に入っていた器具が床へ落ち、乾いた音を立てる。
「ちょっと!」
「普通に持っただけだって!」
床には、直径二十センチほどの金属製の円盤が転がっていた。中央には丸い硝子がはめ込まれ、その周囲を細かな文字が囲んでいる。円盤の縁には、赤い札が紐で結びつけられていた。
「これ、赤い札がついてるぞ」
大野が円盤を覗き込む。
「触らないで。先生が戻るまで、そのままにしておきましょう」
二見が言った。説明書らしき物は、壊れた箱の中にも見当たらない。誰も円盤へ手を伸ばさなかった。
その直後、中央にはめ込まれた硝子が淡く光った。
「今、光らなかったか?」
大野が床の円盤を覗き込む。
「近づかない方がいい」
オレが言い終えるより早く、円盤の中央から白い光が噴き出した。光は床を這うように広がり、棚も、目の前にいた四人もまとめて飲み込んでいく。反射的に目を閉じた直後、足元の感触が消えた。身体が一瞬だけ宙へ浮き、すぐに硬い床へ着地する。
恐る恐る目を開けると、そこは倉庫ではなかった。床も壁も天井も、継ぎ目のない白一色で覆われている。窓も扉もなく、家具らしい物も何一つ置かれていない。広さは、先ほどまでいた倉庫の半分ほどだろう。少し離れた場所には、二見、花田、高橋、大野の四人も立っていた。
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