第503話 呪い
『ヴィクトワーレ様、お声が』
「んっ……」
声を出した後に口を塞いでも無意味ではあるが……幸いリクレールは、ヴィクトワーレの声に気が付くことなく、深い眠りについている。
普段なら目を覚ましたかもしれないが、やはり今までの疲れがあったのか、久々に手入れが行き届いた寝具で横になったことで、身体から緊張感が完全に抜け落ちてしまっているようだった。
それに、例え不審者や暗殺者が入り込もうと、エスペランサがいればどうとでもなる。
「ご、ごめんなさい……それで、その呪いって?」
『別の言い方をすれば、一種のトラウマと申しましょうか。当然ではございますが、マリア様はすでにお亡くなりになっております……しかし、主様もヴィクトワーレ様も、未だにマリア様の遺した言葉に囚われております。いくら親友とはいえ、ヴィクトワーレ様が主様と結ばれたいのであれば、そのような個人間の口約束など無視し、結婚を宣言すればよろしいのです。現に、帝都タイラスルスのあの時の騒動では、ヴィクトワーレ様は強引に主様に結婚を迫ったわけでございますから、やろうと思えばできないことではないかと』
「うっ」
帝都タイラスルスが無血開城したあの日、せっかく家族と久々に再会できたと思ったら、何の相談もなく縁談が進み、見ず知らずの男と結婚することになっていたヴィクトワーレは、気が動転していたのと、兄への腹いせか、短慮にリクレールに結婚を迫った。
今思うとヴィクトワーレとしても恥ずかしい限りで……それと同時に、なぜかマリアに対する裏切りのような深い罪悪感が沸いてきた。
『やはり、マリア様は途方もなく偉大な方だったのでしょう。わたくし的には封印が解かれたことを喜ぶ出来事ではございますが――――失敬、そのようなお顔をなさらないで下さいませ』
「今の言葉、絶対にリクに言っちゃダメよ」
『勿論でございます。しかし、マリア様はあまりにも偉大過ぎて、お亡くなりになった後も、その言葉は人々の心を強く縛っております。ヴィクトワーレ様が西帝国のために戦うのも、アルトイリス侯爵家に過剰に肩入れするのも、そして主様と相思相愛になりながらも結婚をためらうのも、すべてはマリア様の呪いによるもの……親友である貴女様さえその有様なのですから、主様がいかにマリア様の呪いに強く囚われているかがよくお判りでしょう』
「…………リクは、マリアの仇を討つために、自分の嫌なことでも率先して取り組んでる。だから、悪い事ばかりじゃないと思うんだけど」
『はい、今でこそお姉様が残した呪いは、むしろ自らの為すべき使命を明確にし、そのためならわたくしのような魔剣を手に取り、臣下を粛正し、戦場で血を流すことも可能としております。しかし、わたくしは……主様こそ、マリア様を超える逸材であると、心の底から信じております。少なくとも、主様はマリア様のように力だけに頼った戦い方を是とはせず、目的を達するために包括的な手段と視点を持つことができることは、得難い能力だと思いますわ』
「そうね、マリアは強かったし、人望もあったけど、今思えば政務は全部サミュエルたちに丸投げしていたわ。苦手ってわけじゃないのかもしれないけど、そこにあまり価値を見出していなかったのは確かね」
そしてヴィクトワーレ自身も、正直政治のあれこれはいまだにわからないことだらけで、交渉一つとっても、今やリクレールにお膳立てしてもらわなければいけないほどだった。
ただ、これらの傾向は、結局士官学校ではあまりそのあたりの分野を重点的に学ぶ機会がないというのが大きいかもしれない。
『ですので、もしこの先、主様が劇的な成長を果たし、様々な分野でお姉様を越え始めた時……お姉様の存在は、主様を縛る呪いとなって現れるでしょう。その時、果たしてわたくしだけで、その呪いを打ち破ることができるのか…………』




