第13話 そうだ、勝ち逃げしよう!
――ゲートが開いた。
全身の毛穴が開く感覚。血液が沸騰する感覚。視界が研ぎ澄まされて、砂埃の一粒一粒まで見える。
この感覚を、俺は知っている。
前世の競馬場。府中の最終直線。握りしめた馬券が汗でふやけて、それでも手を離せなかった。あの時と同じだ。理性が溶けて、本能だけが剥き出しになる。
――ギャンブル中毒者の脳が、完全に起動した。
ヴォルトは中団からのスタート。周りのリザードに囲まれて、まだ動かない。
「おい……出遅れてないか……?」
ジーコの声が遠い。聞こえてはいるが、返事をする余裕などない。俺の目はヴォルトだけを追っていた。
第1コーナーを回っても、ヴォルトは中団の内側でじっとしたまま動く気配がない。
いい。いいぞ。ドーピングでバキバキの脚を、今は隠すんだ。
第2コーナー。
まだ動かない。先頭集団が3馬身ほど前に出た。観客席のあちこちから「あの赤いヤツ、終わったな」という声が聞こえる。
フッ、バカが。お前たちは何もわかっちゃいない。こいつの脚は今、導火線なのだ。爆発するその瞬間まで機を溜めている。
「おねがい……おねがい……!」
コーダが手を組んで祈る。震えているのが、ここからでもわかる。
ネキーンは黙って腕を組んでいた。さすがは長年の冒険者人生で腐るほど修羅場を潜ってきた猛者だ。狼狽えない。だがその額には、一筋の汗が光っていた。
間もなく、第3コーナー。
ヴォルトの目の色が、完全に変わった。
瞳孔が限界まで開いて、脚の回転数が一気に上がる。外に持ち出して、前のリザードを1頭、2頭とかわしていく。
「――来た……ッ!」
声が勝手に漏れた。前世でもこうだった。この瞬間だけ、世界の全てが許される気がした。借金も、負け組だった苦い人生も、全部消えて、ただ目の前の直線だけが俺と世界を繋ぐ。
最終コーナー。
ヴォルトが先頭集団に喰らいつく。
他のリザードは限界が来ているみたいだ。脚が少しずつ重くなり、フォームも僅かに崩れていく。だが、期待のヴォルト君だけは、ここに来てさらに加速する。痛みも疲労を感じない。ドーピングによって生み出された化け物が、直線で牙を剥く。
いいぞ。そのまま。
1頭、また1頭とかわしていって、最後の直線――
首位のリザードに並びかける。
「刺せ!! ヴォルト!!! 刺せェェェエエエエエエ!!!!!!!」
残り、20メートル……10メートル……
俺の怒号に答えるように、一筋の赤い閃光がトップに踊り出る。
――瞬間。
俺の口から、声にならない声が漏れた。「いいぞ」とも「頼む」とも違う、もっと原始的な、祈りですらない、号哭。
静寂に包まれる。この場には俺と赤き英雄しかない。そんな気がした。
『第8レース、1着――1番『赤雷のヴォルト』! 大番狂わせです!! 最後に凄まじい追い上げを見せました!!』
場内アナウンスが鳴り響く。
「勝っ……た……」
膝から力が抜けて、気づいたら地面に手をついていた。
「……やりおったぞォォォォォ!!!!!!」
爺さんが絶叫した。
「カネスキさん……! 勝ちましたよ……本当に……! 私たち……勝ったんですッ!!」
コーダが両手で顔を覆っている。震える指の隙間から涙がこぼれていた。
「出来レースに乗っただけだがな」
水を差すようなことを抜かすジーコだったが、今だけは見逃してやろう。実際、こいつも喜んでいる。目の奥がニンマリと笑い、興奮を抑えきれないといった感じだった。
最終的な配当は100倍になった。俺たちの持ち金、全ツッパの100倍だ。
モーモーファイナンスの返済どころか、アコフルとレーク、その他の借金も余裕で完済してなお、余る額だった。
「そういえば、依頼の報告はどうするの?」
コーダが、ふと思い出したように言う。全員が俺を見た。
依頼。そうだった。ヴォルトの不正調査。レース場運営委員会に報告しなきゃいけない。
「……不正の証拠は掴めませんでした。引き続き調査が必要です。とかでいっか!」
「おい」
「こいつがドーピングだって報告したら、俺たちのインサイダーレースがバレかねんだろ!! 『お尋ね』の次は『お尋ね者』ってか?」
スベった。
「お前……それでも本当に勇者か?」
ジーコが諦めたような目を向ける。
「フ……フハハハハッ!! 借金がなくなったら、正義の味方などいくらでもやってやるわッ!!」
まぁいい。俺たちは勝ったのだ。不正に便乗した勝利だが、ンなもん知ったことか! 勝ちは勝ちだ。
――金は、金のあるところに集まるのがこの世の摂理なのだッ!!!(名言)
その後、俺たちは金貨の袋を抱え、ルンルンでスキップしながらレース場を後にした。
◇ ◇ ◇
翌朝。
王国税務省の印が押された封筒が、拠点のドアに差し込まれていた。
猛烈に嫌な予感がしつつも、渋々封を切る。
『リザードレースにおけるイチジショトクについて、
課税通知をお送りいたします。
配当収入:×××万リーフ
課税額 :×××万リーフ
納付期限:来月末日』
半分近く引かれる計算だった。
「舐めんなッッッッッッッ!!!!!」




