17話 『行方不明』
翌朝。腹の重さは、まだ少し残っていた。昨夜ほどではないが、朝食を食べる気にはならない。食堂には寄らず、そのまま教室へ向かった。
オレの席に鞄を置くと、高橋と大野が近づいてきた。
「生きてたか、桐原」
「残念そうに言うな」
「店の前に名前が出てたぞ。一人で戦ったんだって?」
「その話はもう終わった」
「言葉はいらない、か」
「今のお前らには本当にいらない」
二人が何か言い返そうとしたところで、教室の扉が開いた。雨宮先生が入ってくる。片手には、いつもの出席簿を抱えていた。ただ、表情が硬い。教卓の前まで来ても朝の挨拶はなく、高橋と大野も急いで自分の席に戻った。
雨宮先生は出席簿を教卓に置いた。
「ホームルームを始める前に、話があります」
教室に残っていた声が止まった。雨宮先生は全員がこちらを向くのを待ってから、口を開いた。
「昨日、一年A組の白鷺奈央さんが、帰校時刻を過ぎても寮へ戻りませんでした」
どこかで椅子が小さく鳴った。
「現在も、行方が分かっていません」
教室の後ろで、誰かが白鷺の名前を呟いた。
「白鷺さんは昨日、外出届を提出していました。外出する生徒は、寮の門限より一時間早く学園へ戻る決まりです」
雨宮先生の声だけが、静かな教室に響く。
「昨夜のうちに女子寮と学園内を捜しましたが、見つかりませんでした。警察にも、すでに通報しています」
昨夜の光景が頭に浮かんだ。女子寮の前に集まっていた教師と寮監。部屋着のまま、不安そうに立っていた女子生徒たち。あれは、白鷺を捜していたのか。
「外出届が出ていたことから、学園では、外出先で何かあった可能性が高いと考えています」
教室がざわついた。
「事件ってこと?」
「A組の子でしょ?」
抑えた声が重なる。
「静かに」
雨宮先生の一言で、声が収まった。
「昨日、白鷺さんを見かけた人はいますか。どこへ行くのか聞いていた人や、白鷺さんと話をした人でも構いません」
雨宮先生が教室を見回したが、手を挙げる者はいなかった。
「白鷺って、食堂にいた子だよな」
花田が前を向いたまま、小さな声で言った。
「ああ」
「鷹宮に絡まれていた子ね」
二見の声も低い。食堂の床に、割れた皿と料理が散らばっていた。その前で立ち尽くしていた女子生徒。白鷺奈央。あのときの生徒だ。
橘は何も言わず、雨宮先生を見ていた。
「今は思い出せなくても、あとから何か気づいたら必ず先生に知らせてください。どんな小さなことでも構いません」
雨宮先生は教室全体を見渡した。
「ただし、自分たちで捜しに行くことは禁止です。確認されていない話を広めるのもやめてください。間違った情報が、捜索の妨げになることもあります」
普段なら、最後に空気を和らげるような一言を加えていたかもしれない。今日は何も言わなかった。
雨宮先生は出席簿を開き、最初の生徒の名前を呼んだ。返事が返る。続けて、次の名前が呼ばれた。いつもと同じように出席確認が進んでいく。それでも、教室の空気は元には戻らなかった。
その日は、休み時間になるたびに白鷺の名前を耳にした。昨日、王都の商店街で見かけた者がいる。実家へ帰ったらしい。誰かと会う約束をしていた。話す生徒によって内容は違った。誰から聞いたのか尋ねても、友人や上級生の名前が出てくるだけで、確かなものは一つもない。
昼休みには、A組の女子生徒が教師に連れられて職員室へ向かう姿を見かけた。白鷺と親しかった生徒から、昨日の予定を聞いているのだろう。
放課後になっても、白鷺が見つかったという話はなかった。
*
その日の放課後、屋上には私と一人の男子生徒しかいなかった。
男子生徒は何度か口を開きかけては閉じ、やがて意を決したように顔を上げた。
「橘さんのことが好きです。俺と付き合ってください」
風が吹き、屋上を囲む金網がかすかに鳴った。私は驚いたように目を見開いてから、申し訳なさそうに眉を下げる。
「気持ちは嬉しいです。でも、ごめんなさい。まだ、そういうふうには考えられなくて」
「そっか……」
男子生徒が俯く。
「本当にごめんなさい」
「いや、謝らなくていいよ。急に呼び出したのは俺だし」
無理に笑おうとしたのか、その表情は少しだけ引きつっていた。
「返事してくれて、ありがとう」
「こちらこそ、伝えてくれてありがとうございました」
男子生徒は軽く頭を下げ、屋上の扉へ向かった。扉が閉まるまで、私は笑顔でその背中を見送った。
一人になる。
張りつけていた笑みが、ゆっくりと消えた。私は風に乱された髪を整え、屋上をあとにした。
階段を下り、本校舎の廊下へ出る。授業を終えた生徒たちの姿はまだ残っていたが、教室棟へ向かうほど、その数は減っていった。
中央階段へ差しかかったところで、向こうから歩いてきた雨宮先生が足を止めた。
「あ、橘さん。今、少しいい?」
「はい。どうしましたか?」
「今朝話した白鷺さんのことなんだけどね」
「何か分かったんですか?」
「ううん。まだ何も。ただ、正門から出ていく姿を見た人がいないから、念のため学園の中も確認してるの」
雨宮先生は抱えていた資料を片腕へ寄せ、北側の窓へ目を向けた。
「橘さん、北の森にある結界札を見てきてもらえないかな」
「結界札ですか?」
「そう。破れていたり、留め具が外れていたりしないか、札の手前から確認するだけでいいから」
「森から魔獣が入り込んだ可能性があるんですか?」
「可能性は低いと思う。今のところ、学園内で魔獣を見たって話もないしね。でも、白鷺さんが正門を出たことも確認できてないから、一つずつ調べておきたいの」
「先生が確認したほうが確実ではありませんか?」
「それはそうなんだけど、私はこれから、ほかの先生たちと捜索範囲を決めないといけないの。外を捜している先生も多いから、札を見るだけでも頼めると助かるのよ」
「それで、近くにいた私に?」
「近くにいたから、というのもあるけどね。橘さんなら、札より奥へは入らず、確認したらすぐに戻ってきてくれるでしょう?」
ずいぶん都合のいい信頼だった。
結界札を確認するのは、本来なら教師の仕事だと思う。それでも、白鷺さんが見つかっていない以上、雨宮先生たちにも手が足りていないのだろう。
「分かりました。確認してきます」
「ありがとう。異常があっても札には触らず、すぐに戻ってきてね。それと、絶対に結界札より先へは入らないこと」
「はい」
雨宮先生と別れ、中央階段を下りる。
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