第九章 戦場に響く的外れな講評
平原が血と汗、そして弾け飛んだ敵の鎧の破片で埋め尽くされていく中、翠嶺国の宮殿のテラスだけは、まるで別世界のような静買いと優雅さに包まれていた。麗蓮姫は、特製の白いシルクの長椅子に身を横たえ、侍女となった元女刺客が恭しく差し出す、冷えたプロテイン入り果実水を美しく喉に流し込んでいた。その涼しげな視線は、はるか前方で繰り広げられている、十万の軍勢が紙クズのように引きちぎられる凄惨な死闘へと向けられている。
「(ふあぁ……)……あ、今の呂布のポージング、少し広背筋の広がりが足りないわね」地響きのような爆縮音が宮殿の窓をガタガタと震わせる中、麗蓮姫は退屈そうに小さなあくびを漏らし、全く的外れな講評をボソリと呟いた。彼女にとって、目の前で行われているのは国家の存亡を賭けた「戦争」などではなかった。ただ、自らの美貌に狂った男たちが、自己満足で筋肉を見せびらかし合っている「いつもの退屈なマッスル発表会」の延長線上に過ぎない。何十万の矢が降ろうとも、大砲が火を噴こうとも、彼女の関心は「その攻撃をいかに美しく、完璧な筋収縮で受け止めるか」という一点のみに絞られていた。「姫様、呂布殿は見事なスリップインから、右のショートフックで敵兵五百を瞬時に消し去りましたが……! あれはただの打撃ではございません。一ミリの無駄もない、広背筋のバネの連動による至高の芸術にございます!」横で熱心に二十キログラムのダンベルを両手に持ち、自重スクワットを繰り返しながら戦況を報告していた元女刺客が、興奮気味に声を上げる。彼女もまた、翠嶺国の筋肉の福音に毒され、今や立派なマッスルジャッジの補佐官としての視点を手に入れつつあった。しかし、麗蓮姫は薄紅色の唇を不満げに尖らせ、手元の特製採点表に、容赦なく素早く朱筆を走らせた。「駄目よ。いくら繊細な技術を見せたところで、あの打撃の瞬間、右の大胸筋のカットがわずかに乱れていたわ。戦闘の衝撃ごときでバルクの左右対称性が崩れるなんて、美の基準からは程遠いわね。マイナス十五点」その過酷極まるジャッジの声は、戦場の中央で、敵兵の首を引きちぎりながらも全神経を宮殿へと集中させていた呂布の驚異的な聴覚へと、ダイレクトに届いていた。「な……にッ!? 大胸筋のカットが乱れただと……!? この俺の至高のバルクが、マイナス十五点……!?」敵の長槍を大胸筋の弾力だけで一本残らず叩き折っていた呂布の顔が、絶望に染まった。数万の包囲網を敷かれようとも、中原のあらゆる計略を仕掛けられようとも、微動だにしなかった鬼神の心が、姫の一言で激しく動揺する。呂布にとって、戦場での死など恐るるに足らない。しかし、麗蓮姫の採点表で減点を食らうことは、自らの存在意義の全否定に等しかった。「おのれ……!俺のバルクの対称性が甘かったというのか!これほどの死闘の最中、十万の雑魚を相手に立ち回る極限状態であっても、完璧な美しさを維持できねば、麗蓮姫の夫となる資格は無いというのか――っ!」
呂布の動きが絶望によって一瞬止まったのを見て、敵の重騎兵たちがここを勝機と踏んだ。「好機だ! 鬼神の動きが止まったぞ! 総員、突撃ぃぃ!」地響きを立てて、数千の鉄騎兵が一斉に呂布へと牙を剥く。しかし、呂布は彼らを見向きもせず、涙目で自らの巨大な胸筋を見つめ、さらに怒りを爆発させた。「邪魔だ、贅肉ども! 俺のポージングの邪魔をするな!!」呂布は怒りのままに、両腕を大きく広げて背中の筋肉を限界まで広げるバックラットスプレッドを敢行した。その瞬間、彼の背中から、文字通り暴風が生み出された。肉体の膨張だけで大気を圧縮し、前方に放たれた凄まじい衝撃波は、押し寄せた重騎兵たちを馬ごと空中へ吹き飛ばし、後方の歩兵連隊までをも巻き込んで平原に巨大なクレーターを作った。ただのポージングの風圧だけで、敵の一個師団が壊滅したのである。「おいおい、呂布のやつ、焦って力任せになってやがるぜ。カットの美しさを忘れた筋肉など、ただの肉の塊だ」少し離れた戦区で、関羽が静かに呟いた。関羽は、敵の放った無数の矢を大胸筋の胸筋の独立可動だけで弾き返しながら、自らのフォームを崩さない。一挙動ごとに、麗蓮姫の視線を意識した完璧なサイドチェストの姿勢を維持している。「張飛よ、我らは呂布の自滅を余所に、完璧な左右対称を維持し、姫様に真の義の筋肉をお見せするぞ」「おうよ兄者! キレてる! 今日の俺たちの大腿四頭筋は、神が彫った彫刻よりもキレまくってるぜ!」張飛は叫びながら、敵の戦車を素手で持ち上げ、それをそのままスクワットの重量代わりに使い始めた。一回、二回と大岩のような戦車を上下させるたびに、敵の兵士たちは「助けてくれ!」と悲鳴を上げながら宙を舞う。だが、張飛の意識は、いかにボトムポジション(最も深くしゃがんだ状態)で筋肉のカットを綺麗に見せるか、という一点にしか向いていなかった。
戦場はもはや、血みどろの戦争ではなく、英傑たちが互いの減点を嘲笑い合い、一分一厘の筋線維の美を競い合う、狂気のボディビル選手権と化していた。「おい、今の曹操のシックスパック、左右の並びが少し歪んでいないか?」「フン、インナーマッスルに頼りすぎて、外腹斜筋のバルクが足りんのだ」前線で戦う歩兵たちさえも、敵を殴り倒しながら互いのジャッジを口にする。その横で、諸葛亮孔明は冷静に羽扇を仰ぎ、さらにライティングを調整していた。「今です。太陽が西に傾き、影が最も長く伸びるこの瞬間こそ、皆様の大腿筋膜張筋のカットが最も美しく浮き出る時間帯。さあ、一斉にポーズを!」孔明の指示に合わせ、一万のマッスルエリートたちが、敵の死体の山の上で一斉に「モストマスキュラー」をとった。ドサドサと、それを見た敵の残存兵たちが、恐怖と、あまりの絵面のシュールさに脳の理解が追いつかず、武器を落としてその場に卒倒していく。死闘の傍らで、どこまでも冷徹にバルクを査定し続ける麗蓮姫。そして、その点数を一点でも上げるために、より美しく、より狂暴に肉体を躍動させる、大陸最強の英雄たち。翠嶺国の国境は、生と死の境界線を遥かに超越した、究極の筋肉シュールレアリズムの極致へと達していた。




